その鎧で私を殺せと女は言った。
 恨みであろうと、憎しみであろうと。強い想いを抱いた者のかけたまじないはどんな名工の技より強い力となって鎧に移るという。だからお前に作らせる。作れぬならば即刻お前の首も絶つ。
 想いで人が死ぬならば私を呪い殺してみるがいい。その呪いを纏って鎧となし、私は敵兵全てから畏れられる将となろう。
 夜叉公主アルビニアは鬼火の双眸をジャクスに向け、紅唇の端を吊り上げた。

     *

 四つの鉄の輪を五つ目の輪で束ねる。それがふたつできたら横に並べて、並んだ四つの輪を束ねる。
 絶え間なく響く金槌の音と鉄板を金鋏で切る音、男の荒い息遣いのなかで。ジャクスは鉄の輪にふうっと息を吹きかけた。四つの鉄の輪を通してペンチで留める。テーブルの上には鎖を繋ぎ合わせたすだれのようなもの、左脇の箱の中にはいくつかの鉄の輪っか。ひとつふたつと指先で弾いて残りを数えた。
 長い木の棒をとって針金を巻きつける。ぐるぐる巻いてコイルを作り、それを金切り鋏で切って輪を作った。あとは同じことの繰り返し。鉄の輪に息を吹きかける。四つの輪を五つ目の輪で束ねる。それができたら横に並べて、並んだ四つの輪を束ねる。二本のペンチを握り続けた手はマメが破れて血みどろだ。
 公主はばかだ。この一息一息に呪いをこめろと、そんな器用なことができるものか。本来なら主のために祈りを込める、アルビニアには呪いをこめろと求められているその息には何の想いも込もっていない。本気で人を憎むことにどれだけ体力を使うと思っている。食事は一日一度だけ、鎖を編むほかは重労働ばかり任されて、その日を生きることさえ精一杯。そんな人間に本気で呪いがかけられるものか。
 じゃらんと鎖の束が投げられる。赤錆だらけのチェインメイル。それを持って立ち上がる。砂がいっぱい入った桶へ沈めて長い棒でかきまぜた。どっと全身に汗を噴く。ただでさえ血みどろの手はまた新しい血に濡れて、筋肉が燃えあがり役立たずのものになる。目はぼやりと白い壁を見据えるばかり。ざりざりざり。砂を混ぜる。ざりざりざり。錆が剥がれおちるまで。
 ざりざりざり。胸の中は砂と鎖が噛みあう音ばかり。
「小僧、これだけしかできていないのか。このままだと間に合わんぞ」
 錆落としをするジャクスの横で親方が作りかけのチェインメイルを確かめていた。幸か不幸か連れてこられたこの国では言葉に不自由しなかった。
「手前の命がかかってるんだ、わかってんのか。なんでちゃんとやらん?」
「わかってます。やればいいんでしょ、やれば」
 建前上でも親方は親方だ。前の親方にこんな口を叩けば顔が曲がるほど殴られた。けれどこの親方は怒らない。黙り込んでため息をつく。そのまま黙ってジャクスを見ている。
 ジャクスの前の親方はとかく手の速い男だった。好きな男ではなかったが、ジャクスの育ての親だった。そんな親方はアルビニアに殺された。
 職人町の全てが焼き尽くされ蹂躙された。武器防具を多く生産する町、ジャクスの国を落とそうとするアルビニアが狙ったのも理解はできた。焼け出された職人たちは町の広場へ集められた。職を聞かれた。鎧職人見習いです。行かされた広場の端には親方や兄弟子たちがいた。互いの無事を喜んだのもつかの間、狂った公主がやってきた。ひとりひとりの顔を見て、ジャクスひとりを残しその場で全員切り殺した。そうして言ったのだ――その鎧で自分を殺せ。
 刀鍛冶、弓師、蹄鉄工……生き残りはそれぞれの職業でひとりずつ。皆で公主の凱旋土産になった。そして敵国の王都で工房に入らされ、公主の武装をいやいや作らされている。
「マエストロ・ロニ! ここにいるか?」
 不意に工房の入り口で親方を呼ぶ声がした。若い女の声だ。金槌が鳴る音、番線を着る音、金具がきしむ音、工房でやかましく響いていた武骨な音が一瞬にして静まり返る。あとに響くのはジャクスが砂をかきまわす音と女の高い足音だけ。
「姫様。これはこれは、むさくるしいところへようこそおいでくださいました」
 ジャクスも横目でじろりと見る。夜叉公主じきじきの到来だ。
「ロニ、出立が早まった。頼んでいた鎧の納期を早めてもらえるか」
「なんと。いかほどでしょう?」
「十日後にここを発つ」
 鎧職人たちが視線を交わす。予定では二十日だった。アルビニアの部下のものも合わせてかなりの数の鎧を作ることになっていたはずだ。
 親方が十日でできる鎧の数を言う。アルビニアがそれに加えて中古の鎧の調整を頼む。親方がそれを謹んで受け、弟子に指示を飛ばし始めた。
「お前も急げ」
 嘲笑うような女の声に胸の奥がじんと冷えた。
 恨むものか。ざりざり砂を混ぜながら息を詰める。何も表情に出さぬように。
「錆落としはもう構わん。作業台に戻れ」
 親方にかき混ぜ棒をつかまれる。顔を伏せて作業台に戻り、冷えた指先で輪をとった。鬼火のまなざしを背に受けながら。
 恨むものか。がちがち震える手を口元へ寄せ、鉄の輪に息を吹きかける。恨むものか恨むものか恨むものか。この狂った女の言いなりになど、なるものか。

