第三部‐第四部間章 2「明かされたもの」 中

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 目を開けたそこには真鍮色に染まる丘があった。ウラルのまぶたの上に置かれていたはずの手は失せ、後ろから抱きすくめていたはずの腕や胸も失せている。ウラルは呆然としてあたりを見渡した。
 貴石の棺が並んでいる。アラーハの姿を求めて振り返ったそこにはアレキサンドライトの棺があった。棺の蓋は棺の脇にたてかけられ、空っぽの中が見えている。ふたには「アラーハ」の文字。
「ウラル」
 アレキサンドライトの棺の隣には水晶の棺、そこに腰かける大柄な男の影がある。夕日に向かって座り、肩ごしにウラルを振り返った影。その穏やかに低い声に胸がぎゅっと縮まった。
「ジン……風神さま」
 ウラルはジンの前に膝を折った。
 じっと顔を伏せるウラルの肩に手が置かれた。女の手だ。顔を上げれば喪服の女神が目の前に立っている。王都やオーランド町の神殿にある絵画と同じ姿――喪服姿で竪琴を胸に抱き、長い髪を風に揺らす若い女の姿だった。
 ウラルがまばたきをする間に風神は再びジンの姿に戻った。
「かしこまらなくていい、こういうことになりたくないから俺はこの姿で現れたんだ。アラーハは来るのか?」
「すぐに行く、とは言っていましたが。でもどうやって?」
 ガタン、と固く重いものの動く音がした。振り返ると、アラーハがアレキサンドライトの棺の中から起きあがるところだ。たてかけられていた蓋にアラーハの腕が当たったらしい。重い音をたててふたが滑り落ちる。
 さっきまで確かに空っぽだったはずの棺の中でアラーハは視界をめぐらし、ウラルとジンを見つめた。棺の外へ出ると、アラーハはその場でジンに向けて膝を折り深く頭を下げる。
「アラーハ、ありがとう。〈聖域〉を貸してもらったこと、それにオーランド町でのことにも礼を言わせてくれ」
 大きな体を縮めているアラーハの肩にジンは手を置き、立ちあがらせた。
「風神さまのご用命とあらば」
「俺たち神々が不甲斐ないばかりに、多くの人に迷惑をかけた」
 ジンがフギンの棺に目をやった。ウラルも振り返って棺を見、目を疑った。
 フギンの棺が燃えている。ファイアオパールの棺が輝き揺らめいて、炎の光を放っているのだ。
「もう察しがついているだろうが、フギンには火神がついている。あれはその証だ」
「火神が。どうして……」
「どうしてこんな酷いことをと思うかもしれない、でも火神もこの国に良かれと思ってやっているんだ。彼は軍神、武をもってベンベル人からリーグとコーリラを取り返そうとしている」
「でも」
 思わず口を挟んだウラルに、ジンは大きくうなずいた。
「そう、俺も同じ意見だ。もし今から武力でどうこうなるなら、みすみすここまでベンベル人の侵攻は許さなかった。それに、もう戦いたくはない。これ以上のものを失いたくはない。リーグ人、コーリラ人はもちろん、ベンベル人の命もな。フギンの人生も火神が横取りしていいはずがない。俺たち神々が仲間割れをしている場合でないのは重々承知しているが、ここは譲るわけにいかないんだ」
 戦いを選んだ本物のジンとは違う、けれど根本は同じ意見。アラーハが静かに、深くうなずいている。
 ジンが不意に、ふうっと悲しげなため息をついた。
「こんな不甲斐ない神で申し訳ない。俺たちは残念ながらできることは人とそんなに変わらない。この世界すべてを隈なく見渡せるし、歳を食っているから知識がある、それに多少はこうして影響を及ぼすこともできるが、それだけだ。本当はもっとお前たちに楽しく生きてほしいと思っているし、そのためにどんどん力を使いたいんだが……。俺が正体を明かしたくなかったのにはそれもある。お前にこの情けない姿を見せたくなかった。お前が神殿で静かに祈りをささげる相手でありたかった」
