第三部 第一章 3「死語り」 上

 荒くれ男たちの高揚は並大抵ではなかった。姉さまがたは「夜更かしはお肌に悪いのよー」などとうそぶきつつ、実際は酔っぱらった男らからウラルを守る気づかいをしてくれたのだろう。そそくさ途中で退散したのだが、一体それからどれだけ飲んだのか。翌朝には二日酔いで頭を抱える者が続出し、宴会に使った大広間は大量の酒瓶と嘔吐の跡で埋まり。それはそれは悲惨なありさまだ。
 当然主役のフギンは浴びるように、というより文字通り浴びせられそれに匹敵する量の強い酒を飲まされて、運びこまれた部屋で泥のように眠っている。目を覚ますかどうかも怪しい様子にウラルはおろおろしていたのだが「そんな生きて帰ってきたことを祝う宴でぽっくり死ぬようなヘマはしないさ。どんな笑いものよ」と姉さまがたにさとされ、なんとか落ち着いた。
「それより団長が呼んでたよ。一度部屋においで、そんな酒臭いところに淑女がいるもんじゃないって。気に入られたみたいね、ウラル」
 そのままムニンの部屋まで案内してもらう。ノックをしてみれば「おう、入れや」とドラ声、ドアを開けてみれば紳士的な微笑が待っていた。
「ああ、ウラルか。よく来てくれた。まったく、ドアを開けただけで部屋が酒くさくなるな」
 さすがに団長は二日酔いというわけではなさそうだ。途中で引き上げたのか、あるいは深酒でも後を引かない体質なのか。ウラルを案内してきてくれた姉さまにお茶の準備を頼むと、ムニンは柔和に笑った。
「昨日はありがとうございました。私も楽しかったです」
「宴の後も楽しければ言うことないんだが。まぁ、かけなさい」
 ムニンの部屋はきれいに片付いている。酒瓶やら肉のかけらのついた骨やらが転がるむさくるしい部屋を想像していたウラルは興味しんしんで部屋を見回した。広げられたエルディ地区の地図、よく磨かれてつやつや光るインク壜。机の上には小ぶりながらも本棚があり、ぎっしりと、しかしきちんと整頓された本や羊皮紙の束が並んでいる。
 こざっぱりした明るい部屋は明らかに教養人のものだった。〈スヴェル〉の森の隠れ家でいえばフギンの部屋というよりジンやイズンの部屋に似ている。いや、これはむしろ、サイフォスの。
 サイフォスとその妻マームの部屋にはたくさん本があった。暗くなってからもランプの明かりで本を読んでいたサイフォスの姿をよく覚えている。脳裏に浮かんだ穏やかな姿と同時にサイフォスの死に顔、森の中で首に縄をかけられ殺されていたあの姿がよみがえり、ウラルは目を伏せた。後姿だけを見てジンだと思ったあの姿。ぎゅっと胸元のペンダントをにぎりしめる。
「盗賊の親玉らしくない部屋だろう」
 見透かしたようにムニンが笑った。
「わたしは昔、リーグ国の将軍だったんだよ。将軍といっても、たかだか五百人を率いる隊長のようなものだが。そのころの習慣がまだ抜けないらしい。この口調、荒くれ団長ではないこちらの口調も将軍時代、身につけたものだ」
 ウラルは目をしばたき、小首をかしげた。
「なぜ国の将軍が盗賊の親玉なんかに、か? もっともな疑問だな」
 本当に表情だけでムニンはわかってしまうらしい。ウラルは真っ赤になって「はい」とうつむいた。ムニンは微笑したまま太い指でコツコツ机を叩く。どうやら言外にぶつけてしまったぶしつけな質問を悪くは思っていないようだ。少しほっとした。
「ウラル、君は知っているだろう。ベンベルに侵略される前もリーグは決して良い国だったわけではない。私が将軍をやっていたころ、二十余年も前から国家は傾いていた。本当に表に出てきたのはここ十年のことだがな。一兵卒から将軍職にあがった私は国家の横暴を知り、絶望して、部下を何人か引きつれ軍を離れたのだ。はじめは義賊だったのだが、いつの間にかそれも忘れ果てただの盗賊になってしまった」
 将軍がどうして、という理由はこれでいいだろう。まぁついでだ、続きも話そうか、とムニンは続けた。
