第三部 第三章 1「暗雲きたる」 下

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 フギンは帰ってきた。予告していた三日間から遅れ、またもシガルがロク鳥で探しに行ったもののその他は何の問題もなく、ウラルと別れてから五日後に無事戻ってきた。
「小僧、何ヶ月待たせるのだ! ウラルにこんな怪我までさせて何をしておった!」
 ダイオの雷。もうフギンは平謝りだ。相手がダイオだけに誰も止められず一同ただ目を白黒させている中、ダイオはフギンを怒鳴り散らし、最後に鉄拳を一発お見舞いしてどこかへ歩き去っていった。
「ウラルの時とはえらい違いだ。やっぱり騎士様って女の子に優しいもんなんだなぁ」
「でもやっぱりダイオ卿、相当ふたりのこと心配してたし」
 フギンはしょんぼりうなだれている。
「遅れに遅れた上に、最後に会ったときが瀕死のダイオを見捨てて逃げちまってるんだもんな。そりゃ怒るさ……」
「お前が反省? うっわ、にあわねぇ」
「似合わなかろうがなんだろうが、反省しなくちゃならん時ってあるだろ」
「それでもやっぱり似合わねぇ」
「黙ってろお前」
「うわー、重症だわこりゃあ」
 なぜか茶々をいれたマルクまでしょんぼりしてしまった。まぁまぁ、とウラルが割って入る。
「とりあえず無事に帰ってきてくれてよかったわ。遅かったからまた何かあったのかと思っちゃった」
「あー、そうなんだ。帰ってくる途中でちょいと面倒に巻きこまれてさ。ウラルも俺と別れた時よりはちょっと元気になったみたいだな。よかったよかった」
「セラにちゃんと介抱してもらってたからだいぶ良くなったよ。面倒って?」
 うん、とフギンは神妙な顔でその場の面々を見回した。
「なぁみんな、南の方の税金がやたらめったら高くなったって話、知ってるか?」
 初耳だ、と言いたげな大多数の中、マルクがうなずいた。
「アラス岬のあたりだろ? ムールの巣があるあたり一帯が閉鎖されて、税金がやたらめったら跳ね上がって。やつら、ムールを減らしてリーグ人の力を削ぎたいんだ」
「さすが巨鳥乗り。でさ、この閉鎖地域が最近どんどん広がってきてるらしい」
「海岸線だけじゃなくてか? なんのために?」
「知らねぇよ。とりあえず俺はここに帰ってくる前に南から逃げてくる一家に会って、案内兼ボディガードみたいなことやりながら遠回りで帰ってきたんだ。ほら、〈アスコウラ〉の近くに鉄山があったろ? そこの鉱夫の一家だった。そこの鉄もベンベル人に押さえられてたらしい」
「なるほど、鉄か」
「いや、それだけじゃない。ムールに鉄、それならリーグ人の力を削ぐってことで話はわかる。でもその鉱夫によるとそれだけじゃない、農地が押さえられた。作りかけの作物をめちゃくちゃにされて、かわりにこれを作れとベンベルの作物の種を押しつけられてるそうだ。治安もどんどん悪くなってる。おまけに南部と中部の間を区切ろうかって計画まであるらしい。コーリラとリーグの間にあった国境線みたいなのを」
 場が静まり返った。
「〈アスコウラ〉はどうしたんだ? 〈ゴウランラ〉の戦いでほとんど人はいなくなったと思うけど、まだ何人かいることはいるんじゃないか? 〈エルディタラ〉みたいにさ」
「砦にはベンベル人どもが居座ってるよ。あのあたりは国を取ったベンベル人どもが真っ先に攻め立てたところだからな。〈ゴウランラ〉の戦いで主力が出払ってる時だったし、たいした抵抗もできず砦を手放さざるをえなかったんだ。生き残った連中は〈ジュルコンラ〉に逃げこんだ」
「ということは、〈ジュルコンラ〉は無事なのか?」
「ありゃ、フギンに話してなかったか? 〈エルディタラ〉、〈ジュルコンラ〉、〈ナヴァイオラ〉の三組織は無事だぞ。そりゃあ〈ゴウランラ〉の戦いで壊滅的な打撃は受けたけどな……。でも少しずつ修復してるぜ。規模だって元リーグ軍人も迎え入れてどんどん大きくなってる」
 フギンの顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ南の様子を知るためには〈ジュルコンラ〉と連絡をとるのが一番だな。そっかそっか、みんな生きてるかぁ!」
「生きてるやつも、生きてないやつもいる」
