第三部 第一章 3「死語り」 下

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 ムニンは翌日、言葉通りロク鳥に乗ったマルク、そしてもともとダイオの部下だったという五人を含む十五人を馬で森の隠れ家へ向かわせてくれた。
 じりじりしながら待った八日後の夕方、マルクの連れていった伝書鳩が「ダイオ将軍、救出成功」の知らせを持ってきた。あっけないほどの迅速さだ。興奮気味に特大で書かれた「救出成功!」の文字の脇には、細かい文字がびっしりと書きつけられていた。ムニンに読みあげてもらったところ、どうもシガルからウラルとフギン宛の手紙らしい。
 まずは騎士らしい固い文でムニンへの感謝が述べられていた。それからマルクが突然隠れ家を訪れたことへの驚き、ダイオを救出するまでの簡単な経緯と、ダイオの様子の報告。救出には成功したもののダイオは傷で長旅はしばらく無理そうだということ、ダイオの部下たちが森の隠れ家に残って世話をしたがっていること、彼らと入れ替わりにシガルがナウトを伴って〈エルディタラ〉へ向かうことになったこと。もっとたくさん書きたいが詳しいことはまた再会のときに、と消え入りそうな小さな字で書かれ、終わっている。最後のサインなど羊皮紙の端の端に追いやられ、判読できないほどだった。
 深々と頭を下げムニンに礼を述べつつ、ウラルはエヴァンスの屋敷の門番ティアルースとシャルトルの母ミュシェの無事が気になった。シガルの手紙いわく「ほぼ抵抗なく潜入、救い出すことができた」らしいのだが。不意打ちから皆殺し、などという事態になっていないことを心から祈った。
 そして、そのさらに翌日。〈エルディタラ〉上空に巨鳥の影が戻ってきた。
「マルク!」
 放牧場でアラーハと一緒にいたウラルは嬉しくなって手を振った。巨鳥はどんどん高度を下げてくるところ。その背に乗っているのがマルクひとりでないことに気づき、ウラルは驚きに目を見開いた。
 なんたることか、一羽のロクに騎手が三人だ。一人は手綱をとっているマルク、もう一人はウラルに向け手をぶんぶん振る少年、最後のひとりは少年をささえウラルを静かに見つめている。逆光で表情はわからないが、おそらくはほほえみながら。
「シガル、ナウト!」
 ウラルはロクの降りていった方、禽舎へ走り出した。アラーハが速歩で追ってくる。足の遅いウラルを励ますように前になり後ろになり併走してくれた。
「ウラル姉ちゃんー!」
 ウラルを見つけたナウトがロクの鞍から降りるなり駆け寄ってくる。ウラルは息を切らしながら飛びついてきたナウトを抱きしめた。「元気だった?」と尋ねようとするのだが、なにぶん息が切れて声にならない。心配げに顔を覗きこんでくるナウトの頭を笑いながらなでた。ウラルの笑顔を見るとナウトもぱっと顔を輝かせ、ぎゅっと抱きついてくる。
「シガル、いらっしゃい! てっきり馬で来ると思ってたわ。びっくりした」
「びっくりしたのはこちらですよ。まさかこんな強力な仲間がおられるとは。ダイオ将軍は無事に助け出しましたよ。本当に彼らのおかげです」
 最後にロクの背から降りたマルクが照れくさそうに鼻の下をこすった。
「いやいや、こっちこそ勉強になった。やっぱ、本物のムール騎兵って違うんだなぁ。また乗り方、教えてくれよ」
 どうも三人乗りしながらマルクはシガルに鳥の乗り方を教わっていたらしい。シガルはいつでもどうぞと笑顔で応じた。
「ダイオの様子は?」
「お元気とはいえませんがずいぶん良くなったようですよ。腹にひどい傷を受けていますが、もう塞がっています。ご自分の足でも歩けますし、今はゆっくりリハビリといったところですね。萎えた体を動かしているところで。ウラルさんとフギンさんの無事をしきりに案じておられましたよ。無事だとわたしたちが言えば、会いたいな、と」
「私も会いたい。無事でよかった」
 ウラルが笑うとシガルは一瞬、きょとんとした顔になり、それからゆっくりほほえんだ。よかった、お元気になられましたねと言いたげに。
「フギンさんは?」
 噂をすればなんとやら。フギンが「おーい!」と片方しかない腕を振り回しながら駆け寄ってくるところだ。後ろにはムニンや〈エルディタラ〉の主だった面々がそろっていた。アラーハがナウトの頭を軽く鼻先でつつき、放牧場の方へ去っていく。本当に人の多いところは苦手らしい。
 シガルはぴしりと背筋を伸ばすとムニンに向かって丁寧に礼をした。
