第一部 第一章 3「出動」 上

 テーブルに夕食が並んでいた。たくさんパスタが入ったスープに、パンに、サラダ、ハッシュドポテト。ハムやチーズもこれだけの人数で食べきれるかわからないほど並べられている。
「食べないの?」
「何から手をつけていいか、わからなくて」
「何でも好きに食べていいんだよ。早く食べなきゃ、なくなるぞ」
 言いながらも、フギンはフォークを持つ手を休めていない。
 アラーハ以外の全員が集まって思い思いに食事を取っている。肉ばかりをとっていくフォーク、優雅にスープをすくうスプーン、ものすごい勢いでパンを口に運ぶ手。貴族を思わせるような食べ方の者もいないではなかったが、フギンをはじめとして大半が酒場で肉を食らうような、はたから見ていれば「ならず者」に見える食べ方だった。
 男らの食欲にウラルも何か食べたくなって、大きな皿に盛られたサラダを手元の皿にとる。口に入れてみると、すっと鼻に通るような香りと辛味が口の中で広がった。
「みんな、食べながら聞いてほしい」
 ジンがナイフを置いた。机の下でひっきりなしに膝が揺れている。癖らしい。
「明日、アラスへ行こうと思っている」
「アラス地区が襲われたのですか?」
 参謀イズンの問いにジンがうなずく。ムールに乗って南へ行ったとき、見えた村は焦土だった。あのときアラス地区まで行っていたのだろうか。とにかくウラルの村の時のような戦になるようだ。
「今から行って間にあいますか?」
「わからん。だがウラルの村の件もある。近隣の村がいくつか襲われるかもしれん」
 ジンは鋭い光をたたえた目をリゼに向けた。リゼは両手をひざに置き、黙ってジンの視線を受けている。
「〈アスコウラ〉はリゼの部隊だったな」
 〈アスコウラ〉とは何だろう、とウラルは首をかしげる。何かの名前だろうか。リゼは真剣な表情でうなずいた。
「全員が動ける準備をすればいいですか?」
「そうだ。ムールも頼む」
「わかりました。明日の夜明けにでも鳥に手紙を届けさせましょう」
 ジンはうなずき、全員を見回した。身動きする者はいない。全員がフォークとナイフを置き、ジンのほうを向いている。机の下で揺れていたジンの膝が、不意にぴたりと動きを止めた。
「みんなも準備をしてもらいたい。ウラルもだ」
 ぎょっとしたような全員の視線がウラルとジンに集まった。ジンはそれが当然であるかのようにうなずく。
「私も?」
 面食らって、裏返った声をウラルはあげた。
「ああ。長い行進になる。よく寝ておいてくれ」
「ちょっと待ってよ。ウラルはここに残るんじゃないの?」
 茶をいれてきたマームが声をあげる。
「連れていくつもりだ」
「何考えてるのよ。ウラルを殺す気?」
「ウラルに決めてもらいたい。ここに残るのか、新しく暮らす村を探すのか」
 ウラルは肩を震わせた。ジンらがウラルを追い出すことはないだろうが、さすがにずっとお世話になるわけにはいかない。はやく身のふりを決めなければならないのだ。
 立ったままマームは怒気をふくんだ声をあげた。
「決まってるじゃない、新しい村を探すのよ。ここにいたって仕方ないじゃないの」
「俺はウラルに決めてもらいたいんだ」
「それにしたって、今決めればいいことじゃない。つれていく意味は何?」
 ジンの射抜くような視線が、ウラルをとらえた。
「ウラル、お前に見てもらいたい。リゼから今日のことは聞いた。戦乱が食いとめられるものなのか、本当に天災のようなものなのか、お前の目で見てほしい。村を新しく探すにせよ、その前に知ってもらいたい。そんな考えのままでいてほしくないんだ」
 またマームが何かを言いかけたが、「邪魔をするんじゃないよ」とサイフォスがたしなめた。ジンはウラルを見据えたまま「ありがとう」とサイフォスに言い、続ける。
「お前や、農民みんながそんな考え方をしているなら、俺たちはここで解散するしかない」
 重々しい雰囲気の中、一拍をおいてジンはマームのほうを向いた。
「マーム、ウラルの分も弁当をたのむ。荷物の面倒をみてやってくれ」
「それが理由なわけ? それで彼女の命を危険にさらそうっていうの?」
「マーム、頭目のご命令だ」
