第三部 第二章 3「人の心、獣の心」 中

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 翌朝早く、イズンに見送られて二人は隠れ里を後にした。
 村を出るなり「ウサギ戦法でいくぞー!」と適当にそこらの木の周りをぐるぐる回り始めたはいいが、馬はともかくイッペルスは巨大なツノが邪魔して小回りがきかない。ここは巨木ばかりのヒュグル森ではないのだ。
 結局、フギンだけがディアンを駆り、ウラルとアラーハは立ちつくしてそれを眺めているだけになったから、効果があるのだかないのだか。うまくフギンに誘導されてくれればよし、二手に分かれたと思い込んでくれてもありがたい。けれどウラルとアラーハのにおいを追って何事もなくついてきそうな気がする。
 ひとまずフギンは遊んでいた。思いっきり馬を駆り、足場の悪い森をわざと急角度でつっきり、倒木を飛び越え、急旋回を繰り返す。ウラルがディアンに乗っても、とてもじゃないが同じことはできない。さすがは騎馬盗賊団の若頭。その後は火照った体を冷ましがてら、少し水量と幅を増してきた小川に入りザブザブ水を蹴立てながら歩いた。
「風、強いね」
 川は風の通り道とはいえ、昨晩からやまない強風で森の木はひっきりなしに揺れている。普段は静かな森の旅、これだけ葉鳴りの音でざわざわしているのは妙な気分だった。揺れる木の陰や葉裏になにかがいて、じっとこちらを見つめているような、そんな気になる。ウラルはそわそわあたりを見回したが、一番勘の鋭いアラーハが無反応だ。なにもいない。わかってはいるが落ち着かない。
 ある程度歩いたら香りの強い野草の上にあがって息をつく。そこからは川を離れて森の中を歩いた。次の町はそちらにある。
 隠れ里から一番近い町は里から半日歩いたところにあるそうだが、フギンはそこを選ばず、東へ、森の隠れ家へ一直線に向かう道中にある町へ行くことに決めていた。また森の中を野宿一回、二日かけて旅をする。その町に無事着けば、ヒュガルト町、ひいては森の隠れ家まで残すところ一日で着けるはずだ。
「ん、なんか印がつけてある」
 前を行くフギンが立ち止まって馬上から何かを手に取った。木の枝に結び白い布と、そのすぐ近くの木肌に刻まれた矢印型の傷。布は暗い森の中で目立つ程度には白く、傷もそれほど古くはなさそうだが、昨日今日につけられたものではなさそうだ。
「この先に何かあるのかな。いや、隠れ里からの帰り道の道しるべと考えた方がよさそうか。そういやこのあたりの地面、ちょっと踏み固まってるしな」
 道なき道をきたつもりだったが、たしかに言われてみればウラルらの前後はきれいな獣道で、草がほとんどはえていなかった。
「このまま道しるべをたどっていったら、追ってこいって言いながら逃げてるようなもんだよな。でも印もいい感じに古いし、もしここをすぐに別の誰かが通ったらにおいもごまかせるかも。それずに行くか」
 フギンはひとりでうなずき、矢印のさす方へ歩き始める。そうこうしている間に日が傾いてきたので、できるだけ地面の乾いたよさそうな場所を見つけて野宿のしたくをすることになった。したくといっても用心のために火をたけないので、荷物をおろし、地面の湿気を避けるためのロウ引き紙と毛布を敷くだけだ。食事はパンと干し肉とイズンが用意してくれたお菓子が少し。
「イッペルスはいいよなぁ、食事は草がありゃ困らないんだもんな」
 さすがに干し肉に飽き飽きしてきたのか、フギンがうらやましげにアラーハを見た。アラーハはどこ吹く風、ディアンと並んでのんびり草を食んでいる。
 と、アラーハが急にびくりと顔をあげた。
「アラーハ?」
 アラーハはじっとどこかを見つめていたが、気のせいだったと言いたげに再び首を下げて草を食み始めた。やまない風のおかげでアラーハもウラルと同じものを見たらしい。
「今日は念のため、交代で見張りしといたほうがいい。俺、起きて見張ってるからさ、ウラルは先に寝てくれ。適当に起こす。変な音とかしたらすぐに起こすんだぞ」
