六章「聖山登頂・上」

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 ドラ、鈴、笛に大太鼓。体の奥からどろどろとゆさぶる楽の音が響きわたっている。
 響きにあわせ舞うのは三人のコックリと張子の馬をあやつる二人の黒子、そして姫の人形をあやつる人形師。狐と狸のふたりは素顔をさらしているが、狗、武丸だけは相変わらず狗の面をかぶっている。小夜は用意された間にちょこんと座り、お神楽を見つめていた。
「『これは器量かたちの良い名馬だ』と、『人間であれば、我と一代の契りを結ぶ形の名馬だども、人間のつくらいでなければ、その儀もなりまじきのことだ』と、木戸に手をかげで涙をさげたなら、名馬は心にそろりと入れて、ひとりしら様は涙を流す」
 小夜は、はっとした。コックリが舞うのは、しらという名の姫と馬の恋物語だったのだ。
 きまん長者という大地主の若い娘、しらという娘が主人公だ。そのしらに、長者の飼っている馬がひとめぼれしてしまう。名馬は人の姿に化けてしらの元をおとずれ、自分と結婚してくれないか、とたずねた。が、相手は馬だ。しらは「お前のことは大好きだけどそれはできない」と泣きながら名馬を遠ざけた。
 それ以来、名馬は飲まず食わずの恋わずらいになり、厩者がどれだけ手をつくしても、何も口に入れようとしなくなる。心配になったしらが厩を訪れ、そっと粥を名馬に運んでやると、名馬はさっきまでのわずらいはどこへやら、大喜びで粥を食べる。しらが運んでやるものは、ただのひとつも食べないものがなかった。ところが、しら以外の人間が食べ物を運んでやると、これがさっぱり、何も食べなくなってしまうのだ。
「『うちの名馬は、他だ病いではなく、ひとりしら様の恋のわずらい』と、置き出したならば、きまん長者の旦那様、『なんぼ器量かたちの良い名馬でも、ひとりしら様と一代の契りを結ぶとはつまづきのことだ』と、『そうなれば奥の林に、鉄の鎖で八方繋げて投げ棄てて来い』とのことなれば」
 名馬の恋わずらいが、きまん長者のだんな様、しらの父に知れてしまう。大いに怒った長者は、名馬を殺すことを命ずる。そしてあわれ、しらと名馬は引きさかれてしまうのだ。
「『ここは、おら所の名馬は投げ棄てられたる所だ』と、桂の大木にちょっと腰をかけたるごとく、西見ればしどうらいし、東見てもしどうらいし、間もなく紫の雲に誘われて天竺に昇り致したならば、家来の者は、手を伸べても手も届かぬ、竿よし伸べても竿よしも届かぬ。ひとりしら様は帰って来ないとて」
 名馬の死をいたみ、名馬の殺された木の下に腰をかけたしらは、不思議な雲にさそわれて天へのぼり、行方知れずとなる。
「絶影……」
 小夜は小さくつぶやいて、胸をおさえた。
 絶影をもし、武丸に殺されたら。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。いや、武丸は今まさしくきまん長者の役を買って出て、絶影を山の神へささげようとしているのだ。小夜は、しらのように、ぼんやりと絶影のいない馬房に立ちつくすことになる。そして、絶影にも武丸にも小梅にも会えなくなった小夜は、いてもたってもいられなくなってどこかへ姿をくらましたくなるにちがいない。
「これで、よかった。これで……」
 せめて絶影と一緒にいけるのならば、これが一番、きっといいのだ。
「小夜」
 呼びかけにはっと顔をあげると、狐が目の前に立っていた。その後ろに山犬の面をつけた男が立ち、じっと小夜を見つめている。小夜と目があうと、あわてたようにきびすを返し、階段を降りていってしまった。
「どうだったろうか、神楽は」
 狐が武丸を横目で眺めつつ小夜の横に腰をおろす。小夜はどぎまぎしながら居住まいを正した。
