第一部 第二章 3「父ふたり」 下

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 丘の天幕から国境のすぐ近くにあるルダオ要塞へ、フェイス軍と〈スヴェル〉軍は翌日中に移動した。夕方にはフェイスの使者にともなわれた〈ゴウランラ〉と〈エルディタラ〉も要塞に到着し、フェイスやダイオ、その部下数人やジンをはじめとした主要のメンバーでミーティングが開かれた。〈ゴウランラ〉は敵兵の天幕や陣形を調べあげており、奇襲をかけるなら早いほうがいいと、その夜のうちに襲撃をかけることが決まった。
 ウラルが城壁から見守る中、遠くに、小さな火の手が上がった。はじめはひとつだったものが二つになり、三つになり、大きくふくれあがっていく。
 ウラルの耳に、隣に立っているアラーハには聞こえない赤ん坊の泣き声が響いていた。半年前の、あの日に似た光景だった。
 〈スヴェル〉軍を見慣れていたし、ジンとフェイスのことが気になっていたせいか今まで忘れていたが、ウラルの村は自国の兵士、おそらくはこの軍の兵士に襲われ、焼きつくされたのだ。今になって怖い。
「寒いか?」
 ウラルの震えに気づいたらしいアラーハが声をかけてきた。寒い、と答えると、アラーハは自分の上着をぬいでウラルの肩にかけた。アラーハが着ると股下までのコートの裾がウラルのくるぶしまでを覆う。
「アラーハは寒くない?」
 ウラルが戦場へついてくるときは必ずアラーハが護衛についてくれていた。城壁のような護衛のいらない場所でも変わらない。ウラルの安全はもちろん、心細いのを知ってジンが気をまわしてくれたのだ。 ウラルといるときは心なしかアラーハも口数が多くなった。
「俺は獣だからな。多少の寒さは大丈夫だ。暑さのほうが、よほどつらい」
 アラーハはコートの下にも毛皮を着ていた。アラーハ自身の毛皮だ。いつの間にか夏毛のベストからふかふかした冬毛のジャケットにかわっている。
「ありがとう」
「人間が作ったものは好かん。気にせず、着てろ」
 闇の中に煙があがっている。炎の煙に、土煙がまじった。〈スヴェル〉軍、六百五十頭の馬蹄。暗い中で人馬のシルエットがぼんやりと浮かびあがる。
 フェイスが駐留する国境のシャスウェル要塞からの松明で、先頭の顔が見えるようになった。血まみれになった姿。血臭がウラルの鼻をつく。ウラルは体の芯が震えるような感覚を覚えた。
 ジンは、襲撃者の、顔をしていた。

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「ジン殿、お見事でした。あの軍師殿、よく考えつきましたな。敵陣を人よりも先に蜂に襲わせるとは。私などでは到底思いつかない戦略です」
 皮肉がこめられたダイオの口調に、ジンは「恐れ入ります」と丁寧に会釈を返した。
 本格的に敵の陣営を襲う前、ジンは毒蜂の巣をいくつも投げこんでいたらしい。軍医であり同時に奇策士であるネザの案だった。敵が動転したところを一気に攻めたという。そう、宴の中での会話でウラルは知った。
 勝利を祝う宴のはずなのに、場が盛り上がりに欠けていた。
「しかしジン殿。この戦、どう見ますか」
 どんな時でも穏やかな口調をくずさない老将がジンに問いかけた。
「あっけなさすぎました。誘っているようにも感じましたが」
「やはり、そう思われるか。私もあの程度の敵に二千五百の兵をぶつけようとは思わない。何かあるな」
 歴戦の武将として先輩風を吹かせるかのように、ダイオが声を大きくした。
「ダイオ卿はどう考えていらっしゃいますか?」
「罠があるなら、あまり動かないほうがよかろう。わざわざ誘っているのだから、こちらが動かない限り相手は手出しができないということだ。かといって、このまま放置しておくわけにもいかぬ」
 ジンが下手にでたので、ダイオは気をよくしたようだ。まるで王都の物売りのように一気にまくしたて、酒をあおる。ずいぶんと酒が入っているようだ。
「フェイス将軍もそうお考えのようだ。あれほど激しく攻撃されては、しばらく相手も手出しができないでしょう。篭城ということになりそうですな」
 カフスが両者をたてるように締めくくった。篭城ですか、とジンが呟く。