「十何年も盗賊の親玉をやった後、ジン君に出会った。まぶしかったよ、真っ向から義勇軍をやる彼は。青臭かったが、いいものを持っていた。途中紆余曲折はあったが、彼の頼みに応じてエルダ盗賊団は義勇軍〈エルディタラ〉と名を変え、彼と手を携えたのだ。これがわたし率いるエルダ盗賊団、そして〈エルディタラ〉の歴史というわけだ」
 ムニンはひとりで語り、ふっと自嘲気味の笑みを浮かべた。
「さてと、ずいぶん一人で話してしまったな。こちらの口調だとつい解説じみてしまう。ウラル、君はサイフォスを知っているかね?」
 ウラルは驚いて顔を上げた。なぜここでサイフォスの名前が。まさかムニンは人の心の内を見抜く力でも持っているのだろうか。さっきから見透かされてばかりだ。かといって、さっきウラルがサイフォスを思い出していたことまで見透かされるとはさすがに思えないのだが。
「はい。しばらく〈スヴェル〉の隠れ家で一緒に暮らしていました。ジンやフギンと一緒に。でも、サイフォスは……」
「サイフォスの行方を知っているのか!」
 突然ムニンが立ちあがり、ウラルはまた驚いてムニンを見つめた。
「ああ、驚かせたな。やつの行方を知っているなら教えてくれないか。だが、その顔では」
 ムニンは口ごもり、悲しげに目を伏せた。
「死んだんだな」
 ウラルは唇を噛み締め、うなずいた。ムニンががっくりと椅子に腰をおろし、大きな手で顔を覆う。
「いい知らせができなくて申し訳ありません」
「君が謝ることではない。どうか気にしないでくれ」
 言ったきりムニンは黙りこんでしまう。顔を覆い、ウラルのことを忘れてしまったかのように動かなくなってしまったムニンをウラルは落ち着かない気持ちでしばらく見つめた。
「息子の一人は帰ってきた。だが、かつての戦友は風神に招かれ心へ還った……」
 低い声が大きな手のひらの間から漏れ、ウラルは小さく「戦友」と繰り返した。
 ムニンがゆっくりと顔をあげる。頬にはこの部屋に入ったときと同じ柔和な笑みが浮かんでいたが、その目はさっきまでとは比較にならないほど暗かった。
「サイフォスから聞いたことはないか。サイフォスもまた、かつては軍人だったのだ。わたしの部下だった」
 ウラルは目を見張った。初耳だ。
「わたしが軍を出るとき必死に止めてくれた奴は、わたしの後釜で将軍となり、私と同じように傾いた国の姿を見る羽目になった。わたしと同じように軍を出た奴は、部下ではなくひとりの村娘だけを連れ〈ナヴァイオラ〉へ、東の反国組織へ向かった」
 その村娘は、まさか。
「その娘さん、マームという名前ではありませんでしたか?」
「そう、マームだ。サイフォスを喪ってさぞかし悲しんでいるだろうな。それともまだ知らないか」
 ウラルは驚きに高鳴る胸に手を当てながら顔を伏せた。変わり果てたサイフォスの前での誓いは、まだ果たせていない。
「知らないと思います。いずれ伝えに行くつもりでいますが、伝えない方がいいのかもしれない……」
 もう一度ムニンを見つめる。あの盗賊親玉口調のムニンはフギンが、紳士口調のムニンにはサイフォスが、二重写しになって見える気がした。ムニンもウラルを見返してくる。静かな暗い瞳で。
「サイフォスの最期を、聞かせてもらえないだろうか」
 この部屋へ入ったときサイフォスを思い出したのは、やはり共通するものがあったからなのだ。サイフォスがムニンの部下だったなら、多少はムニンの影響を受けていても不思議ではない。ウラルは申し訳ない気持ちで一杯になりながらうなずき、ゆっくりと語り始めた。
 思えばアラーハもフギンもあの戦いの全てを承知している相手だったから、こうして一から十まで声に出して説明し、誰かに聞いてもらうのは初めてだ。冷静に語っているつもりだったのだが、やがて胸がつまり、目がうるみ、嗚咽まじりになっていく。
 森の中のサイフォスの最期はジンやリゼの最期の話へと発展し、やがて思い出話へと変わっていった。遅ればせながらお茶を持ってきてくれた姉さまが「なにウラル泣かしてるんですか、団長!」と怒鳴りつける羽目にもなってしまったのだが。それでもムニンはウラルに話を続けさせ、黙って耳を傾けてくれた。