 不意にふぅっと風がやんだ。フギンにうなずきかけたウラルの視界の隅でアラーハが再び顔をあげる。
 あげた顔が、一瞬にして変貌した。一瞬驚いたように目を見開き……すぐに耳が伏せられ、歯がむきだしになる。警戒態勢だ。アラーハがこれほど敵意をむきだしにする相手はこの世でただ一人。
「フギン!」
 叫んだ瞬間、アラーハの見ている方、風下の藪の中に銀の矢尻があらわれた。まっすぐフギンを狙って放たれる矢、持ち前の機敏さでフギンが避ける。
「危ない!」
 避けた拍子に体制を崩したフギンを狙い、さらに別の箇所から放たれた矢の前にアラーハが立ちはだかった。ツノを下げ矢をからめとったその姿勢のまま突進する。
 さしものイッペルスの五感でも、この強風ではにおいはおろか音さえわからなかったのだろう。襲撃者は風下の闇の中に身を潜めていた。そして、ウラルとフギンが寝静まるのを待ち構えていたのだ。
 アラーハの突進する先で、抜刀音と共に金の髪がひるがえった。
「ばれてしまったか。やはり、その獣を先に引き離した方がよかったようだな」
 顔は見えず姿も見えず、けれど聞き間違いようのない声がする。エヴァンスは後ろへ下がって木を盾にし、アラーハの攻撃を防いだらしい。
 エヴァンスに気をとられた一瞬、背後で弓弦が鳴った。木製の義手に矢の突き刺さる音。さらにフギンの抜刀音。
「ウラル、下がれ! 馬の陰へ!」
 シャルトルの矢はウラルを狙わない。エヴァンスがアラーハと対している今、狙われるのはフギン一人だ。
「フギン、お願い。無茶しないで」
「そんなこと言ってられるか。死にたいのかよ! 余裕があるなら鞍とハミをつけろ。いざとなったら俺のことは気にせず逃げるんだぞ!」
 怒号の間にも矢は飛んでくる。サーベルを構え木陰のシャルトルに突進しようとするフギン、足手まといになってはならないと言われるまま馬の方へ後ずさるウラル。
 と、ピシッ! と鋭い音が耳を叩いた。燃えた生木がはぜるような音。音のした方からなにか巨大なものが倒れかかってくるのに気づき、ウラルは声もなくそれを見つめた。ウラルの一抱えの太さはある木が途中で真っ二つに折れ、びしびし、めりめり音を立てながらウラルの目の前に倒れこんできたのだ。思わず身をすくめたウラルのわきを馬に乗った男と巨獣が駆け抜ける。アラーハが体当たりで木をへし折り、馬に乗ったエヴァンスを開けたところへ追い出したのだ。
 エヴァンスが骨格の細いベンベル馬を駆り、剣を構えてアラーハに突進する。猟の要領で馬上から串刺しにする気だ。ただしイッペルスは馬よりはるかに大きな獣、上から下へ貫くことはできない。ランスを扱うかのごとく斜め前方に剣を構えて。
 対するアラーハは殺気を体中にみなぎらせ、眼光は鋭すぎるあまり目全体が赤く見えるほど。エヴァンスの突きは人と戦ったことのない獣が相手ならその命を一瞬で奪ったろうが、あいにくとアラーハは普通の獣ではない。ツノで剣をからめとり、へし折ろうとする。折られてはたまらないとエヴァンスが剣に力をこめ、ツノを振りほどこうとしたが、アラーハはそうそう簡単には離さなかった。アラーハは剣どころかエヴァンスの腕を折る機会をうかがっている。たまりかねたエヴァンスが剣を手放したその瞬間。
 馬が、エヴァンスを乗せたまま派手に横転した。アラーハがちゃぶ台返しよろしくツノを馬の腹の下に差し入れ、力任せにひっくり返したのだ。これには馬もエヴァンスもたまったものではない。エヴァンスはかろうじて寸前で飛び降り馬の下敷きをまぬがれたが、馬は悲鳴をあげ一目散に逃げ去ってしまった。
「スー・エヴァンス!」
「でかした、イッペルス! そのまま殺っちまえ!」
 主君の危機を察したシャルトルがアラーハに弓を向ける。そうはさせじとフギンが阻む。と、シャルトルが不意にウラルの方へゴーランの足と剣を向けた。ウラルを人質にとる気なのだ。フギンが慌ててウラルを守る姿勢に入る。とたん、シャルトルはゴーランを急旋回させ、どこからか投げナイフをするりと出してアラーハを狙った。
