第二部 第一章 3「急げ!」 下

 力任せにドアが蹴破られる。中から現れたのは口の大きいのが印象的な、熊のような男だった。見覚えのある顔だ。
「ボウズ、剣を貸せ!」
 男、ダイオが野太い声をはりあげた。フギンがサーベルを放る。幸いにも五体満足のダイオがそれを受け止め、にやりとした。
「ひとつ借りたな! この借りはここで返すぞ!」
 ジンの実父フェイスに仕えていた派手好きの将軍ダイオが、偶然にもマライの独房の隣に囚われていたのだ。力まかせのすさまじい斬戟。一年も独房に囚われていたとは思えない威力だ。警備員がたじたじとするのがわかる。
「ウラル、片っぱしからドア開けていけ!」
 警備員から奪った槍を片手で振り回しながら、フギンが怒鳴った。ウラルはうなずき、かんぬきをはずしていく。
 自由の身になった囚人、大半がリーグ軍の人間でフギンのように片腕を失ったり指の骨を割り砕かれていたが、歓喜の声をあげ、次々と武器を奪って戦いに参加していく。見る見る間に味方が増え、敵の数の何倍にもなった。あっという間に制圧してしまう。
「このままリーグ人を全員助け出せ!」
「ベンベルの豚が! コーリラの山羊よりたちが悪い!」
 いきりたった囚人たちは片っ端からかんぬきをはずし、ドアを壊してつぎつぎと同胞を助け出していく。
「ボウズ、助かった。礼を言う」
 気づけば、ウラルとフギンの周りにいるのはダイオひとりになっていた。
「お前、〈スヴェル〉のひとりだろう。覚えているぞ」
「マライがどこに行ったか、知らないか」
 ダイオの顔が曇った。ばつの悪そうに目が泳ぐ。
「一歩、遅かったな。昨日の夜遅く、処刑の間に連れていかれた」
 フギンの顔から血の気が引いた。
「刑は?」
「絞首刑だ。もう、遅いと思うぞ」
 ここまで来て間にあわなかったのか。あと一日早く来ていれば。いや、今日の朝か昼に来ていれば。 フギンは首をうなだれ立ちつくしている。ウラルも膝をついて泣きじゃくりたくなった。
「ベンベルの、畜生」
 顔をあげたフギンの表情が一変していた。旅人を襲うオオカミのように粗暴な目。いや、それよりひどい。
「ボウズ、おい」
「全員、ぶっ殺してやる」
 止めようとしたダイオの腕を振りはらい、獣のようなうなり声をあげながらフギンが走りだした。
「やめろ、ボウズ! お前ひとりがいったところで、どうこうなるものじゃない!」
 フギンの足は速かった。あわてて追いかけたウラルとダイオも追いつけない。追いつけるとすればイッペルスの駿足を発揮したアラーハくらいなものだ。そのアラーハは居場所どころか安否すらわからない。
「処刑って、どこでやるの? こんな真夜中に?」
「ベンベル人の宗教上、太陽の出ている間に処刑をしてはならないらしい。今日は何十人も殺された。マライが呼ばれたのは最後のほうだったから、もしかすると、まだ生きているかもしれない。この監獄の門は二層になっているのだが、一枚目と二枚目の門の間が処刑場になっている。絞首刑は西門だ」
 ウラルは生唾を飲みこんだ。
「処刑場の警備は?」
「一人がぶつかったところで、どうにもなる量じゃない。一度ぶつかったら逃げることもできなくなる。西門に着く前に止めないと、ボウズは死ぬぞ!」
 処刑のためにそちらへ人数が取られたことも、今日の要塞に警備員が少なかった一因だったのだ。 ウラルは歯を食いしばり、走るスピードをあげた。わき腹が痛い。足の筋肉が悲鳴をあげている。
(ウラル。お前は、フギンのブレーキ役を頼む)
(絶対に、あいつを死なせるな。親しいやつを失うのは、もう、たくさんだ)
 アラーハの言葉は、こういう意味だったのだ。このままでは本当に、フギンまで死んでしまう。
 階段に続くドアは鍵が壊され、開け放たれていた。階段を二段とばしで駆けあがる。途中には点々と血がたれていた。フギンは怪我をしている。階段をのぼるごとに血だまりが大きくなっていくのがわかった。走っているので、傷口がどんどん広がっているのだ。
