第三部 第二章 1「邂逅」 上

 シガルとナウトはあの再会から数日後、ムニンから贈られたロク鳥で森の隠れ家へ帰っていった。それから幾度となくロクで飛んできては、ダイオとムニンの意思疎通の手助けをしてくれる。むろんウラルらにもダイオの状況を伝えてくれ、何か言いたいことがあれば手紙の代筆もしてくれた。
 メンバーがメンバーだけにかなりにぎやかではあるが、穏やかな日々が続いた。ウラルは炊事の手伝いや、山ほど持ってこられる穴あき衣類の繕い物に精を出し、フギンは片腕ながら槍や剣の稽古に励んだ。アラーハはもっぱら子どもらの遊び相手が仕事だったが、そのうち森が恋しくなってきたのだろう。軽々と城壁を飛び越え〈エルディタラ〉を取り巻く山に入っていき、何日かに一度、顔を見せに帰ってくるようになっていた。
 〈エルディタラ〉に着いたのが冬半ば、それから春が過ぎ、夏も終わりかけている。もともとの〈エルディタラ〉要塞に陣取ったベンベル人たちはこちらににらみをきかせながらも動かず、エヴァンスらも姿を見せない。イズンも行方がわからないままだ。
 そんなある日のことだった。
「ウラルさん、ダイオ将軍がそろそろこちらに向けて出発したいとおっしゃっています」
 シガルがそう伝えてくれたのだ。傷を受けてからもう一年。もう十分に体力を取り戻し、馬にも乗れる。ウラル、フギンにも会いたいし、ムニンに礼を述べたいと。
 やっとダイオに会える、とウラルの胸はふくらんだ。一年も待ち望んだ再会だ、当然フギンも喜ぶと思っていたのだが。
「いや、シガル、ダイオにはちょいと待つように伝えてくれないか?」
 ばつ悪そうに目を泳がせるフギンに、シガルは心外だとばかり目をしばたいた。
「なぜです?」
「いやさ、一年前にダイオを見捨てて逃げちまったから。ウラルを守るためには仕方なかったんだけどな。俺さ、ちゃんとダイオに謝りたいんだ。だから謝られる立場のダイオを自分のところへ呼び寄せるなんてまねはしたくないんだよ。俺の方からダイオのところへ行きたい」
「ダイオ将軍は気にされていませんよ」
 フギンは首を振った。
「けじめ、ちゃんとつけさせてくれ。なに、馬だったら四日もあれば着けるからさ。それから一緒に〈エルディタラ〉へ戻ってこようって。そう伝えてもらえるか?」
 四日で〈エルディタラ〉から森の隠れ家、リーグ国の西の端から東の端というのは、いくらリーグ国が南北に長い国土だとはいえかなりのハイペースだ。シガルは「四日は無理でしょう」と言いかけ、〈エルディタラ〉がもとは騎馬盗賊団だったことを思い出したらしい。口をつぐんでうなずいた。
「でも、エヴァンスがまだ私たちのこと狙ってないかな。フギンひとりで行くのは危ないんじゃ」
「ウラル、まだ気にしてるのか? 最後にやつを見てからどれだけ経つ。いい加減あきらめてどっか行ったんじゃないか? 〈エルディタラ〉着いてすぐに山狩りできてればなぁ、こてんぱんにやっつけてやれたのに」
 急に怒気まじりになったフギンの口調にウラルは身をすくめた。たしかにもう半年、エヴァンスは気配のかけらすら見せていない。
「そうよね。狙われる危険もないわけだし、私も一緒に行っていい? フギンがダイオに謝らなきゃならないなら、私も同じよ。いいでしょ?」
「ウラルはあのとき気を失っててどうしようもなかったわけだし、べつに謝ることはないと思うぞ。でもまぁ、一緒に来るって言うんなら。ウラルが一緒なら四日じゃ無理だな。シガル、六日ってことでダイオに伝えといてくれよ」
「わかりました、ダイオ将軍の方も断りはしないでしょう。まぁ一応、ダイオ将軍の答えを待ってから出発してくださいね」
