第三部 第一章 2「〈エルディタラ〉へ」 上

 フギンの宣言通り二人は大きな町を避け、食料が少なくなってくれば村に立ち寄って野菜やパンを買わせてもらいながら西への旅を続けた。
 フギンは一見エヴァンスから無頓着に逃げているようで、その実かなり気にしているようだ。何度か前に立ち寄った村まで後戻りし、ベンベル人の二人組みが来なかったか聞いて回る。これが恐ろしいことにかなりの確率で「来た」という返事が返ってくるのだ。
「バケモノか、あいつは。それとも犬かなにかの生まれ変わりか? 俺たちの臭跡だけで追っかけてきてるとしか思えないな」
 口調は冗談めかしているが、そんなことがあるたびフギンの目は鋭く険しくなっていく。
「本当に臭跡を追っかけてきてるなら〈ゴウランラ〉に現れたことも合点がいくな。あのときは疑って悪かったよ、ウラル。これだけ追跡に長けてるなら、お前が漏らさなくたって追いかけてこれるよな」
 西へ行けば行くほどベンベル人は増えていった。セテーダン町のあたりはまだ交易要所になる大きな町にしかベンベル人の警備がなかったのに、エルディ山脈を仰ぎ見るくらい近づいたこのあたりでは町ばかりか村にまでベンベル人の駐在所がある。
 野宿続きになった。尽きかかった食料はアラーハが森の中で補ってくれる。フギンは相変わらずの渋面だが、文句を言っていられる場合ではないと思ったのだろう。ただ黙って木の実やキノコをかじっていた。
 〈エルディタラ〉の要塞はエルディ山脈の中腹にあるそうだ。もう目前のはずだった。
「ウラル、用心しといた方がいいかもしれない」
「用心?」
 フギンは眉にしわを寄せてうなずいた。
「ここに来るまで、いわゆるならず者ってやつに一人も出会わなかったろ。エルディ地区は治安が悪い。こんな野宿続きの旅なんかしようものなら、盗賊に身ぐるみはがされるのがむしろ普通さ。宿に泊まってても生半可な宿じゃ、一晩明けてみりゃ荷物がないなんてザラだよ」
 そんな危険を承知でどうして、と言いかけたウラルをフギンは制す。
「俺、〈エルディタラ〉がまだ盗賊団だったときは若頭だったからさ、そんな連中は兄弟みたいなものなんだ。むしろどっかで出会って〈エルディタラ〉まで連れて行ってくれるのを期待してたんだよ。だから、これだけ誰にも会わないと、怖いよな、と思って」
 ウラルはフギンの言葉の真意をさとり、ぎょっとなった。〈エルディタラ〉もベンベル人に言わせれば当然ならず者の集団だ。盗賊連中が根こそぎベンベル人に追い立てられたのなら、〈エルディタラ〉もただで済んでいるはずがない。
「用心しよう」
 ウラルは黙ってうなずくしかなかった。
 道は森というより山になり、どんどん険しくなっていく。雪がよく降るおかげで足元がひどくぬかるんでいる。アラーハは馬の身体にシカの足を持つ生き物だけあって難なく登っていくのだが、馬はさすがに急斜面で足を滑らすようになったので、ウラルとフギンは荷物だけを馬にくくりつけ歩いて斜面をあがった。
「ウラル、上、見てみろ」
 山の中で休みながら上を見あげると、一羽の巨大な鳥が東から西へ、一直線に飛んでいくところだ。
「ムール。誰か、乗ってるね」
「いや、ムール鳥じゃない。あれはロク鳥だよ。でっかいだろ」
「大きいのがロクで、小さいのがムール?」
「そ。で、山に住んでて肉を食うのがロク、基本的にコーリラ国に多い。ムールはリーグ国に多くて、魚や菜っ葉を食う。コーリラ人が来てるのかな。ひとまず〈エルディタラ〉は無事らしい。ベンベル人は鳥に乗れないから」