 語ることがやっと尽き、ウラルが口を閉ざすころにはすっかり日が傾いていた。
「ありがとう、よく語ってくれた。サイフォスは残念だったが、これで胸のつかえがひとつ、とれたよ」
「本当に長くなってしまって。最後までありがとうございます」
 深く頭を下げると、ムニンは穏やかにほほえんで応じてくれる。と、ムニンの顔に当たっていた夕暮れの光が急にさえぎられた。
「ウラル、あー、ここだったか。っててて」
 窓を見てみればフギンが頭を押さえながら部屋をのぞきこんでいた。
「フギン! やっと起きた? もう夕方よ」
「目を覚ましたのは昼過ぎだよ、そっからは頭痛くて起きられなかったんだ。って、どうした、目が赤いぞ?」
 ウラルは首を振った。
「なんでもないの。フギンこそ目、真っ赤じゃない。気分はまだ悪い?」
「最悪。でも後悔はしてない」
 にっと笑うフギンに笑い返し、ウラルはひとつ思い出してムニンに向き直った。
「そうだ、団長。昔は将軍でいらしたんですよね。ダイオ将軍をご存じないですか?」
「わたしなどとは格の違う大将軍だ、直接の面識はないが。なぜ君がダイオ将軍を?」
「あ、そうだそうだ。団長、大変なんですぜ」
 長く語りすぎて喉が痛くなってきたウラルに代わり、フギンが頭を押さえながらエヴァンスとシャルトルに追われていること、彼らの屋敷にダイオが囚われていること、〈スヴェル〉の隠れ家でシガルが機をうかがいながらウラルらの帰りを待っていることを話す。ダイオの消息は結局わからなかったのだが、フギンは生きている前提で話していた。
「そういやぁ、〈ゴウランラ〉の戦いで生き残った骨のあるリーグ軍人、まぁ今は〈エルディタラ〉の仲間連中にダイオ将軍の旗下って奴が何人かいたな。連中なら喜んで、というより話を聞くなり飛び出していくだろうよ。ダイオ将軍がいればこちらも百人力だ、生きておられるなら喜んでお招きしたい。ふぅむ」
 フギンが相手だと見事に盗賊の親玉へと戻ってしまう。さっきの紳士顔はどこへやら、ムニンは舌なめずりでもしそうな顔でにやりと笑った。
「召集をかける。明日にはロク一羽を〈スヴェル〉の隠れ家へ伝令として向かわせ、騎兵十五をただちに向かわせよう。大船に乗った気で待ってろや」
「それから団長、その屋敷の持ち主のエヴァンスって野郎なんですが」
 ジン、そしてその父であり高名な将軍だったフェイスを殺した張本人だとフギンが声を荒げると、ムニンの眉がつりあがった。
「そいつは今、どこにいやがるんだ」
「俺たちを追ってきやした。なんか知らねぇんですが、命を狙われるみたいで。途中までは居所を把握しながら逃げてたんですが、ここに近づくにつれベンベル人どもが邪魔しやして。見失ったんです。でも様子見にこの近くまで来ているのは間違いないと思いやす」
「相手はたったの二人なのか」
「へい。叩きのめしてやってください!」
 ムニンはしばらく窓から東、おそらくはエヴァンスがいるであろう方向を見つめ目を細めていたが、今のところは打つ手なしと判断したのだろう。激しい舌打ちをした。
「山をやみくもに探すわけにもいかん、あの元〈エルディタラ〉要塞に陣取ったベンベル人を刺激したくないしな。ひとまずロクを飛ばして空からざっと探すくらいはできるが、今のところは他に何もできそうにない。悔しいが動きがあるまで待つしかなかろう」
 フギンが悔しそうに顔を歪め、けれど団長の判断なら従うと言いたげに「へい」と返事をした。
 ウラルはまた深く頭を下げて礼を言い、そろそろ、と腰をあげた。ムニンはうなずき、ウラルの出際に「好きなだけここに滞在していきなさい。また話を聞かせてくれ」と声をかけてくれた。
 外にいるフギンのところへ行きたかったが、さすがに窓をまたいでいくわけにもいかない。大回りして適当なドアを探した。
「ああ、そういえば」
 あれだけムニンと二人で話しこんだのに、生きているらしいイズンのことを聞きそびれてしまった。まぁ、それでも無事に生きていることがわかったのだ。また誰からでもゆっくり話を聞ける。いまさらながら嬉しさがこみあげてきて、ウラルはひとり微笑んだ。