 サイフォスやマライ、イズンは場に残って話を聞いているが、リゼや新しく合流してきたフギンはさっさと退散してしまっている。ウラルも彼らにならうことにした。
 フギンは〈エルディタラ〉の仲間と、楽しそうに団欒していた。
「ああ、ウラル。お頭たちの方はどうだ?」
「飽きちゃって。ろくに話も聞いてない」
 フギンは笑い、腰を浮かせた。
「どこか行くの?」
「ああ、馬の様子を見に行くんだ。ステラが流れ矢にやられて。かすり傷だから、命に別状はないよ。一緒に行く?」
「うん、行きたい」
 まわりの者が笑い声をあげた。このところウラルは「元気のいいお嬢さん」で通っている。男の服を着て馬を乗りまわし、戦場にまでついてくる男勝りの女。ほほえましく見守ってくれているらしい。
「ウラルが行くなら、俺も行きたいな」
「バカ野郎、汗くさすぎてウラルが嫌がるでしょ。ね、ウラル」
 数は少ないが、〈エルディタラ〉には女もいる。ウラルなどとは比べ物にならない男勝りな姉さまがただが、身近に女がいるのは嬉しいことだった。〈アスコウラ〉や〈ゴウランラ〉にはただの一人も女性がいない。たしかに「汗くさすぎて」肩がこるのだ。
「汗くさくってもいいよ。みんなで行こう」
 ウラルが思わず笑うと、フギンの仲間はそれぞれ顔を見あわせた。
「やっぱり女の子はこうでなくっちゃなぁ。お前らみたいなやつは女のうちに入らん。やっぱり」
「失礼な野郎だね。この胸が目に入らないの?」
「胸だけだろ、お前は。他はどっからどう考えても男だ」
「先行ってるぞ。来るなら来いよ」
 強引にフギンは話を打ち切り、すたすたと歩きはじめる。笑いながら様子を見ていたウラルはあわててフギンの後を追った。
「ごめんな、ウラル。あんなやつらで」
「どうして謝るの? いいじゃない、楽しい人たちで」
「そうかぁ?」
 フギンはまんざらでもなさそうな顔をした。
「うん、下品だけど、いいやつらではあるよな」
 確認するようにうなずき、フギン特有の人なつっこい少年のような笑みを浮かべた。
「そうそう。俺らっていいやつらだよなぁ」
 ひょいと後ろから男が顔をのぞかせた。
「この単細胞。盗賊にしては、って意味だ」
「盗賊じゃねぇし。もと盗賊の〈エルディタラ〉だ! イェーイ!」
「フギンさんわかってるねぇ!」
 フギンは「バカ野郎!」と叫びながら、男の頭をはたいた。きゃらきゃらと大声で笑うフギンらを見て、ほかの組織の者まで指をさして笑う。元をたどればほぼ全員が「ならず者」なのだ。堅苦しさや辛気臭さはみんなが苦手のようだった。
 フギンの仲間〈エルディタラ〉はフギンも含めた全員が「元」盗賊なのだった。今は性根を入れ替え、国のために戦っている。
 大笑いしながら厩舎へ行くと、驚いたように数頭の馬が顔をあげた。急ごしらえであるという見た目はどうしようもないが、ちゃんと一頭につきひとつの馬房があてがわれている。四百頭の馬すべてにだから、贅沢の言いようがなかった。
 手わけしてすべての馬に少しずつワラをくばり、ちゃんとボロ(糞)をしているか、水は十分にあるかを見てまわる。背や尻に包帯の巻かれた馬が何頭かいた。フギンの愛馬ステラも腰に包帯が巻かれている。
「大丈夫そうだな。ワラもよく食ってるし」
 フギンは愛おしそうにステラの首をなでた。
「なぁ、ウラル。お前、軍が憎くないのか?」
 さりげないフギンの口調だったが、言葉の芯に緊張したものがあった。
「わからない」
 ウラルの村は軍に襲われ、焼きつくされたのだ。その軍と今、行動を共にしている。
「わからない、って。お前」
 ウラルはうつむいた。わからない、としか答えようがないのだ。絶対に復讐してやる、とかそんな気持ちはないのだが、許す気には到底なれない。
「フギンはどうなの? 軍のこと」
「うん。俺さ、〈スヴェル〉に入るまでは盗賊だったから。〈エルディタラ〉はそのときの仲間なんだけどさ。だからあんまり軍にいい印象がないんだ。仲間もいっぱい殺されてるし。だからウラルはどう思ってるのかなと思って」
 そっか、とウラルは相槌を打って、顔をあげた。
「あれ?」
 馬房はそれぞれ区切ってあるとはいえ骨組みだけで、壁はない。ステラの背越しに点々と火が見えた。どうやらたき火のようだ。ジンに追いちらされた敵がもどってきたらしい。
「あの連中、しょうこりもなく戻ってきたな」
