二章「狐の試験・下」

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 いくつもの村から、何十、もしかすると百をこえる少女が集まったはずだが、右の階段を降りてきた少女は、結局たったの十五人だった。大名さまのお屋敷から遠い村の娘は、神聖な山に入りたくとも入る機会がないのだろう。お屋敷から近い村の娘ばかりが集まったようだ。
 お許しを出され、お膳のごちそうを心ゆくまで味わった小夜と小梅だったが、変わった動きがまったくない。がらんとした座敷で小梅とおしゃべりを楽しんでいるうち、いつの間にやら夕方になってしまった。
「ここで泊まることになるのかな?」
「そうみたいね。私、家へ帰らせてもらえないかしら。すぐそこなのに」
 小夜もしょんぼりとうなずいた。外泊など、はじめてだ。母もきっと、心配している。第一、これからどうなるのやら、さっぱりわからないのだ。
 と、小夜は、青い顔をしてひとりで座りこんでいる少女がいるのに気づいた。
「どうしたの?」
 声をかけてみると、少女はおびえた目を一瞬見せ、すぐにうつむいてしまった。
「気分が悪いんですか?」
「いえ、そういうわけでは、ないのです……」
 小夜と小梅は顔を見あわせた。気分が悪いにしても、誰に言えばいいのやら。お昼の膳をさげてくれた女の人だろうか。いや、今は姿が見えない。階段をのぼって狐に言いに行くべきだろうか。
 小夜が腰を浮かせたところで、間合いよく階段から足音がしはじめた。
「ずいぶんと待たせてしまったようだ。休めただろうか」
 狐の堂々とした張りのある声に小夜はほっとした。小梅はといえば、狐の顔を見ただけで耳まで真っ赤になってうつむいている。すぐに具合の悪い少女のことをお耳に入れたかったが、話しておられるときに口を挟むのは無礼だ。小夜は少女の背をそっとさすりながら、狐の言葉を待った。
「この中に、いるかどうかはわからぬが。ここにいることの理由を知っている者、おるか」
 小夜の隣でうずくまっていた少女が、びくりと体を震わせた。
「いたら、立つがよい」
 少女の顔が色を失ってゆく。
「大丈夫? 今、狐さまに」
 少女が激しく首を振り、がたがた震える足で立ちあがった。
「狐さま、わたくし……」
 狐が少女に目をとめ、静かにうなずいた。
「正直に言い出してくれて、心から礼を言おう。そこの階段をくだって、家に戻るがよい。どこの村か?」
「さ、さるすべり村です」
「遠くはないな。今ならまだ明るい。急いで行きなさい。おそろしいようなら付き人をつけるゆえ、五重塔の入り口の者に遠慮なく声をかけるがいい」
 少女が深く一礼をして、階段のほうへ駆けていく。
「追って、沙汰する」
 狐が娘の背中に投げかけた言葉に、娘がびくっと肩をふるわせて振り返った。おびえた、なにか恐ろしいものを見るような目つきで、座敷に残った少女たちを見つめる。なぜそんな目をするの、と小夜がむっとしたとき、さるすべり村の娘は身をひるがえし、転げ落ちんばかりの勢いで階段を駆け下っていった。
「今、夕餉を運ばせよう。明日はそなたらに受けてもらう試験がある。こころしてのぞむように」
「狐さま」
 手をあげた小夜に、「どうした?」と狐が問い返した。
「私たちがここにいる理由、というのは何でしょうか? 先ほどの、さるすべり村の彼女の様子が、とても気になったのです」
 ほかの少女たちも、私もそう思っていたの、とばかりにうなずいた。
 狐の返事はあっけなかった。
「まだ、言えぬ。わたしも言いたいのは山々だが、時が来るまで、このことを話すのは禁忌にあたる。あの娘は、それを破った。だから、資格を失ったのだ」
 おびえた、さるすべり村の少女。様子のおかしかった母。いきなり暴力的になった、そして、とても悲しそうだった武丸。小夜は不安になって、隣の小梅を見た。小梅は困ったような顔をして、大丈夫よ、と小夜の背をやさしくたたいてくれた。