「ムニン団長、このたびはご助力くださりありがとうございました。ダイオ将軍からも大変感謝している旨、伝えよと仰せつかっております。わたくしはリーグ軍事総督フェイス将軍揮下、ムール伝令のシガル・スカルダと」
「シガル殿、ようこそおいでくださった。まずはダイオ将軍のご無事をお喜び申し上げる。あのような大将軍の救出にこの手をお貸しできたと思うと身のすくむ思いでござるよ。遠路はるばるお疲れでしょう。部屋を用意してあります。案内いたそう」
 堅苦しい言葉の連続に周りのウラルらは面食らった。
「団長って、ウラルみたいな女の子でなくても紳士になるんだな」
「いまさらだなぁ、おまえ。イズンさんのときもそうだったじゃないか」
 どこからかぼそっと漏れた声に団長の目が光った。
「なにをぼさっとしとるか! 早く客人をご案内しろや!」
 突然のドラ声にシガルとナウトがぎょっと一歩あとずさった。そこでムニンが紳士的に笑って一言。
「これがわたしの地なのです。半ば二重人格ですが、どうぞ驚きになりませんよう」
 どうもムニンはこうして客人を驚かせるのが本当に好きらしい。ぽかんとした様子のシガルとナウトがおかしくて思わず笑い声を漏らすと、シガルは困ったようにウラルを見つめ、何がなんだかわからないと言いたげに目をしばたいた。
「シガル、団長はいっつもこうなんだ。ま、はやく慣れてくれよ。部屋はこっちだ」
 マルクがシガルの背をぽんぽん叩いた。
「あ、わかってると思うけど俺らは団長と違って行儀作法も何も知らないからな。かんべんしてくれよ」
「わかりました、『全軍進撃』でなく『行くぜ野郎ども』の世界なんですね、ここは」
 苦笑しながら肩をすくめるシガルに「本当にそうだぜ」とマルクが笑いかけた。この二人はすっかりロクの鞍上で打ち解けているらしい。
「にしても、シガルもここで何年か暮らしたら団長みたいな二重人格になるのかなぁ」
 マルクの言にフギンとウラルは吹き出した。当のシガルは「なりませんよ」とあっさり流し、怖いお兄さんお姉さんにびくびくしているナウトの頭をやさしくなでる。ウラル、フギン、マルクは顔を見合わせ、二重人格シガルを想像してにやにや笑いあった。
「シガル、私も部屋、一緒に行っていい? 話、聞かせて」
「あ、ウラルが行くなら俺も」
 フギンが唱和し、シガルはどうぞどうぞとうなずいてくれた。
 やがて到着した部屋の前で「じゃ、俺はこれで」と帰ろうとするマルクをフギンが引き止めた。
「お前からもダイオの話、聞かせてくれよ。いいだろ?」
 マルクはこころよく応じてくれ、広くもない部屋で五人は適当に座りこんだ。ウラルとナウトはベッドに腰かけ、シガルは椅子に、フギンとマルクは壁ぞいの地べたに。ナウトは疲れていたのだろう。落ち着くなりこてんとウラルにもたれかかり、うつらうつらしはじめた。
「じゃ、ダイオ救出劇のはじまりはじまり、といくか」
 よっ、まってました! とフギンがはやしたてた。
 マルクはあの旅立った日から二日かけてシガルのもとへたどり着き、フギンとウラルの頼みでダイオ救出に手を貸しに来たことを伝えた。シガルとナウトが仰天したのは言うまでもない。シガルはしばらく警戒心をむきだしにしていた。ナウトはもともと人見知りな上、頼りにしている兄ちゃんがこんな調子では心を解くどころではない。マルクは仕方なくリゼのムール禽舎があったところにテントを張って野宿した。
 翌日、遅ればせながら元ダイオの部下五人を含む騎馬部隊が到着した。その中にはシガルの見知った顔もあり、抱き合って再会を喜んだ。シガルはフェイス将軍の伝令、むろんダイオもフェイスの部下だったのだから、ダイオの部下にシガルの知り合いがいてもおかしくはない。やっと警戒を解いたシガルは知っている情報を〈エルディタラ〉の面々に語った。
 〈エルディタラ〉増援部隊が来るまでにもダイオの行方をさぐっていたシガルは、ダイオが生きてエヴァンスの屋敷の中にいることを掴んでいた。ウラルとフギンが旅立った数日後からまた門番たちがエヴァンスの屋敷に姿を見せるようになり、その門番同士の会話の中で「あのリーグ人」という単語を何度か盗み聞いていたのだ。買出しに行く門番にナウトを物乞いとしてまとわりつかせ、尾行させたところ、ダイオのためらしい薬草や痛み止めを買っていたこともわかった。このベンベル人たちがダイオの世話をしているのは間違いない、しかし肝心のダイオは姿も影も見出せない。ウラルとフギンに聞いていた状況から、地下に監禁され、しかも傷で動きが取れないのだろうとシガルは検討をつけていた。