 がちゃり、とフギンの腰で剣の金具が鳴った。また戦いになる。
「みんなに知らせなくていい?」
「知らせとこう。俺は見張りのところに行くから、ウラルは大将に伝えて。大至急な」
「わかった」
 ステラの隣でワラを食んでいたフォルフェスの首を軽く叩き、ウラルは走りだした。息があがったが、止まらずにジンのいる客間まで走り抜けた。
「ジン、敵軍が城壁の外に」
 戸を開けると同時にウラルは叫んだ。中にいたのはジンとカフスの二人だけになっていた。
「ああ。さっき、見張りから伝令がきた。ダイオ卿が守備にあたってくださったから、大丈夫だ」
 落ちつきはらった様子でジンが答える。 カフスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐ柔和な表情に戻り、笑った。
「元気のいいお嬢さんだ」
 もと盗賊に言われるならともかく、カフスにまでそう言われるのはさすがに恥ずかしい。ウラルは息をはずませながら真っ赤になって頭をさげた。
「申しわけございません」
「謝る必要はないですよ。敵のことを教えてくださったのですから、むしろこちらが礼を言わなければならない立場。さ、お座りなさい。酒はいかがかな」
「お酒は飲めませんので、すみませんが」
 ウラルはすすめられた椅子に座り、できる限りおしとやかに見えるよう姿勢を正した。カフスばかりかジンも笑う。
「では、お茶をお出ししましょう。それとも、お水のほうがいいですか?」
「お茶で」
 ウラルは顔がほてるのを感じた。カフスはほほえみ、小姓にお茶を持ってくるよう言いつける。
「ジン殿、もう一杯、いかがかな?」
「ありがとうございます」
 ジンはカフスが差し出した酒瓶をゴブレットで受け、一息に飲み干した。なぜか、そこにウラルが五つの年に徴兵され、戻ってこない父の姿が重なった。
「カフス将軍、おそれながら、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「私に答えられることなら、なんなりと」
 ウラルは個人的なことをここで言っていいのか迷いながら、カフスとジンのふたりの目を見る。ジンが声を出さずにすっとうなずいて、言うんだ、とうながした。
「シャスウェル地区リタ村出身の、モラン・レーラズ、ナウト・レーラズ、ディンド・グンニルの三人をご存知ですか?」
 モランはウラルの父、ナウトは兄。ディンドはウラルの婚約者だ。三人とも、何年か前に徴兵されてから、一度も帰ってきていない。
「ええ。三人とも、廊下ですれ違った程度ですが、知っています」
 カフスの表情が曇った。嫌な予感がする。
「この要塞の警護にあたっていたようです。つい半年前までは、三人ともお元気でした。しかし、コーリラ国、いえ、ベンベル国との戦が始まり、その初期の襲撃で、この要塞も攻撃を受けたそうです。そのときに亡くなった二百人の中に、三人も含まれていたと記憶しています。ご家族ですか?」
 ウラルは顔を伏せ、はい、と小さく答えた。ご冥福を祈ります、とカフスが応じてくれる。
 三人とも、戦死していた。ぐっとつむった目の裏に家族の姿が浮かんだ。
 小姓がお茶を持ってきた。ウラルはカップを手で包み、口に近づける。わずかに煙のにおいが鼻の奥に香った。思わずカップを置き窓を探す。窓はすべてふさがれていた。矢や敵の侵入を防ぐためなのだろう。
 ジンとカフスは悠々と酒をくみかわしている。まるでここがカフスの個人的な家で、ジンがお招きにあずかっているかのようだ。
 ウラルは口元を押さえた。血の臭気が鼻の奥に広がっていた。
「どうされましたか? ご気分でも?」
 カフスがウラルの様子に気づいたようだ。
「いえ、大丈夫です」
 反射的に言ってしまってから、ありがとうございます、とウラルはつけたした。黙ったままのジンの目がウラルを見ているのを感じる。
「カフス将軍、もうひとつ、おうかがいしてもよろしいでしょうか?」
 ウラルの声に思わず力がこもった。ここで言わなければ、後悔する。
 ジンの目が鋭い。ウラルが何を言おうとしているか、知っている目だ。