 暗くなった仲間の声にフギンは顔を歪め口を閉ざした。
 ウラルは少し離れたところの椅子に座り、黙ってフギンを見つめていた。
 フギンは〈ジュルコンラ〉へ行く。それにウラルもついていくのだ。〈ジュルコンラ〉にはマームと、ブルームーンストーンの棺の主メイルがいて……。
「ウラル、気分が悪いのか? 横になってなくていいか?」
 気がつくとマルクがウラルの目の前でひらひらと手を振っていた。
「怖い話だと思って。そういえばフギン、メイルって人を知ってる?」
 フギンが眉をひそめた。
「なんでお前がメイルを知ってるんだ? マライの妹だよ。すっごい美人の」
 〈スヴェル〉の頼れる女将軍。ベンベル人の監獄で拷問を受け、首をつられて死んでいった仲間。妹がいたとは。
「まさか、また夢に見たのか?」
「うん。たぶんマームさんと一緒に〈ジュルコンラ〉にいる」
「そりゃあマライとメイルの父親は〈ジュルコンラ〉の頭目だったから、生きてりゃ当然〈ジュルコンラ〉にいるだろうけど」
 フギンはゆっくり歩み寄ってきて、ウラルの正面にしゃがみこんだ。
「ウラル、もうさすがの俺もお前の予言は信じるよ。百発百中だもんな。でもさ」
 悲しげな顔でウラルの部屋のドアを指す。
「休めよ、そうすりゃちょっとは気分が良くなるさ。顔色悪いぞ」
 大丈夫と答えようとしたが、フギンの目があまりに不安げなのでウラルはおとなしくうなずき、「ウラルはたまに予言をするんだ」と仲間に説明するフギンの声を背中に自分の部屋のドアを開けた。
 空けた瞬間、ウラルは硬直した――ドアを開けた真正面にある窓から、向かい合う二頭の巨獣が見えたから。
「ウラル、次はどうしたっていうんだ?」
 ウラルの背後から窓を覗き込んだフギンも硬直する。
「なんてこった、アラーハが二頭に増えた!」
 フギンは冗談めかしたが、一頭はアラーハ、そしてもう一頭はイッペルスではあるものの、幼い子供でも見分けられるほどにはアラーハと異なる姿だった。アラーハよりもやや小柄で、明るい鹿毛のアラーハとは違い全身が黒く、アラーハよりやや骨細だ。とはいえそれはアラーハが骨太すぎるだけで、黒いイッペルスは決して華奢ではない。硬く硬く引き締まった体つき。野生の獣の体。
 視線に気づいたようだ。黒いイッペルスがウラルを振り仰いだ。
「出て行け、人間ども」
 よく透る若い男の声は、黒いイッペルスの口から。
「ここは俺、ヒュグル森守護者ノアーハが地神より賜った領地。アラーハ大叔父がなぜお前らをここに住まわせたのか、俺には皆目見当がつかん。出て行け、人間ども。ここはイッペルスの領地だ」
 ノアーハは自分を見下ろす人間をねめつけ、ついでアラーハをねめつけて、悠然と森の中へ消えていった。
「なんだなんだ、今しゃべったの誰だ!」
 大騒ぎを始めた仲間の中、ウラルとフギン、それに人垣の後ろに立っていたイズンは困惑の視線を交わしあった。人ごみをかきわけイズンが二人に近づいてくる。
「いい機会ですから言わせてください。実は、ここを引き払う計画はちょっと前から出ていたんです。彼の言い分がなくても」
 思わず再び顔を見合わせたウラルとフギン。イズンは一拍をおいて続けた。
「この森の木は頑丈で、太くて、まっすぐの良木ばかり。ベンベル人が神殿を建てるのに目をつけましてね。かなりの数のベンベル人が出入りするようになったんです。幸いにして僕たちはまだ見つかっていませんが、こんなところに隠れているのがばれたら。ここは砦ではありません」
 灰色の布の隙間、唇が悲しげな笑みを作る。
「あれだけダイオ将軍がお怒りだったのも、それが一枚噛んでいるんです。ここは危険だ、もう少し早く移動したかった。ウラルさんが回復したらこの家は離れることになるでしょう。その心積もりでいてください」
 再びしょげるフギンの背をマルクがべしりと叩いた。
「おいフギン、お前は答え知ってんだろ? ウラルとイズンもそんな慌てもせずに当然みたいな顔してさ。なんなんだよ今のしゃべるイッペルス……」
 心底不安げな顔をしている柄の悪い男らにウラルは困り顔を向け、「信じられないなら無理に信じなくていいんだけど」と森の守護者について話し始めた。
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