 放たれるナイフ、ぱっと後ろ足を跳ね上げてアラーハが矢を蹴落とした一瞬の隙をつき、エヴァンスがアラーハの蹄をかいくぐって落ちた剣を手にする。中腰の姿勢のままアラーハの首を下から上に貫かんとする剣は、とっさにツノで防御できない死角から。
 けれどアラーハはお見通しだ。長い鼻面でエヴァンスの右腕を殴打して切っ先をそらし、続けて前足の蹄をその腹部めがけて振りおろす。エヴァンスはすんでのところで後ろに跳び、全体重のこもる一撃をかわした。
 アラーハが激しく枝角をゆすり、エヴァンスに突進する。エヴァンスは闘牛士のように寸前でかわし、突きを繰り出すのだが、そのつどお見通しとばかりツノや蹄にさえぎられ、すさまじい反撃をお見舞いされる。右手首を狙った横蹴り、フェイントをまじえた枝角での横殴り、首をまっすぐに狙った噛みつき、横っ飛びからの体当たりと回し蹴り。
「Maonna uze buusena…!(こいつは本当に獣か……!)」
 色素の薄い肌には玉の汗が浮かび、もうさすがに疲労の色が濃い。けれどアラーハは一瞬たりとも休みを与えず、獣の体力で向かっていく。
 アラーハはシャルトルには見向きもしないのだ。血走り三角につりあがった目は、エヴァンスのほかに何も見えていない。
「アラーハ」
 怯えてしきりに足踏みする馬のディアンの陰で、ウラルは震えながらペンダントをにぎりしめた。
「殺したくないって、そう言ってたのに」
 それでもアラーハの本心は。腕をぶるぶる震わせながらこらえていたあの怒りは。
(ジンを殺したやつは、もちろん憎い。だが、ここで、こんな形で出会わなければ、おそらくは俺が一生を終えるまで、復讐しようとは思わなかったはずだ。目の前にいれば憎くなるが、殺さなければ殺されるとか、そんなものではない)
 出会ってしまった。
「シャルトル!」
 とうとうエヴァンスが声をはりあげた。ウラルにはとても聞き取れない早口のベンベル語、シャルトルがフギンを振り切り、ゴーランを駆って主君の援護に回る。フギンは馬に乗っていないし、片腕なので弓も使えない。振り切るのは難しくなかったようだが、ずっとエヴァンスに気をとられていたせいか、フギンがほぼ無傷なのに対してシャルトルの体には細い傷が幾筋も走っていた。
 鞍上のシャルトルが手を差し出す。エヴァンスがその手をとり鞍上へ引き上げられたと思った瞬間、エヴァンスはさらに鞍を蹴って頭上の木の枝へ跳ねあがった。そこで弓を構え、アラーハを狙う。
 が、アラーハも負けてはいない。いきなり後ろ足で立ち上がったかと思うと、ウラルの身長の倍はゆうにある高さの枝にいるエヴァンスをツノで串刺しにしようとする。さすがにエヴァンスもそこまでは届かないと思っていたとみえ、なんとか持っていた弓ではじくことしかできなかったようだ。はじいたとたんに弓が真っ二つに折れ、木っ端が舞った。
 さらにアラーハは一撃を加えようとしたが、シャルトルが真後ろから矢を射ってアラーハの注意をそらした。その一瞬でエヴァンスはさらに高い枝へ逃げ延びる。
 アラーハは悔しげに頭を振り、蹄で地面をひっかいた。一度頭をあげてエヴァンスをにらみすえ、そして再び頭を下げてケンカヅノを前に向ける。攻撃態勢。
 どぅん!
 激しい体当たりが木をゆるがした。高いところにいるエヴァンスはかなり揺さぶられたが、その木はこのあたりで一番太い木だ。そうそう簡単に折れはしない。エヴァンスも戦いながら、どの木が一番丈夫か、逃げ場になるかを見定めていたのだろう。
 ばごん!
 アラーハ自身もかなり痛いだろうに、それでも容赦は一切ない。巨獣の全体重をこめたすさまじい一撃が。
 どがん!
 シャルトルが弓でアラーハを狙うものの、アラーハの視野はおそろしく広い。飛び道具はほとんど効かないといってもよかった。音と目とですぐに気づいて、避けるか叩き落すかしてしまうのだ。
 どぅん! ばこん! どがん!