 〈エルディタラ〉はさすが元盗賊、フギンから教えられていた屋敷の間取りを確認すると張りこみを始め、門番の人数や身を隠す場所を確認するや否や、強行突破の計画をすぐさま立ててしまった。ダイオの正確な居場所がわからない、つまり秘密裏にダイオを連れ出すことはできない。それなら見張りの少ない時間帯を狙って数を頼みに襲撃したほうがいいと判断したのだ。そして半日で準備を整えると、さっと夜の屋敷に忍びこんだ。
 四人いた門番のうち、エヴァンスの屋敷に住みこんでいたのはティアルースひとりのはずだった。けれどエヴァンスとシャルトルが屋敷を出てからは四人ともが住みこみ、屋敷を守っていたらしい。
 〈エルディタラ〉が屋敷に忍びこんだとき、四人の門番はリビングでカードゲームに興じていた。〈エルディタラ〉の中でも生粋の盗賊である数人が壁を這い登って窓に忍び寄ると、そこからナイフをひとりの利き腕に投げつけて動きを封じ、人質に取った。仰天して武器を取ろうとする門番たちだったが、鍵を針金で開けたドアから音も立てずに侵入していたほかの〈エルディタラ〉の面々によってすぐに取り押さえられてしまった。
「ところが、ここからが妙でなぁ」
「妙って?」
 マルクとシガルが困惑の視線をかわしあった。
「『ダイオはどこだ』と俺らはリーグ語ですごんだ。こっちはベンベル語わかるやつがひとりもいなかったからさ、まぁわかるだろうってことで」
「すると、下手なリーグ語で『ダイオとウラルの仲間か』と返事が返ってきたんですよ」
 自分の名が突然出てきたことにウラルは面食らった。
「私?」
「そう。それでわたしたちが、『そうだ、ウラルとフギンの頼みでダイオ将軍を救出に来た』と返すと彼らは顔を見合わせ、ベンベル語二言三言、話し合いました。それから『ダイオさえ連れ出せれば他に何もしないな』らしきことを言うと、おとなしくわたしたちの縄に縛られ、ダイオ将軍のところまで案内までしてくれたんです」
 ウラルは目をしばたいた。相手は多勢に無勢、分がないと判断しての行動だろうが、なぜわざわざウラルの名前を合図にしたように抵抗をやめたのか。べつにウラルに義理があるわけでもなかろうし。
「で、ダイオのところへ行くと、ひとりのご婦人がダイオの部屋の前に立ちふさがっててだな。でも門番たちの説得ですぐにドアを開けてくれた」
 シャルトルの母、地図職人のミュシェとみて間違いない。
「そして、やっとダイオ将軍にまみえることができました」
 ベッドの上で半身を起こし待ち構えていたダイオは、うるんだ目に笑みをたたえて〈エルディタラ〉の面々を迎えた。シガルとダイオの元部下たちは喜びのあまり夢中でダイオの前に膝を折った。隙だらけになった彼らを慌てて元盗賊メンバーがかばったが、ベンベル人たちは攻撃するでもなくただ静かに再会を見守っていたという。
「そこで、ドアの前に立っていた婦人がダイオに話しかけたんだ。ベンベル語で俺たちにはわからなかったんだが、ダイオは普通に聞いてたな。それで一言、通訳してくれた。ウラルと片腕の男は元気か、今はどこにいるのか、って」
 語り手の二人はフギンとウラルを見つめた。ウラルとフギンも視線を交わす。
「居所は言えないが二人とも元気だ、と答えると、せきをきったように門番たちが話しかけてきました。自分たちの主人は今ウラルを追っているが、主人の姿を見かけたかと。もしウラルと主人が出くわせば主人はウラルを殺してしまう、本当にウラルは元気なのかと……。そう言った門番は、すぐさま他の門番ににらまれていましたがね」
「その質問をした人、ティアルースという名前じゃなかった?」
「さぁ、名前は知りませんが。赤毛に灰色の目の男でしたよ」
 間違いない、ティアルースだ。
「ちょっと口論になっていましたね、そこから門番同士で。わたしたちは聞き流していたんですが、ダイオ将軍が後で言ってたところによると、その赤毛の門番はウラルさんのことが心配でたまらないらしい。でもほかの門番は、そう言う彼を攻撃していましたね。そんなことを思っちゃいけない、主人のことを思わないのかと」
 シガルの言にフギンが難しい顔でウラルを見つめている。「主人のことを、思わないのか?」とオウム返しに呟いた。