 フギンはほっとしたように笑顔を見せたが、ウラルはまだ不安だった。リーグが侵略されてからもう二年が経つ。隣国コーリラが侵略されたのはそのさらに二年前。練習次第で鳥に乗る技術は誰にでも身につけられるのだ。四年もあればベンベル人がロクに乗れるようになっていてもおかしくない。
 そしてもし、あのロクに乗っているのがベンベル人なら。ウラルは頭を振って不安を振り払った。でも不安はからみついて離れない。アラーハのときの胸騒ぎと同じ。
「さ、ウラル。この先の岩棚から〈エルディタラ〉が見えるはずだ。みんな無事ならこんな遠回りさせる必要なかったな。ま、ひとまず行こう」
「遠回りだったの?」
「うん、ずいぶん。だって俺たち全員が騎兵なんだぜ、馬群であんな道を行けるかよ。下のほうに道がきってあるんだ。それでも階段とかあるし、ちゃんと訓練した馬じゃないと歩けないんだけどな」
 森が途切れ、崖が現れた。フギンは崖から張り出した岩の一つに乗って目を凝らし。
「嘘、だろ……」
 いくらか予想していたウラルもさすがに目の当たりにすれば声が出なかった。
 山の中腹に立てられた要塞。その大扉は開かれ、ひっきりなしに金や栗色や赤茶の髪の男らが行き来している。リーグ馬に比べて骨格の細いベンベル馬、そして二足歩行するトカゲのゴーラン。要塞の城壁に詰めているのも全てがベンベル人、尖塔には太陽をかたどった旗、ベンベル国旗がひるがえり雪に打たれている。
 フギンの膝が崩れた。泣き伏し、岩にこぶしを打ちつけるフギンの背をウラルは黙ってなでるしかなかった。
「くそったれ! ベンベルのクソ野郎がっ! おぼえとけよてめぇらぁっ!」
 相手が十人程度ならフギンは要塞に突っこんでいったろう。けれど相手は数え切れない、到底かなわない人数だ。さいわい元〈エルディタラ〉の要塞からは距離があり、降る雪にかきけされて声は届かない。
 と思っていたのだが。
 薄曇りながらもぼんやりと巨大な影が落ちてきて、ウラルはあわてて空を仰いだ。さっきのロク鳥が真上にいる。見つかった。見つかってしまった。
「フギン!」
 フギンがうなりながらサーベルを抜き放つ。アラーハもツノをかかげて戦う構えを見せた。だが相手は巨鳥、そして騎手はおそらく投げ槍を使ってくる。ツノとサーベルがどこまで効くか。
「待て、リーグ人だな? 仲間だ、剣をおさめてくれ!」
 確かなリーグ語が上空から降ってきた。続けて「降りる場所を開けてくれ」と指示がかかり、二人はあわてて岩棚からどいた。
 ロク鳥が岩棚に舞い降りる。騎手の髪は褐色、リーグ人だ。顔が見えた瞬間、フギンの顔がぱっと紅潮した。
「お前、まさかマルクか?」
「フギン! おい本当か? お前死んだんじゃなかったのか!」
 あわてて命綱と鐙のベルトをはずそうとするマルクにフギンは崖から転がり落ちんばかりの勢いで突進すると、マルクにしがみつきわんわん泣き始めた。
「てめぇ、いつからロクなんかに乗れるようになったんだよ。団長はどうなっちまったんだ、要塞はどうなっちまったんだよぅ!」
「フギンてめぇ、生きてるなら連絡の一度くらいよこしやがれ! ムニンの親父はてめぇが死んだものとばかり、もう墓まで造っちまったぞ、えぇ? 腕どうしたんだ。あの戦でか?」
「じゃあムニン団長は」
 マルクは笑顔でフギンの頭を軽くはたいた。
「死人が墓なんか造れっか、生きてるに決まってんだろうが! 〈エルディタラ〉はみんなで尾根の向こうに引越しよぅ。ベンベルの金髪連中、雨ってやつが苦手らしくてな。頼みの火薬は使えなくなるし、ゴーランはウロコの間にカビがはえる病気になっちまう。だから尾根ひとつ超えて、雨の多い地方に移ったわけだ。といっても尻尾巻いて逃げたわけじゃねぇぜ? 戦いを有利に進めながら、エルディ地区の腕っ節に覚えのある連中を結集させて力を蓄えてるんだ。連中に目にもの言わせてやらぁ」