 フギンもシャルトルがエヴァンスを助けることしか考えていない今、不意打ちのしどきだろうに、あっけにとられた様子でアラーハを見つめている。剣を手にぶらさげたままウラルの方へ歩いてきて、どっかりと腰までおろしてしまった。
 どぅん! ばこん! どがん!
 どぎゃん! どぅん! ばどん!
 べぎっ!
「アラーハ……」
 血走った目。殺すまで決して収まらない殺意。
「もうアラーハじゃ、なくなった、の?」
 びしっ! べぎぎぎぃっ!
 とうとう木が悲鳴をあげた。一度傾き始めればもう止まらない。
 エヴァンスが傾く木の上でじっとアラーハを見つめた。妙なほどの冷静さ。こんな状態で額に汗の玉をびっしり浮かべていても、いまだエヴァンスの目は恐怖の色を映していない。かわりに映しているのは、困惑の色。
 アラーハが最後の一撃を木に加える。断末魔の悲鳴をあげた木が横倒しになる寸前、エヴァンスが枝を蹴った。アラーハが待っていたとばかりツノを下げ、突進する。かなり高い場所から飛び降りたエヴァンスはまだ体勢を立て直せていない。
 寸前、シャルトルがゴーランともども主君と獣の間に割りこんだ。捨て身でエヴァンスの盾になるつもりだったのだ。けれどゴーランと一緒だったのが幸いしたのだろう。アラーハの目には全身灰色、ごつごつのウロコに覆われたゴーランが突如出現した大岩に見えたらしい。とっさに急停止、横に飛びすさった。
 アラーハがエヴァンスの姿を求めてぐるりと周りを見回すその一瞬でエヴァンスとシャルトルの位置が入れ替わる。エヴァンスはゴーランの鞍上に、シャルトルは鞍を降りて地上へ。
 攻撃態勢をとるアラーハ、けれどエヴァンスはゴーランに脚をいれ森の中へ全力で駆けこんだ。アラーハが追う。
 ゴーランはあくまで二足歩行するトカゲ、足は馬ほど速くない。普通ならすぐにアラーハが追いつくはずだが、エヴァンスはわざと細い木の密集した、大角をもつイッペルスには通りづらいところを選んで駆け抜けていった。ゴーランは小回りがきくのだ。アラーハが怒りの声とともに細い木を体当たりでたたき折る。
 馬を失い、主君を見失ったシャルトルはただひとりでウラルとフギンを見つめていた。静かに光る緑の瞳。フギンがウラルの前に立ちはだかる。
 剣を手にすぅっと間合いを詰めてきたシャルトルは、フギンに切りかかると見せ、不意に体を反転させて地を蹴った。あっと思った次の瞬間には、シャルトルの体はフギンの馬ディアンの鞍上にある。ディアンの陰にウラルがいるのは知っていたはずだが、目もくれずに馬腹を蹴った。
「おいこらてめぇ降りろ!」
 馬を盗まれフギンが怒鳴ったが、まさか愛馬の足を攻撃して止めるわけにもいかない。一目散にエヴァンスを追い駆けていくシャルトルの後姿を見送るしかなかった。
「追うぞ」
 フギンが舌打ちしながら剣をおさめた。
 馬もアラーハもいないので徒歩になったが、後を追うのはたやすい。地面を踏みにじった跡や、怒りに任せてアラーハが叩き折った木、エヴァンスを援護するためシャルトルが放った矢。目印がいくらでもある。
「フギン、これ」
 ぼろぼろになった木のかげに白い布と矢印の傷を見つけて指差すと、フギンが顔をしかめた。
「あれ、次の町は正反対だぞ。こっちには町も村もしばらくないはずだ。さっきまではちゃんと町へ向かってたんだけどな」
 矢印の示す方へエヴァンスらはまっすぐに向かっていた。
「なにか、あるのかな」
「あるんだろ。たぶん、逃げこめる場所が」
 どぅん、とかすかにアラーハの体当たりの音が聞こえてきた。またエヴァンスが木に登ったのだろうか。
「急ぎましょ」
 足早に夜の森を歩く。さほどの距離はなかった。
「猟師小屋だ」
 丸太作りの荒っぽい、けれど頑丈そうな小屋があったのだ。きっとこのあたりの猟師が共同で使っているものだろう。あの白い布と木の傷は秋の猟期のためにとつけられたものだ。
 その屋根にはゴーランが四足でトカゲらしくへばりつき、かたわらにエヴァンスがかがんでいた。アラーハはむなしく小屋の壁に体当たりを続けている。ディアンはつながれもせず馬具をつけられたままで小屋の周りをうろうろしていたが、フギンの姿を認めるなり駆け寄ってきた。
