序章「貴人来訪」

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 コックリぃー、さまの、おとおりだぁー
 山の神さの、お使いだぁー
 道をあけよう、うたげのしたくだ
 コックリぃー、さまの、おとおりだぁー

 ふしぎな歌が聞こえてくる。ちょうど、きらびやかな貴人の一行が見えてきたところだ。
 貴族のかたがたが来られるから村総出で出迎えしなきゃならない、と知らせを受け、小夜と母は桑園から大急ぎで帰ってきたところだった。おかげさまで二人とも桑の葉まみれ。くっついていた葉っぱをとってその場でできるかぎり身なりを整えたものの、あまり変わった気がしない。
 そうこうしている間に貴人の一行はどんどん近づいてくる。もうそろそろひざまずかなければ無礼にあたりそうだ。
「あれ? 奔翔だわ。騰霧もいる」
 先頭に立った二騎を見て、小夜は思わず固まってしまった。りりしい装いの若武者と、その横にいる、りっぱな太鼓腹が印象的な家老風の男。いや、小夜が見ているのは人でなく、彼らがまたがっている二頭の馬のほうだ。
 なぜここに奔翔鹿毛と騰霧栗毛の二頭が、こんな小さな村にいるのだろう? いや、相手は大名さまの馬。やんごとなきお方を背に乗せ、歩いていることは不思議ではないのだ。不思議ではないのだけれど、自分が世話をしてきた馬たちがこうやって実際に歩いているところを小夜は一度も見たことがなかった。
「なにをやっているの、小夜! ひざまずきなさい」
 小夜の母、萩野の鋭い声が響く。我に返った小夜はあわててかしずいて、行列がすぎさるのを待った。
 貴人らの姿が遠ざかり、頭を地面にこすりつける必要がなくなる。小夜は立ちあがったが、目はいつまでも馬たちが消えたほうを追っていた。
「コックリさまが、来られたわね」
 同じく立ちあがった母が、小夜と同じ方向を目で追いながら、ぽつりと、なつかしむように、悲しげにつぶやいた。
「あの日が、また来るのね……」
 母の目にうっすら浮かんでいた涙に、馬のことを夢中で考えていた小夜が気づくはずもない。小夜と母は桑の葉を手によりそって、それぞれ別のことをおもいながら、じっとじっと馬と貴人の行列の行く先を見つめていた。



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