「感動、いたしました」
「そうか。これが、山の神の巫女の起源だ。この後、作物の実りはよくなり、家畜もふえた。だが、二十四年後に大干ばつがこの地をを襲う。そして、きまん長者の息子、すなわち相馬大名の先祖が、しらと名馬のために聖山のいただきに、ほこらを作り、馬と娘をささげた。すると、待ちのぞんだ雨が降り、三日三晩にわたってこの地をうるおした。その年以来この儀式が続いている、と狸さまからお聞きしている」
「では、なぜコックリはいるのですか?」
「馬と娘を無事にみちびくためつかわされた三匹の獣、すなわち狐、狗、狸の三匹がコックリのゆえんだそうだ。後に巫女と馬と捧げ物をつかさどり、それを無事に山の神へ届ける獣へと変わっている。コックリは当時、本物の獣だったのが人に化けていたそうだが、時を経るにつれ、獣の面をかぶった人間、つまり、われわれがその役をおっているのだ」
 楽器や張子の馬が片づけられ、黒子や狸らが座敷を出ていく。いつの間にか小夜は狐とふたりきりで、西日の光を受けていた。
「明日の朝も来てかまわないでしょうか?」
「むろんだ。気に入ってもらえたようで嬉しいぞ」
 小夜は狐の顔をのぞき、ちょっと思いつきをしてほほえんだ。
「狐さま、おりいってお願いがあるのですが」
「なんなりと」
 小夜はいたずらっぽく笑う。
「小梅さんと、結婚してください」
 狐がきょとんと小夜の顔を見返した。
「今、なんと?」
「小梅さん、狐さまがお好きなんです。狐さまを見るたび顔を赤くして。女房になったことも、本当にうれしそうで。私も、しら様も、しあわせになれないのなら、せめて小梅さんだけはと思うんです」
「小夜」
 狐がそっぽを向いた。顔が赤く見えるのは、夕日のせいなのか違うのか。
「これで、小梅さんは正式な理由で巫女をおりたことになるでしょう? 私が願うことはできる限りかなえると、そうおっしゃってくださいましたよね。私が小梅さんにできることは、これくらいなんです」
「そなた、わたしをおどす気か」
「めっそうもありません」
 小夜はくすくす笑った。狐もつられたように笑い、承知した、とつぶやく。
「そなたの願い、聞きいれた。山の神の儀式が終わり、わたしが神職をおりると同時に、小梅を妻にむかえると、ここで誓おう」
 次は小夜がきょとんとする番だった。こんなにあっさりと聞きいれてもらえるとは思わなかったのだ。
「案ずるな。この狐田翔次郎、嘘はつかぬ。この数年、見あい話ばかりで困っていたのだ。小梅ならば器量もよいし、よき妻となろう」
 狐はゆかいそうに笑い、次は無茶を言いだしてくれるなよとつけたして、長いこと一人で笑い続けた。

     *

 小夜は一日の大半を、最上階の大広間で過ごしていた。たいていは狐と一緒だったが、やはり狐も儀式が近づくにつれ忙しくなってしまったのだろう。小夜ひとりで過ごす時間が増えていた。
 早朝と夕方には神楽をながめて絶影のことを思い、そのほかの時間は桑の実村を見つめて母を思い、厩の屋根を見つめて武丸と馬たちのことを思い、狐の屋敷を探して小梅を思う。が、四日目にはさすがに北側の窓いっぱいに広がる山から目が離せなくなり、ため息ばかりついていた。
 そして、儀式前夜。
 小夜は窓の障子の前にひざをついて厩の屋根を見つめていた。火事で燃えてしまった厩は建築途中で、やっと屋根が組みあがったところ。馬たちはそのそば、馬場の横に建てられた仮の馬房の中にいた。絶影は何も知らないままのんびりと眠っているのだろう。まさか明日、おそろしい神の生贄になるなんて、考えてみたこともないだろうから。
 ふいに、階段の下のあたりから、ぼそぼそという音が聞こえてきた。階下で誰かが話をしているのだろうが、遠いせいか、何を言っているかまでは聞き取れない。