 シガルはすぐに飛び立ち、ダイオの「了解」の答えを携えて戻ってきた。それでムニンに十二、三日ほどで帰る旨を伝え、準備を整えた。
 フギンが貸し馬屋から借りていた馬はとうに人を介して帰してある。かわりに〈ゴウランラ〉の戦いで死んでしまったというフギンの愛馬ステラの姉妹馬ディアンをムニンから贈られ、フギンは大喜びしていた。ウラルの方は犬笛でアラーハに合図し、森から帰ってきたイッペルスに旅立つ旨を伝える。ダイオに会いに行くのだ、喜ぶかと思ったが案外そうでもなく、ただ穏やかにうなずいただけだった。
 そうして迎えた旅立ちの日。行ってすぐ帰ってくるにもかかわらず、みんな、特に姉さまがたがこれでもばかりウラルを心配してくれ、たくさんの物を持たせてくれた。食料に薬、力の弱いウラルでも使いやすい護身用の武器。エヴァンスがいないとはいえ、ベンベル人の警備厳重地帯を突っ切らなければならない。みんなが心配するのは当然といえば当然だった。
 アラーハの背に乗せてもらい、栗毛のディアンに乗ったフギンと並んで〈エルディタラ〉を後にする。
「半年ぶりだな、こうやって外に出るの」
 フギンが馬上でうーんと伸びをする。とたん、重心がぶれたのだろう。フギンの乗っていた馬がずるりと足をすべらせた。昨夜の雨でぬかるんでいたのだ。さすがは雨の多い場所をわざわざ選んだだけはある。
「ウラル、これから急斜面だ。鞍なしで大丈夫か?」
「大丈夫かって、どうしようもないでしょ」
「なんだったら代わるぞ。俺、一度そのイッペルス、乗ってみたかったんだ」
 フギンが馬を止める。が、アラーハは止まらない。ウラルを乗せたまましらんぷりでそのまま歩いていく。
「アラーハ、止まって」
 声に出して言ってみると、アラーハは一応足を止めてそのままウラルを振り返った。耳を伏せ鼻にシワをよせ、不快感をあらわにして。
「フギンを乗せるのは嫌なの?」
 アラーハはそっぽを向いた。
「なんだ、女の子しか乗せないってか」
「そうでもないと思う。アラーハ、嫌だったらうなずくはずだし」
 困惑しつつもウラルはアラーハの背から飛び降り、フギンの馬のハミを押さえてやった。フギンも馬から降りる。
「でも明らかに嫌がってないか?」
 アラーハはこちらを鋭い目でぴたりとにらみすえている。
「ま、ひとまず頼むだけはしてみるか。なぁ、しゃがんでくれないか?」
 フギンがぽんとアラーハの肩を軽く叩く。馬の首を愛撫するように。
 とたん、アラーハが飛びのき、ぱっとツノを下げた。はえかわりの途中でまだ血の通っている、それでも十分に立派な枝角をこちらに向け、怒りもあらわに威嚇する。
「アラーハ、やめて! フギンじゃない。どうしたの?」
 アラーハは我に返ったようにツノをあげ、申し訳なさそうに耳をぱたぱたさせた。
「あー、やっぱり嫌だったか。ウラルじゃなきゃだめなんだなぁ。ウラル、お前本当にどうやって手なづけたんだよ」
 おそるおそるアラーハに近づき、そっと目をのぞきこむ。申し訳なさそうな、おどおどとした、人だったころのアラーハには到底にあわない目つき。
「アラーハ?」
 おかしい。人に戻れなくなった直後のアラーハは、フギンに肩を叩かれたくらいで怒りはしなかった。シガルが頭をなでても。ウラル以外が乗るのが嫌だったわけでもないはずだ。ナウトは喜んで背に乗せていた。なにかが、おかしい。
「ま、ウラル以外は乗せないっていうんならいいや。先急ぐぞ、お前が鞍なしのイッペルスに乗るんなら時間がかかるんだからな」
 再び栗毛のディアンにまたがったフギンにせかされ、ウラルは釈然としないままアラーハの背に乗せてもらった。
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