 けれど、微笑みながらも気分は沈んでいる。サイフォス、そしてジンとリゼの死に顔をまざまざと思い出してしまったからだ。場所は違うがマライの死に顔も……。けれどジンの伝えてほしいという遺言をひとつ実行できて、ほっとする気持ちもあった。
 建物を出たそこはすぐに厩舎と放牧場だ。何十頭もの馬たちが草を探しながらうろうろしている。視線を感じて馬から目をそらすと、放牧場の柵の外で大きな馬が一頭、四肢を折りウラルを見つめていた。
 アラーハだ。数人ばかりの子どもがその背に飛び乗ったり耳をひっぱったり、はしゃぎながら遊びまわっている。アラーハは目を細め耳をぱたぱたさせながら、困ったもんだとばかり鼻を鳴らしてみせた。
「あれ、アラーハ。ツノが」
 そうなのだ。あの立派すぎる枝角がない。ツノさえあれば間違っても馬のように見えたりはしないのに。子どもらの一団の間に根元からぼっきり折れたツノの一対が見え隠れしているのに気づき、ウラルはぎょっと息をのんだ。
「ああ、はえかわりの時期なんだな」
 声に振り返れば、フギンが二日酔いに痛む頭を押さえながら歩いてくるところだった。
「あれだけ立派なら高く売れるぜ。細工師にでも引き取ってもらおう」
 シカのツノは年に一度はえかわる。イッペルスも同じだったはずだ。あれだけ巨大な枝角がまた一からはえるのかと思うと大変な気はするのだが。やっとそれに思い至りほっとしたが、ウラルは違和感をぬぐえなかった。
 去年、アラーハはツノがはえかわらなかった。人獣ひんぱんに姿を入れ替えていたのだが、あのツノのない馬のような姿は今まで一度も見たことがない。アラーハははえかわりが二年に一度なのだろうか。あるいは森の守護者だったからだろうか。メスをめぐり秋にイッペルスたちは戦う、その時期以外に枝角は必要ない。けれど森の守護者は年中季節にかかわらず森を守る必要があるのだ。ひょっとすると守護者を降りたために起きた何十年かぶりのはえかわりなのかもしれない。
「子ども、好きなんだな。あいつ。日がな一日、嫌がりもせずああしてたみたいだぜ。子どものほうもよくなついたもんだよ」
「どうして子どもがこんなところに?」
「男と女が長いこと一緒に暮らしてりゃ、そのうち子どももできるってわけさ。あと、孤児だろうな。ほら、団長、そういうの見過ごせない性格だからさ」
「フギンも孤児だったんだって?」
「ん、マルクあたりから聞いたのか?」
「昨日の感動の再会のときにね」
 フギンはちらりと笑った。
「ウラルに泣き顔見られちまったな」
「無理ないよ、あんな状況だもの」
 照れ隠しのつもりかフギンはそっぽを向いてしまった。東の方を見つめ、大きく伸びをする。
「シガルのやつ、どうしてっかな。突然マルクがロクで降りてきたらびっくりするだろうなぁ」
 ウラルも東を見つめた。
「イズンが森の隠れ家へ向かったなら今頃会ってるかもね」
「あ、そうだそうだイズン。ウラル、お前すげぇな。予言が当たったじゃないか。まさか生きてて、ちょっと前までここにいたなんてな」
 ウラルはぼんやりうなずいた。今の今まで忘れていたが、あの予言がもし的中していたのならイズンとダイオは生きており、軍医のネザが死んでいることになる。予言よ、はずれろ、とウラルは願った。イズンが生きていてくれたのは嬉しい。本当に嬉しい。だからこそネザにも無事に生き延びていてほしかった。
「あの金髪男がいない屋敷はがら空き同然だ。すぐにダイオ、帰ってくるぜ。あのときお前を優先してダイオを見捨てちまったからな、帰ってきたら平謝りしないと」
 ふいに、フギンの笑顔にかげりがさした。〈エルディタラ〉に来てからフギンに戻っていた本物の笑みが曇り、あの獰猛な復讐者の顔がちらつく。エヴァンスのことを思い出したのだ。
 ぎろぎろと東の山の中を見つめるフギンをウラルは悲しく見つめた。そんなウラルの表情に気づくとフギンは取り繕うように笑い、アラーハの周りで遊びまわっている子どもたちへと視線を向けた。
inserted by FC2 system