     **

「姫様、お待ちを!」
 ロニが声を張り上げると、城へ戻りかけていたアルビニアが金髪を揺らして振り向いた。
「おそれながらジャクスは悲しみのあまり働く気力を失っているようです。どうか今回はわたしの鎧をお使いください。もとよりあれは見習いの身、鎧作りの経験はありません。チェインメイルが精一杯なのです」
 無礼は重々承知している。この美しくも猛々しい公主の胸中もある程度は察しているつもりだ。だがこれではジャクスがあまりに不憫すぎる。もし自分の工房が襲われ、弟子がひとりずつ目の前で殺されたら。一番年若い弟子が捕虜としてひとりだけ敵国へ連れて行かれたら。そこで鎧を作れ、自分の好みの出来でなければ殺すなどと脅されたら。弟子は全て息子同然、想うだけで胸がつぶれそうになる。
「それでは意味がないのだ。お前は知っているだろう、私は狂気の姫でなければならない」
 即答だ。アルビニアは燐の火に似た青い瞳を静かに伏せ、皮肉めいた苦い笑みを浮かべてみせた。
「……ジャクスが作らぬなら切り捨てる。もともといないはずの職人だ、消えても支障あるまい?」
「姫様」
 静止の声ももはや届きそうにない。話は済んだとばかりきびすを返し、つかつか去っていくアルビニアをロニは声もなく見送った。

     ***

「早くチェインメイルを作れ。姫様は本気だ。殺されるぞ」
 再三言っているのにジャクスはずっと上の空だ。チェインメイルを作る以外の仕事は全て免除したのに、気がつくと砂の樽をかきまわしている。錆びたチェインメイルを磨くのは多くの工房で下っ端の仕事だ。だが見習いにとっては掃除その他の雑用の次に任される仕事、初めて防具に直接触れる仕事でもある。ジャクスはもといた工房でもこの仕事を任されていたのだろう。
 しばらく好きにさせてやりたい。だが命がかかっている。
「ジャクス」
「ほっといてくれよ」
 つきっきりで見てやりたいくらいだったが、悪いことに時間がなかった。工房は小用に立つ間もない忙しさ、十日などあっという間に過ぎ去ってアルビニア出陣の日がやってきた。
「お前の町から来た鍛冶師が死んだ。今しがた工房へ行ってみたらこの剣を胸に突き立て絶命していた」
 工房に現れるなりアルビニアはジャクスの作業机にやってきて、腰の剣をこれみよがしに鳴らしてみせた。
「お前も無事、仕上げたようだな」
 アルビニアが壁にかけてあったチェインメイルを取る。夜の間に前身頃しかできていなかったジャクスのチェインメイルを隠し、ロニが以前作ったものをかけておいたのだ。
 言うな。ジャクスに目で合図する。黙っていろ、何も言うな。
 アルビニアを騙すのは気が引ける。たばかったと知れれば気性の激しい姫のこと、処刑を言い渡されてもおかしくない。だがこのままジャクスを見捨てるわけにはいかない。
「これはロニ親方が作ったものだ」
 思わず大声をあげかけた。この大馬鹿者が!
「守る鎧を作るために工房へ入った。呪うために鎧を作る気はない」
 アルビニアの頬が朱を帯びている。ジャクス自身は口元にかすかな笑みさえ浮かべて。
「ほう? そこまで言うからには覚悟は十分だな」
「姫様、お慈悲を!」
 ロニの嘆願に耳も貸さずアルビニアは剣を抜き、そして。
 ご、とん。
「守るためだけの鎧がどれだけ脆いものか……」
 工房は静まり返っている。血に塗れた剣は、荒っぽい、だが手に取るのを一瞬ためらってしまうようなおそろしいものを纏っていた。狂死した鍛冶師の鍛えた一振りの剣。
 こんな鎧が欲しかったのか。この魔剣のような鎧が。
「着せてくれ、ロニ」
 アルビニアは剣をおさめ、返り血もそのままにロニの鎧を指し示した。
 姫様。己の祈りで編んだチェインメイルを、その上からプレートアーマーを震える手で着せかけながら、ロニは声を出さずに呼びかける。動かぬ弟子を視界の端にとらえながら。
 そんな鎧は、鎧ではありません。鎧は守るためにあるものです。

     ****

「陛下、行ってまいります」
 アルビニアとは対照的な、病弱な兄王に礼をとる。性格も対照的で兄はおっとりした、穏やかで優しい王だった。親族や大臣たちが虎視眈々と足元を掬おうとしていることも知っている。むろん身内だけでなく隣近所の国々も。
 アルビニアは夜叉公主、兄王に絶対の忠誠を誓う血に酔いしれた狂気の姫。演じることで守れるものがきっとある。自分が男であったなら、侮蔑と無縁の猛虎のような将ならば。向かってきたものを防ぐだけではいけない。向かってこようとする気持ち自体を叩きのめさなければならない。全てを真面目に受け止め防いでいたら――いつか、砕ける。だから。
「アルビニア軍、出陣!」
 アルビニアは兜を深くかぶり、魔剣を高々と突き上げた。


Fin.


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