 フギンはもう、背中も影もウラルとダイオの位置からは見えない。足音がかなり上のほうから聞こえるだけだ。ウラルとダイオも全速力で階段を駆けのぼる。
 地上へのドアを開けた。そこがすぐ、西門の前だった。
 真夜中の処刑台。血のにおいが鼻をつく。絞首台が一枚目と二枚目の門の間に設置され、その周りをぐるりと百人ばかりの警備兵が取り囲んでいた。
 壇上にいるのは、マライだ。ちょうど今、首に縄がかけられようとしている。一年前まであれほど大柄でいかつい体だったのに、筋肉が落ち、覇気もなく、今はずいぶんと小柄に見えた。抵抗できないよう手かせと足かせが、がっちりとつけられている。
「マライ!」
 フギンが叫びながら槍を振りあげ、走りこもうとしている。
「やめて、フギン!」
 息を荒げながら、ウラルは歯を食いしばった。
 フギンとウラルの声に、マライは目を開こうとしたようだ。だが、できない。マライの目は、フギンの右腕と同じくらい、いや、それ以上に不自然だった。眼球があるはずの場所が落ちくぼみ、頭の骨に直接皮膚をはりつけたような感じだ。目をえぐられている。上下のまぶたが縫いつけられ、もう二度と目を開くことができないようになっていた。
 首に縄をかけられたマライの足元の台が、警備兵のひとりに蹴り落とされた。マライの体が宙に浮く。首が絞まる。マライがまったく何も見えない目でフギンを見、悲しげに顔をゆがめた気がした。
 フギンの、絶叫。
「ここでじっとしていろ。警備兵に見つかるな」
 青ざめたダイオもフギンの借りを返しに、走っていく。ウラルは膝をつき、顔を覆った。
 ウラルに力があれば。ジンが、ここにいれば――。
(もしここに、俺がいたら)
 ウラルの心の中で声がした。
(今すぐ、みんなを助けにいくぞ)
 落ち着いた、低い、男の声。
 目頭が熱くなるほどなつかしいジンの声。
 ウラルは立ちあがった。そうだ、ジンならこんなところに座りこんで、めそめそしているわけがない。
 ウラルは腰の短剣を抜いた。腹の底から声をあげる。息絶えたマライの体が、ぶらり、ぶらりと揺れていた。
 何十人もの警備兵がフギンとダイオを押し包むように取り囲んでいる。ウラルはその中に、がむしゃらにつっこんだ。
 短剣をひとりの警備兵の背後から思い切り突き刺す。いやな感覚に、全身が震えた。ぐらりと兵士がよろめく。ぎょっとした顔で振り向きざま、わけのわからないベンベル語のうなり声をあげながらウラルの右手をつかんできた。
 緑の目が、異様に印象的な兵士だ。きゅっとひとつに結ばれた栗色の髪がなびいている。そのままその兵士に短剣を叩き落とされ、腕をひねりあげられて、ウラルは身動きがとれなくなった。
 フギンとダイオは、大丈夫だろうか。腕をぐいぐいひねりあげられるのも構わず、ウラルは顔をあげてフギンらのいる方向を見た。
 ダイオがぐったりとしたフギンを背負い、戦っている。フギンがあまりにも錯乱するので、どうやら気絶させたらしい。さすが一国の騎士だった男、剣の腕は確かだ。だが敵が多すぎる。
 ダイオのすぐ右側で警備兵の列が崩れた。現れたのは角の剣を振り回すアラーハだ。さすがに全身傷だらけ、ススまみれだったが、無事だった。やはり、あの爆発音はアラーハを攻撃する火薬の音だったようだ。アラーハが普通の人間だったら命はなかっただろう。
 アラーハはすぐさまダイオの援護にまわる。ちょうど「地下で囚人の集団脱走」の報が伝わったらしい。ざぁっと列が乱れ、大混乱が起きる。敵は多いがなんとか三人は突破できそうな雰囲気だ。
 ウラルの腕をとっている兵士が、苦痛に顔をゆがめながら何かを言ってきた。だが、ウラルにベンベル語はわからない。もう一度、次はリーグ語で兵士が何かを尋ねてきたが、ウラルにはもう、聞き取ることも答えることもできなかった。
 後ろから誰かに頭を殴られる。ウラルは緑眼の兵士に腕をとられたまま、がっくりと気を失った。
inserted by FC2 system