 と、煙出し用の小窓が小屋の内側から開けられた。シャルトルだ。エヴァンスはじろっとアラーハを見、ウラルらを見て、そこからするりと小屋の中へ入っていった。ゴーランだけが屋根にぴったりへばりついたまま取り残されている。
 アラーハはまだ小屋への体当たりを続けていた。
「アラーハ、やめて」
 呼びかけたが、アラーハはやめない。何度も自ら叩きつけていた肩の毛はすりきれ、ずいぶん短くなって、血がにじんでいる。毛と、あとは皮膚の色が黒いのでわからないが、ひどい打ち身もできているに違いなかった。
「この丸太はさすがに折れない。小屋は壊せない。わかってるでしょ、アラーハ?」
 危険を承知でアラーハの首、怒張した血管がくっきり浮かび上がる首に手をやり、イズンの家の時のように説得する。最初はまったく聞こえていないようだったが、体当たりの威力が少しずつ弱まっていき、やがてやめてくれた。
 が、やめた後もウラルの方はちらりとも見ない。小屋をぎろぎろ横目で見つめながら、雨どいの下の甕にたまった雨水を飲み、そこらの草をめちゃくちゃに食み始めた。エヴァンスが出てきたときに備え、力を蓄えておくつもりなのだ。オオカミのように、疲れきった獲物が焦れて向かってくるのを待っている。
「アラーハ……」
 この獣が、本当にアラーハだろうか。
 エヴァンスへの報復を厭い、森へ帰っていったあのアラーハだろうか。
「なぁ、ウラル」
 フギンが遠慮がちに声をかけてくる。
「あの、この獣がアラーハでんでんの話、もう一度ちゃんと聞かせてくれないか?」
 え、とフギンを振り返る。フギンはぷいと顔をそむけ、ディアンの腹帯をゆるめにかかった。
「あ、違うからな、信じるってわけじゃないからな! ただ、こいつの戦い方が気になったんだ。あれは獣じゃない、人間の戦い方だよ。少なくともこいつは人間の戦い方を知りつくしてる。でないと、あんなお見通しとばかり綺麗に受けられるわけがない」
 ウラルは黙っていた。フギンはなおも続ける。
「それに、栗毛には見向きもせず金髪野郎ばっかり狙ってたろ。ついでにあれは、ウラル、お前を守ってるわけじゃなかった。憎しみだよ、あきらかに。でもさ、アラーハは金髪野郎に向かっていく勇気もない腰抜けだった。だろ?」
 ウラルはまだ黙ってアラーハを見つめていた。フギンも黙って答えを待っている。
「フギン、言おう言おうと前々から思っていたんだけど、なんだか言えなかったことがあるの」
 口を開いたウラルに、フギンは黙ってうなずいてくれた。
「アラーハはね、ジンのお父さんだったの」
「は?」
 すっとんきょんな声をあげたフギンから目をそらし、ウラルはもう一度アラーハを見やった。
「いや、お頭の父親って、あのリーグ騎士のフェイスって人なんだろ? お前、前にダイオと二人でそう言ってたじゃないか」
「そう、生みの親はフェイス将軍。ジンも騎士さまで……でも、十歳のときに盗賊にさらわれて行方不明になったの。それを助けて、育てたのが、アラーハ」
「うそだろ。だって、俺、お前よりもずっと長くあの二人と付きあってたんだぜ。なんでお前が知ってて俺が知らないんだ」
「どうして二人が隠してたのかは私も知らない。でも、ひとつだけ、ちゃんとわかってる」
 なんだと言いたげにフギンがウラルの横顔をのぞきこむ。
「アラーハは腰抜けじゃない。誰よりもエヴァンスを憎んでた。でも、あれ以上誰も失いたくなかったの。フギンも、私も。それから、それからね」
 ウラルはゆっくりと目を伏せる。アラーハがめちゃくちゃに食い散らした草の束。
「爆発してしまうのが怖かったんだと思うの。報復しか頭にない獣になってしまうのが」
 おいおいおいとフギンがまだ何か言いたげにしたが、ウラルはよほど暗い顔つきをしていたのだろう。口を閉ざし、黙ってアラーハを見つめていた。
「嫌がってたのに……」
 アラーハはこちらをちらとも見ず、草を腹に詰めこんでいる。
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