 悲しげな、それでいてどこかさっぱりとした声。隠し事を明かす声、伏せていた本音を明かす声。
「もうひとつ突拍子もない話になるが、お前に明かさなければならないことがある」
 ウラルはジンの目を見つめた。今までの話も十二分に突拍子もない話だったのだが……。
「俺たち四大神は全員が二重人格だ。王都の絵画を見ただろう? 風神の絵は『祝福』と『憎悪』の二枚組みになっている。今の俺は『祝福』の状態、人々の幸せを祈り祝福する者だ。ところが何かのきっかけで〈反転〉し、『憎悪』の状態になることがある。この状態の俺は〈墓所の悪魔〉と呼ばれる。疫病を巻き起こし、人々を死に至らしめる魔神だ」
 ――〈墓所の悪魔〉。ウラルはぎょっと目を見開いた。
「気づいたろう。火神にも『希望』と『狂気』、二つの人格がある。『狂気』の人格が〈戦場の悪魔〉だ」
「そんな……」
 〈戦場の悪魔〉、そして〈火神の墓守〉となったフギンの顔を思い出し、ウラルは震えた。フギンを破滅へ追いやろうとした〈戦場の悪魔〉がまがりなりにも神だったとは。しかも目の前の風神にも、そして地神や水神にも〈悪魔〉の人格がある……。
「心配するな、地神と水神は〈反転〉しない。〈反転〉を抑えるのが〈守護者〉の真の役割なんだ。守護者制度ができてからこの二神は一度も〈反転〉していない」
 ウラルは隣のアラーハを振り返った。アラーハがうなずく。
「巨大な獣はロープで縛り上げて固定していられる、ロープが森の守護者、くさびが聖域にあたる。巨大な魚は樽を作ってその中に入れておける、樽を形作る板の一枚一枚が海の聖域、それをとめる釘の一本一本が海の守護者にあたる。だが、相手が風や炎ではどうしようもない。だから風神・火神は守護者制度が使えず、互いに互いを抑えることで成り立っている、と先代から聞いています」
 アラーハの説明に「その通りだ」とジンがうなずいた。
「互いに互いを抑えるための制度が〈墓守〉だ。〈悪魔〉の力の及ぶ範囲を制限し、あるいは関係のない者を〈悪魔〉から守る。そして前にお前が〈戦場の悪魔〉を正気に戻したように〈悪魔〉を反転させ、〈神〉に戻す。ちなみに俺と火神が同時に〈悪魔〉になることはない」
 今までの世界観ががらがら崩れる感覚に、ウラルはもう何も答えられなかった。真っ青になったウラルの顔をアラーハが横から覗きこむ。
「すまない、今日は一度に話しすぎたな。〈戦場の悪魔〉が何者か、〈墓守〉とは何か、これで説明になったか? 前は聞かれても答えられなかったからな」
「ごめんなさい、頭がぼうっとしてしまって」
 思えばさっきからうわ言のようなことしか言っていない。頭を抱えたウラルにジンがほほえみ、ぽんと大きな手のひらをウラルの頭の上に置いた。
「無理もない。戻って休むといい、また何か疑問があれば、ある程度はアラーハやヒュグル森の守護者たちが答えてくれるだろう。それからフギンを追って〈ジュルコンラ〉へ向かってくれ。何かあればまた夢に現れる」
 わかりました、とウラルは軽く頭を下げた。今は本当に頭がいっぱいいっぱい、倒れてしまいそうだ。
「風神さま、最後に我が主からお尋ねせよと申しつかっていることがあります。よろしいですか?」
 アラーハの敬語はなんだか妙だ。敬語など使いそうにない人なのに案外流暢に話す。ジンがアラーハを見、うなずいた。
「火神を止めて、その後はどうなされるのか、と」
 ジンはアラーハをぴたりと見据えたまま、唇を引き結んだ。
「ウラル。フギンに追いついたら、また口を借りられるか」
 ウラルはうなずいた。ジンの正体を知った今、もう以前ほどの抵抗はない。
「それなら四人で集まって話し合おう。取れる方法はいくらもないはずだ。そう伝えてくれ」
 わかりました、とアラーハが丁寧に礼をする。瞬間、すうっと目の前が暗くなった。
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