第三部 第三章 2「見つけた」 下

     ***

 ナウトを探しに行ったにもかかわらず、ナウトが戻ってきても帰ってこなかったアラーはが姿を見せたのは、翌日の朝だった。
 エヴァンスの一味はすべて隠れ家へ来てそのまま帰ったにもかかわらず、アラーハはあきらかに戦闘後の風体をしていた。いたるところに小さな切り傷を負い、ツノが血のりで汚れている。
「アラーハ、誰と戦ったの?」
 人語を失ったアラーハは首の動きでしか答えを返せない。ウラルはアラーハの傷に薬を塗りながら質問を続けた。
「エヴァンスの一味?」
 ちがう。
「新しい森の守護者?」
 アラーハは少し間をおき、ゆっくりと首を横に振る。
「リーグ人?」
 ちがう。
「ベンベル人ね?」
 そうだ。
「エヴァンス以外のベンベル人となると、ティアルースが言ってた人たちかな。森の木を切りに来ていた人?」
 そうだ。
「どうして? ベンベル人は森の中に入れたくないから?」
 アラーハは黙ってウラルを見つめているだけだ。こうして「話す」のは本当にまどろっこしい。が、今回はウラルが答えを言えていないというより、アラーハが迷っているようだ。断言できないらしい。
「もしかして巻き込まれたの? たとえば新しい森の守護者が戦ってて加勢したとか?」
 アラーハは強くうなずいた。ウラルが「たとえば」で挙げたことがずばり真実だったようだ。
 ベンベル人の神殿を作るために森の木が切り倒される。アラーハにとっても黙っていられなかったのだろう。だが、エヴァンスですら逃げ惑うしかなかったアラーハを相手に、森の木を切り倒しに来たベンベル人らは軽症とはいえ傷をおわせた。しかもその場には現守護者ノアーハもいたはずなのに。エヴァンスほど腕の立つ者が相手にいたか、あるいはそれだけの大人数だったか。普通に考えれば後者だ。
「〈聖域〉は守れそう?」
 ばかなことを言うな、と言いたげにアラーハの目が怒気を帯びる。
「アラーハはこの森を離れないほうがいいんじゃない? 新しい守護者は経験が浅いし、万が一のことがあったら」
 ばかなことを言うなと言っているだろう、と言いたげにアラーハが鼻面でウラルを小突いた。まっすぐウラルを見つめる。「俺はお前と一緒に行く」
「そう言うだろうと思ってた」
 ウラルはかすかに息をつく。そうでなければ森を放り出してまで最後までジンについていったはずがない。ウラルが森に残ればアラーハも残るだろうが、そう言えばフギンやダイオになんと言われるやら。ウラルとしても二人にこれ以上心配をかけたくない。そして、やっと再会できたみんなと別れたくないのだ。
「アラーハ、出発は明日の朝、ナタ草が黄色になる時だから。その時までには戻ってきてね」
 アラーハはうなずき、森の中へ消えていった。
 ウラルは胸元のペンダントをにぎった。この隠れ家に戻ってきた直後、感じたものが戻ってくる感覚をおぼえながら。
 南へ。
 ごめんなさいジン、もう少し待って。私はみんなと離れたくない。

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「エヴァンスの襲撃が予想される。もし出くわしたら無理に戦おうとするな。逃げて構わん、自分と仲間の命を優先せよ。はぐれたらオーランド町へ向かえ。そこでシガルとマルクが待機している」
 ウラルは馬車の中でダイオの言葉を反芻していた。
 〈エルディタラ〉の一群は隊商とその護衛のふりをし、堂々と街道を進んでいる。髪の長い者やヒゲのあるものはばっさりと切り、髪の短い者はかつらやフードをかぶって多少人相を変えた。
 なかでも見ものなのは御者台に座った妙齢の美女だ。長い髪で顔の左半分を隠し、その隙間から痛々しいヤケドの痕が垣間見える。女にしてはいささか背が高すぎるが、線が細いので違和感はない。声も低いが、酒で潰れたハスキーボイスといってもぜんぜん通用する範囲だ。腰のベルトにはフルートがさしてある。
「……イズン?」