     ***

「皆の者、こちらがわたしと同じコックリの一人、狸どのだ」
 翌朝になって紹介された「狸」は、やはりあの家老風の男だった。終始笑顔で、家紋のついた扇子で顔をあおいでいる。りっぱな太鼓腹がいかにも狸を連想させた。
「狸じゃ。さてと、みなの自己紹介でもしてもらおうかの」
 ほい、と狸が閉じた扇子で小夜をさした。
「え。えっと、桑ノ実村の小夜、十四歳です」
 ひょこんと頭をさげると、狸は「桑ノ実村ね」と、扇子でぽんと膝をたたいた。
「桑ノ実村出身の者、手をあげよ」
 小夜を含めて五人が手をあげた。
「やはり、今年も桑ノ実村にかたよってしまったか。十四人のうち、五人も桑ノ実村出身だとはな。お屋敷にもっとも近い村じゃから、しかたあるまいか……」
 狸はしばらく考えこむ素振りをしていたが、きゅうに立ちあがった。
「よし、皆の者。次の試験を行うかの。ついてくるがよい」
 狸がひょこひょこ歩き出す。どうやら自己紹介は小夜だけで終わってしまったらしい。狐が苦笑しながらもついていくよう指示をするので、きょとんとしながら小夜らも続いた。
 階段をくだるかと思いきや、狸が向かうのは北側に面した窓だった。障子をあけると、目の前いっぱいに神聖な山がそびえている。
「あの山に住みついておるであろう動物の名を一人ひとつずつ挙げてもらおう。一度言った動物はだめじゃ。では、お前からいくか」
 狸が一番近くに立っていた少女を扇子で指した。小夜もよく知っている桑ノ実村の茜だ。
「動物、といいますと」
「なんでもよいから、ひとつあげよ」
 茜は少し考えるそぶりをしてから、「シカ」と答えた。
「その調子じゃ。では、お前」
「キツネ、ですか」
「よし。次」
「イノシシ」
 十四人の少女からつぎつぎ動物の名前があがってゆく。なにかの遊びだろうか。とても試験とは思えないし、狸の表情もからかいが混じっている。だが、狐の目が異様なほど鋭かった。
「お前と、お前。それから、アヤメの着物のお前。帰ってよいぞ」
 ひととおりまわったところでの狸の宣言に、娘たち全員があぜんとした。
「それは、どういう」
「お前たちは、試験に落ちたのじゃ。行ってよい。残った者、続けるぞ」
 クマ。キジ。サル。ヘビにウサギ、タヌキにアユ。獣から鳥、魚まで、いろいろな動物があがっていく。それをどこをどうやって判断していくのか、狸はちゃくちゃくとふるい落としていった。
「これくらいでいいじゃろう」
 狸は残った五人の顔を見回した。小夜と小梅、それから最初にシカと答えた茜。あとのふたりは面識がない。
「どう当たりを決めたか、わかったかな?」
 狸がおかしそうに太鼓腹をゆすって笑った。
「今は語れぬ。詳しくは語れぬが、最初からこちらで動物を決めておってな。それ以外の動物を言った者は、落とされたというわけだ」
「狸どの」
 狐が厳しい声で狸をいさめた。これ以上はいけない、ということだろうか。
「次が最終試験になる。三人目、最後のコックリに会いにゆくぞ」
「その前に、みなにこれを配ろう」
 狸が座敷の隅に置いてあった箱から細長い布を出し、五人に配った。
「塔を出たら使うからの」
 狸が歩きはじめた。五人の少女が続く。狐が最後尾をかためた。長い長い階段をくだり、娘たちと狐、狸は外へ出る。
「全員、目隠しをしなさい。前の者のそでをつかんで、わたしに続け。つまずかないよう注意するのだよ」
 もらった布は目隠しだったのか。五人の娘がおとなしく目隠しをする。小夜は、小梅のそでをしっかりとにぎった。足先で地面をさぐりながら、そろそろと歩く。目隠しの状態で歩いたのは、ごくわずかな時間だった。
「そのまま、ここで待っていなさい。動いてはならぬぞ」
 狐と狸、ふたつの足音が遠ざかっていった。
「小夜ちゃん、馬のにおいがするわ」
 小夜のそでをつかんだまま小梅がくすくす笑った。毎日のように厩へ通っていたふたりなのだ。丸二日も馬から離れていたので、さびしくて、なつかしくてたまらなかった。厩が近いのだ。
 足音が、近づいてきた。狐か狸が帰ってきたのだろうか。いや、違う。
 ふんふんと何かが小夜のにおいをかいだ。荒い鼻息、こそばったゆいヒゲ。それが何かを察して、小夜は思わず飛びつきそうになった。が、狐が「動いてはならぬ」と言っていったことを思い出し、じっと耐える。
 なぜ、馬が。どの馬だろうか。絶影か、翻羽か。はたまた喩輝か? 狐と狸はここにいるから、奔翔か騰霧でもおかしくない。
 そうこうするうち馬はそっと離れていった。
「ふふ、翻羽ね。わかるわ」
 隣で小梅の無邪気な声が聞こえた。
「そこまで!」
 太い声に小夜は飛びあがった。
「目隠しをとりなさい。試験の合格者が決まったようだ」
 小夜はそっと目隠しの紐に手をやった。なぜ、なぜここで聞き覚えのある声が。
「小梅姫。そなたを今より、我らの一員としてお迎えする」
 小夜は口元を手でおおった。目隠しをとった先にいたのは、翻羽のひたいをなでる小梅と、仁王立ちになった小梅の兄。
「俺がコックリのひとり、狗だ」
 厩ノ長の武丸だった。



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