「あの赤毛、ぜったいウラルに気があるんだぜ。まぁ、意味のわからないベンベル語の言い争いをずっと聞くのも嫌だったからな、適当なところで切り上げて、ダイオを連れてとっととおさらばしてきたわけさ。やつら、帰るときも玄関までわざわざ案内してくれたぜ」
 ひとまず皆殺しではなくてよかった、とウラルは胸をなでおろした。
「あれから、あの男には会ったんですか?」
 シガルの問いかけに、次はウラルとフギンが答える番だった。〈エルディタラ〉につくまでの経緯、〈ゴウランラ〉の戦場跡でエヴァンスに狙われたこと、そこからまっすぐに〈エルディタラ〉を目指し、その間ずっと追われ続けたこと。
「どうしてエヴァンス、屋敷の主人が私とフギンを狙うかは言ってなかった?」
「さぁ。わたしたちがダイオ将軍に翻訳してもらった分では聞いていません。もしかすると翻訳されなかった部分で何か言っていたかもしれませんが」
 ウラルはうつむき、ナウトがウラルによりかかったまま寝息をたてているのに気がついた。ベッドに腰かけたまま布団をまくり、そっとナウトの肩にかけてやる。その間、みんな口を閉ざしたままだった。
「フギンさん、ウラルさん。これからどうなされるおつもりですか?」
「ダイオに会いたいな、ひとまず」
 フギンが即答する。ウラルもうなずいた。ダイオの無事をこの目で確かめたい。
 だが、エヴァンスはまだきっとこの〈エルディタラ〉の近くにいるはずだ。直前の村までは確かに追ってきていた。ここまで来ているのは間違いないだろう。ただ、〈エルディタラ〉にはさすがに入りこめずにいるだけだ。
 一歩ここを出れば間違いなく後をつけられるだろうし、どこかで襲われる。全てをかわして森の隠れ家へたどりつけば、みすみす動きの取れないダイオのところまでエヴァンスを案内してしまうことにならないか。
 ウラルが自分の考えを話すと、たしかにそうだとフギンは苦々しげな顔をした。
「空路はどうです? さすがにこちらがロクやムールでは後のつけようがないでしょう」
 それだとフギンが手を打ったが、結局言いだしっぺのシガルが否定することになった。ムールは一人乗りしかできないし、ロクでも二人以上は無理だ。さっきのシガル、マルク、ナウトの三人乗りはナウトの体重が軽く、しかも季節風が西に向かって吹いておりロクが楽に飛べたからこそ。その季節風に逆らい、ウラル、フギン、それに巨鳥の扱いに慣れたシガルかマルクどちらかの大人三人を乗せてはさすがに無理だった。しかもその上、アラーハがいるのだ。
 四人であれやこれやと案を出し合ったが、結局決まらず、べつに無理に今日決める必要はなかろうということになった。そろそろ夕飯の時間だと皆をうながすマルクに従い、すっかり熟睡していたナウトを起こして食堂へ向かう。
「あ、そういえばシガル、イズンが隠れ家に行かなかった?」
「ああ、あの人ですね。来られましたよ。な、ナウト」
 眠い目をこすりこすりうなずくナウト、ウラルはフギンと顔を見合わせてほほえんだ。
「マルクのときみたいに警戒しなかった? 手紙にちらっと書いてあったけど」
「あなたからちらっと話を聞いていたんでね。マルクさんのことも先に言っていてくれれば」
「顔がかたっぽのおじちゃんでしょ、イズンって」
 目をぱちぱちさせながらナウトの言に、ウラルはぎょっとして笑みをひっこめた。
「顔が、片方?」
 シガルとマルクも笑みを消す。
「いや、実際に顔が片方だけになったわけじゃねぇよ。そんなんで生きてたらバケモンだ」
「あの戦で上半身の右側に大ヤケドを負われたんですって。それで。布で顔の半分を隠しておられるんです」
 ウラルはフギンの右腕を見つめた。肩口から先が義手になってしまった、その右腕。生きているのは嬉しいが、まさかそんなことになっているとは。
「で、イズンは今どこにいるんだよ。森の隠れ家か?」
「いえ、ウラルさんが〈ゴウランラ〉の戦場跡に行かれたことを話すと、後を追う、自分も行きたいからと。すぐに旅立っていかれたんです」
「また行き違いか!」
 フギンは舌打ちした。でも情報がひとつ増えたからだろうか、笑顔だ。
「でもよかったなぁ、イズンが生きてて。もしかすると今頃、ここに向かってるかもしれないな」
 目をきらきらさせるフギンにウラルはほほえみ返した。
 そうだ、イズンは生きている。きっとどこかで、必ず出会えるはずだ。
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