 朝、突然この格好で隠れ家の前に現れたイズンを前に、一同思わずぽかんとなった。女神のようにほほえむイズンの後ろから化粧道具を持ったセラがにやにやしながら現れる。「ねえ、源氏名つけてあげてよ」。早朝の森が大爆笑に包まれた。アラーハまで蹄で地面を激しく叩き、笑い死にそうになっていた。
「ウラル姉ちゃん、なに笑ってるの?」
「え? ああ、イズンの女装が本当に似合うなと思ってね」
「イズンじゃなくて、イエラさん。でしょ?」
 そうね、とウラルはもう一度笑った。その場ですぐさま決まってしまった「源氏名」だ。カーテンで仕切られているだけの御者台に話は筒抜けのはずだが、イズンは黙っている。今になって恥ずかしくなってきたのかもしれない。
 馬車には多少背格好を変えてもすぐばれてしまう二人、片腕のフギンと子どものナウトが乗っていた。本当は顔に大ヤケドをおっているイズンも馬車に乗る予定だったのだが、まさかの女装で晴れて御者台にいるというわけだ。この変貌ぶりではヤケドがあろうが同一人物には見えない。
 ウラルは背格好くらいどうにでも変えられるし、もと盗賊の野次馬たちもウラルの男装やら仮装やらを見たがっていたが、本当に襲われたとき前線にいては真っ先に狙われるからと馬車に乗せられた。背格好の変えようがなく馬車にも乗れないアラーハは街道に接する森の中を静かに進んでいる。
「服を貸してほしいって言われた時にはどうしようかと思ったけど」
「よく服が見つかったよな。あきらかにサイズ違うだろ」
 フギンが親指で御者台を指す。
「うん。でもイズンって本当に線が細いのね。肩幅が私とそんなに変わらなかったから、裾と袖を伸ばすだけでよかったの。でも、なんであんなことになったの?」
「罰ゲームだよ。珍しいことにカードゲームで負けたんだ。負かしたのはこいつ」
 ナウトの頭をぽんぽん叩く。
「子ども扱いするなよ」
 ナウトが不機嫌に言い放つが、フギンは無視して続けた。
「他のやつは丸刈りとかだったんだけどな、イズンは馬車に乗る予定だったろ? なのに格好変えても仕方ないからさ、『とりあえず面白いことやれ』ってことになったんだ。まさかここまでやるとは思わなかったなぁ」
「めったに負けないから程度がわからなかった?」
「かもな。〈エルディタラ〉に着くまであれ続けるつもりかな」
「そんなわけないでしょう。明日になったら戻しますよ」
 ようやく御者台から本人の返事があった。フギンはげらげら笑っている。
「今日一日はやるつもりなんだ?」
 返事が返ってこなくなった。三人で馬車の中、笑い出す。
「なぁイエラちゃん、歌ってくれよ。やっぱり美女といえば歌だろ歌」
「なんですかその基準は。御者やりながらフルートは吹けませんよ」
「だから歌だってば。ごまかすなよ、これも罰ゲームの一環だ。な、ナウト。今日一日『イズンが面白いことする』ってルールだったよなぁ?」
 さすがに悪乗りが過ぎる。が、止めようとしてもウラルの方まで笑いが止まらない。ナウトも同じでげらげら笑いながらうんうんうなずいた。
 イズンがあきらめた様子でハミングし始める。
「だから歌えってば! なんでハミングなんだよ!」
「いくら僕が女声でも歌えばさすがにばれますよ」
「酒焼けか潮焼けした声なんだよ大丈夫だ」
「僕は大酒飲みでも海岸出身者でもないんですがねぇ」
 しぶるイズンにフギンどころか周りの男らからも野次があがる。いつもすました参謀のめったに見れない面白おかしい姿だ、荒くれ男らには野次をあげるなというほうが無理らしい。
 イズンは苦笑しながらコホンと空咳をした。
「ではお応えして。何がどうなっても知りませんよ?」
 わあっと歓声があがり、驚いた馬車馬が一瞬速足になった。それをなだめながらイズンが口を開く。
「時は神話時代の終わり、リーグ国とコーリラ国がふたつの島国だった時代です。二つの国は戦のさなか、互いが互いの利を我が物にと海戦を繰り広げ、間の海は戦士の血と火責めの炎で昼夜を問わず赤く染まっていたといいます……」
「『アレントの叙事詩』か」
 馬車の外からダイオの声。ウラルも旅芸人の歌語りで何度か聞いたことのある有名な伝説だ。