 小夜は耳をそばだてた。声は遠くなり近くなり、ぼそぼそとたえまなく続く。
 と、急に声が大きくなった。声の主が狐だ、とわかった瞬間、どぅん、と何か巨大なものを投げ飛ばしたような音がひびいいて、障子ががたがた音をたててゆれた。
「俺のことにかまうな! 放っておけ!」
「放っておけるはずがあるものか!」
「巫女と狗は、俗世を捨て去り神職をまっとうするものだろう!」
「巫女と言わず、名を呼べ! 小夜と! そうあの娘も望んでいるのがわからぬか! 今日が最後の機会だ。今、会わねば、一生後悔するぞ!」
 障子がゆれる。ふすまが鳴る。小夜はあわてて階段へ向かう。階段をかけおり、小夜は目を見はった。狐と武丸がとっくみあいの大ゲンカをしていたのだ。
「おやおや、巫女を起こしてしまったらしいのう」
 小夜をのんびり狸が見つめた。どうやらケンカを止めず、見物していたらしい。いや、若い男、しかも厩ノ長と若武者という力自慢のふたりを狸ひとりで止められるはずがないと、わかっていたというべきだろうか。
「これは、はずかしいところを見せた」
 烏帽子をふきとばされ、ざんばらの長い髪をたらした狐がわびた。武丸ものっそりと立ちあがり、小夜を見つめている。小夜も、まじまじと武丸を見つめた。
 火事の前日を境に一度も見ていなかった武丸の素顔。狐に殴られたのか、いや、殴られたのならば左右まったく同じ場所にあるはずがない。あざかと思うほどくっきりと、目の下にくまができている。
 小夜の視線に、武丸はやっと自分が仮面をつけていないことを思い出したようだ。さっと目を伏せ、うつむいて顔を隠した。
「巫女には、失礼を申した。おわびいたす」
「犬にぃ」
「その名で呼ぶな」
 小夜は、そっと武丸に歩みよろうとした。それにこたえるように、武丸が、ざり、と後ろへさがる。
「犬にぃ……」
 もう一度、名前を呼んだ瞬間、ぽろりと涙がこぼれた。
 一歩、もう一歩。小夜が、そっと武丸へと近づいていく。武丸が、後ろにさがるのをやめる。小夜と武丸の距離が、あとほんの数歩になった瞬間。
 武丸が、だっと前へ飛び出した。小夜をつきとばす。よろめき、足をすべらせた小夜の上に、武丸が馬乗りになった。こぶしを固め、それを高く上へふりあげる。歯を食いしばり目をぎらつかせた鬼のようなその顔から、ぼろりと大粒の涙がこぼれるのを、小夜ははっきりと目に焼きつけた。
「武丸、お前!」
 こぶしを振りあげた姿勢で固まっていた武丸を、狐が突き飛ばす。武丸は後ろへ転がって受身を取ると、顔を片手で隠し、誰も追えないほどの勢いで五重塔を出る階段をくだっていった。
「犬にぃ! 待って!」
 小夜は叫ぶが、武丸は戻ってこない。追おうとするものの、腰がぬけてしまったのか、立つことも満足にできなかった。
「大丈夫か、小夜!」
「なんというやつじゃ! 巫女、ケガはないか?」
 狐と狸が小夜を助け起こし、口々に武丸をののしった。
「泣いてた、犬にぃ」
 つぶやきながら、小夜もずっと、涙を流していた。
「私に大けがをさせて、巫女からおろそうとしたんだ、犬にぃ……」
 小夜の背をさすっていた狐の手が、びくっと止まった。しゃくりあげながら、小夜は狐に笑いかける。
「ありがとうございます、狐さま。これで、こころおきなく、巫女の役目をはたせます。最後に狗じゃなくて、犬にぃに会えたの、私、すごく、うれしかった」
 狐と狸が視線を交わす。狸はまったくの無表情、狐は月光の中でもそれとはっきりわかるほど青ざめ、顔をひどくゆがめていた。



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