「私の村は軍に襲われて、焼きつくされました。私は村を追われ、村はずれの陶芸窯の中に逃げこんで一命をとりとめました。ここにいるジンとはそのときに出会い、助けてもらったんです。翌朝、ジンは隣村まで私を送ってくれようとしたのですが、その隣村も襲われていて。隣村の人はもちろん、私の村から隣村に逃げた人も、みんな死んでしまいました」
 ジンは黙っている。ウラルをいさめもせず、酒も飲まず、ただ口を閉ざして見守っている。
「私はジンに助けられたからよかったものの、もし誰もいなければ野垂れ死ぬしかなかったと思います。父も兄も婚約者も亡くなったと今、お聞きしたばかりですし」
 ウラルは軍を恨んでもいい立場にいる。
 ウラルは姿勢を正し、カフスの目をしっかりとのぞきこんだ。
「カフス将軍やフェイス将軍が、そんな軍の統率者とは、とても思えません。こんなに穏やかに笑ってらっしゃる方の部下様たちが、なぜ私の村を焼いたのですか? なぜ私の大切な人たちを殺してまわったのですか?」
 顔の見えない相手なら恨みもしただろうが、ウラルは軍を知り、軍の中にいる人々と知り合った。軍の人間がみんな極悪非道の悪人だったら、ウラルも容赦なく軍を憎んだだろう。が、知りあってみれば、国を守るために全力をつくす人々だった。
「ウラルさん。私は兵を育て、まとめるのが役目です。そんな脱走兵を見逃しておいたのは、たしかに私の落ち度だ」
 カフスの目から、柔和な笑みが消えている。ただでさえ年端に勝てず深かった顔のシワがさらに深く刻まれ、はじめてカフスの表情が「いかめしい」とウラルには感じられた。
「僭越ながら」
 やっとジンが口をはさんだ。
「ウラルが求めているのは謝罪の言葉ではありません、カフス卿」
 ジンは声を荒げていない。静かな口調だ。しかしこの一言はウラルの心にもずっしりと響いた。フギン、マーム、イズン、みんなが旅立ち、ふたりだけになってしまったスカール地区の隠れ家で、マームと一緒に行くかジンと戦場へ向かうか聞かれたとき、「俺の意見で決めるな」と言ったあの口調とまったく同じだった。逃げることを決して許さない口調だ。
「ジン殿。ウラルさんも。あなたがたはふたりとも僭越などという言葉を使う必要はない、とても高貴な方々だ。誇りをもち、自分自身と戦っておられる」
 カフスの目が、柔和な老人のものではなくなっている。何百という兵の命をにぎる、将軍の目だ。
「士気が落ちているなどという一言では、とても片づけられないことです。私は兵たちに寝る場所と最低限の食事を与え、体と心を鍛えるすべを教えてきた。しかし、人としての本能と煩悩に負け、二本足の獣になりさがった下郎、脱走兵が多くいるのです。コーリラ国の不穏な空気を感じ取って、国中の兵がみんな浮き足だっていました」
 カフスの口調が吐き捨てるようなものに変わった。声に怒りがこもる。
「そして、コーリラ国は本当に滅びてしまった。今は戦時中です。むやみに兵の数を減らすまいと私たちも黙認してきましたが、やはりそれが間違いだった。いえ、軍さえよければ農民など二の次にする、それこそが私たちの落ち度であり、煩悩だったのでしょう」
 カフスは一息に言い切って、ぐっと口を結んだ。
さっきはフギンに「軍が憎くないか」と聞かれ、「わからない」と答えたが、今なら、はっきりと答えが出せる。
 ウラルの村を焼きつくし、略奪の限りをつくしたのは、もちろん許されないことだ。だが、軍に所属するすべての兵士がそんな略奪兵なわけではない。実際、ウラルの父も兄も婚約者も、今はこの世にないとはいえ、去年までは軍の一部を形作るひとりだったのだ。略奪など絶対にしないことはウラルがよく知っている。規律を守り、国を守るために命をかけている兵まで憎んでしまうのは、筋違いだ。
 カフスは両眼にこめられた覇気を保ったまま、言葉が消えた虚空をにらんでいる。その覇気がふいに、ふっと消えた。
「申し訳ありません、ウラルさん。これは、言い訳にしかすぎない。本来は私たち将軍が腹を切って謝罪しなくてはならないものですが」
 カフスが深々と頭を下げる。ウラルは何を言っていいのかわからず黙ったまま座っていた。居心地の悪い沈黙が訪れる。
「私の酒ではありませんが、もう一杯、いかがですか」
 ジンが酒瓶を持ちあげた。カフスは何も言わずに杯をとり、ジンがついだ酒を一息に飲みほした。
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