 マームは口を開きかけたが、何も言わなかった。言葉を飲み込むようにマームは息を吸い、口を開く。
「わかったわよ。何があっても私は知らないからね。準備すればいいんでしょ」
 怒りのためか頬を朱に染めてマームはきびすをかえした。マームの足音がいやに響く。
 マームの手がドアノブに触れる前に、部屋の外側からドアが開けられた。アラーハだった。
「アラーハ、食事は?」
 アラーハが「どうしたんだ?」という目をした。マームの声にはあからさまなトゲがある。
「必要ない」
「たまにはうちで食べたらどうなのよ? いつも食事が終わるのを見はからったみたいに入ってきて」
 口を閉ざしたアラーハをマームはにらみつけた。
「アラーハに『お帰り』の一言もないのか? 失礼だぞ」
 夫の声にマームは答えず、乱暴にドアを閉めて階段をおりていった。
「えらく不機嫌だな」
「悪いな、アラーハ」
 恐縮するサイフォスにアラーハは「気にするな」とそっけなく答え、ウラルの隣に座った。森の中にでもいたのか、強い草の香りがする。
 ジンの膝が、ほっとしたかのようにまた揺れはじめた。
「アラーハ、明日アラスへ行くことになった」
 ジンとアラーハの雰囲気や話し方が似ていることに、いまさらながらウラルは気づいた。
「襲われたのか?」
「ああ。一緒に来てくれるか? 遠出になるが」
 アラーハの黒い瞳がウラルを見た。まるで獣のように、その目が光る。
「その子も行くのか」
「つれていくつもりだ」
「どれくらいで戻れる?」
「十日は見ておいたほうがいい。だが、秋が終わるまでには充分戻れる」
「わかった。行こう」
「助かる」
 ジンは再び、全員を見回した。
「明日、ナタ草が黄色になるころには出発したい。準備しておいてくれ。解散」
 ナタ草はタンポポに似た花で、日のあたる場所ならたいていどこにでもはえている。一日に八度、赤、橙、黄、黄緑、緑、青、藍、紫と花の色を変える植物だ。真夜中に赤、真っ暗なうちに橙へ色を変え、陽が差すころ黄色になる。明日の早朝とはずいぶん急だ。
 解散、と言われて席を立ったのはジンと律儀なイズンだけだった。残りは席にとどまって、止めていたフォークとナイフを動かしている。
 ドアが開いてマームが入ってきた。鎖の束かなにかを腕にひっかけている。
「ウラル、これ、探しておいたわ。鎖帷子。着かたがわからないと思うから、食事が終わったら呼んで。向かいの部屋にいるから」
「あ、食事、終わってます。すぐに行きます」
 ウラルは立ち上がって食器を片付け、部屋に入った。
「ミーティングは済んだ?」
「はい」
 マームは床に並べられた物を指した。
「とりあえず、準備はしておいたわ。これが鎖帷子。服をたくさん着こんで、その上に着るのよ。じゃないと、痛いからね。それと短剣。これ以上の武装はしないほうがいいわ。兵士とまちがえられるから。あと着替えも。ほかに必要なものがあるなら自分で足してね。これ、着てみて」
 ウラルはじゃらじゃら鳴る鎖帷子を言われたとおりに身につけた。ウラルの首もとから膝上までをワンピースのように覆うものだ。袖はない。ずっしりと体が重くなった。鉄くさいにおいが鼻をついたが、これで矢があたっても致命傷を避けられるのなら、がまんしたほうがいい。
「本当に行くの? 行きたくなければ言えばいいのよ。ジンがああ言っている以上誰かを護衛につけてくれるんでしょうけど、死なない保障はないんだから」
 ウラルは小首をかしげ、ほほえんだ。
「私、行ってみたい。ジンたちの考え、理解してみたいの」
 マームは疲れたような笑みを浮かべた。
「わかったわ。くれぐれも死なないでよ。死んじゃったら何を見てきても意味がないんだからね。火神と水神のご加護がありますように」
 火神は戦の神だ。「火神のご加護」と言った場合は、「勝利を祈る」という意味になる。水神は火神とは対照的に平和を愛する神で、いつもどこかを放浪しているといわれていることから、旅の守護神とされている。「水神のご加護」は「旅の安全を祈る」という意味だ。
 ウラルがうなずくと、マームも疲れたような笑みを返してドアを閉めた。
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