 フギンは涙をぬぐいぬぐい「団長らしいぜ」と目を輝かせた。「腕っ節に覚えのある連中」は要するにならず者連中のことだろう。なるほど、道理で道中出くわさなかったわけだ。
「えーっと、フギン? 紹介してもらえる?」
 ウラルがおずおず出て行くと、マルクは「お、べっぴんさん!」とはやしたてた。が、ウラルの後ろからアラーハが出てくると、表情がそのまま固まってしまった。
「ああ、ウラル、こいつはマルク。まだ〈エルディタラ〉がエルダ盗賊団だったときからいる古株だよ。俺の兄弟みたいなもんだ」
「そうそう、フギンのおねしょの回数まで覚えてるぜ」
「お、おい!」
 思わず吹き出したウラル、けれどマルクはおどけながらもアラーハに視線を向けたまま体をこわばらせている。
「私はウラル、彼はアラーハ。アラーハは私の、なんといったらいいのかな」
「ウラルになついちまって一緒についてきてるイッペルスだよ。図体はでかいが、いたって無害、食料に困れば森の中から適当に食えるものまで探してきてくれる便利な野郎さ」
 どんな紹介よ、と思わずウラルは言いかけたが、どうも人間のアラーハにもそのまま使えそうな紹介文だ。アラーハも別に怒りもせず鼻を鳴らしただけだった。アラーハが悪く思っていないならウラルも異存ない。苦笑するにとどめた。
「そいつや馬がいなかったらロクで運んでやるんだけどなぁ。あ、ロクはこの通りでっかくて力強いからな、ムールと違って二人乗りできるんだぜ。俺がウラルちゃんと二人乗りして、フギン、お前はロクの爪にひっかけられて空中散歩ってなことができたんだがなぁ」
「ロクの爪って再会そうそう殺す気かよ! で、その新要塞ってのはどこにあるんだ?」
「あの一番高い山があるだろ、ちょうどあの向こう側。っていってもわかりにくいな。迎えをよこすよ。こんなベンベル人だらけのところだとまずいから、このままあの山へ向かって森を進んでくれ。で、明日の午後あたりになると思う。俺が近くまで飛んできたら、鍋でも叩くか焚き火するか、とにかく適当に目だってくれや。俺を目印に他の連中が来るから」
「おう、了解。宴会の準備して待っててくれよな」
「そりゃどうかな。なんせ死んだやつが帰ってきたんだからなぁ。団長、驚きのあまりぽっくり逝っちまって、葬式の準備してるかも」
「団長に限ってそりゃねぇや」
「じゃ、お前が連絡よこさなかったあまりカンカンになって、血管プッツン」
「あ、そっちはありうる」
 二人でひとしきり大笑いする。それからふっと真顔になり、二人同時にこぶしをつくると、それをガツンとつきあわせた。
「じゃ、また明日な」
「おう、待ってる。あ、そうだ、マルク。俺たちベンベル人の二人組に追われてるんだ。空から見て、あのベンベル人だらけのところじゃなく森の中にそんな感じのやつがいたら教えてくれないか?」
「お安いごようだ。といっても、空から見えるところだけだからあんまり信用するんじゃねぇぞ。この辺は冬でも葉っぱが落ちない木ばっかりだからな」
「わかってらぁ」
 マルクを乗せたロク鳥が舞いあがった。しばらくウラルらの上を旋回し、エヴァンスらを探してくれたようだが、どうやらそれらしい人間は見つからなかったようだ。「い・な・い」と手旗信号で伝え、西へ飛び去ってしまった。
「よかったね、フギン」
 肩をぽんぽん叩くと、フギンは真っ赤な目でにっと笑った。
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