 このたび重なる戦で消えゆく命を風神が嘆き、海のように行き来ができない巨大な壁を当時島国だった二つの国家の間に作ってほしいと地神・水神に頼む。二神はこれを聞き入れて海を埋め、かわりに万年雪を抱くほどの高山ヴァーノン山脈を間に築いた。
 が、海が埋め立てられた際、海戦中だった兵士が大勢生き埋めになってしまった。これによって多くの部下を失った騎士アレントは嘆きのあまり気が狂ったようになり、王に楯突いたり他の騎士を切り殺したりと大暴れする。挙句の果てにろくな装備もなく神々を呪いながらヴァーノン山脈を登り始めた。そんなアレントの前に不思議な女が現れる。
 女は「あなたの嘆きを風神は聞き届けました。神々への畏敬の念を取り戻し、もう戦をせぬと誓い、私を妻とするならばあなたの部下を蘇らせましょう」とアレントに申し出る。部下が戻ってくるならとアレントが受けると、みるみるヴァーノン山脈の東側が崩れだし、できた平野にアレントの部下らをはじめとする兵士たちが立っていた。大喜びでアレントが女の手を取ろうとすると、すでに女の姿は消えていた。こうしてリーグ・コーリラ両国は今の姿になったという伝説だ。
 ちなみにこの後、アレントが両国をつなぐことになったスカール町の領主になるまでの話や、町娘にちょっかいをだしたアレントを消えたはずの女が不貞だとなじりに来て一触即発になる話やら、王との軋轢に苦しむ話やら、刺客を放たれコーリラ国に拉致される話やら、続編が山ほどある一大叙事詩になっている。
 最初の一小節を語ったイズンに拍手の雨が降り注いだ。
「お前なんで男に生まれてきたんだよ! イエラでいいだろもうずっとこの姿でいろ!」
 イズンは赤く染まった頬で黙っている。ノリノリだったわりにはかなり恥ずかしかったようだ。
「ちなみにダイオ卿はアレント卿直系の子孫だそうですよ」
 え、とその場の全員がダイオをまじまじ見つめた。ダイオは笑いながら肯定する。
「スカール町の領主は代々アレントの裔、今の領主は我輩の兄だ。もっともベンベル人が攻めてきてから一度も会っていないから安否もわからんのだが」
 誰もが知っている英雄の末裔がこんな身近にいて、しかも自分たちの指揮をとっているとは。誰もが興奮してささやきあった。
 その時だ。
 アラーハの太いいななきが聞こえた。「警戒しろ」。
「やっぱり追ってきましたね。揺れますよ、しっかりつかまって。フギン、僕は弓をとるので御者をお願いします」
「ちぇ、せっかく変装したのにな」
「フギンが僕を男だ男だ言うのが聞こえたんでしょうよ」
 曲がり角の死角から剣を構えたベンベル人が飛び出してくる。隠れていたところをアラーハに追い出されたのだ。とたん、街道の脇の木がつぎつぎ街道をふさぐ形で倒れてきた。
 馬車が急停止する。あやうく前に放り出されかけたウラルをフギンが、ナウトをイズンが支えた。暴れる馬をフギンが抑える。
 エヴァンスは応援を頼んでいたらしい。ベンベル人ばかりかなりの大人数だ。
「なんでこうしつこいかな、あいつは!」
 フギンに手綱をたくしたイズンはつぎつぎ矢を放っている。が、返ってくる矢も襲ってくる敵もいない。「美女」を攻撃するのを相手がためらっているのか、女装した男に近づきたくないのかどちらだろう。
 敵をなぎ倒し味方を助けながら、アラーハが馬車へ向かって駆けてくる。
「ウラルさん、例の場所ですよ。そこまで振り返らずに逃げてください」
 イズンの声にうなずく。そうするしかなさそうだ。視線を感じて振り向けば、さっき「子ども扱いするな」とフギンに生意気な口調で言っていたはずのナウトが心細げな顔をしてウラルを見つめている。
「大丈夫、また会えるから」
 ぎゅっと口元を引き結んだナウトに笑いかけ、ウラルは御者台からアラーハの背に飛び乗った。ついさっきまで荷物を鞍に乗せられていた三頭の駄馬、いや、駄馬に見せかけていたフギン、ナウト、イズンの馬が後方から追われ駆けてくる。それぞれの手綱を持ち主がつかみ、鞍上に飛び乗った。
「いくぞ!」
 ダイオの号令で仲間すべてが駆け始める。襲われ、身動きが取れなくなったら全員で逃げる。そう示し合わせてあったのだ。
 さっと森に入り、ばらばらの方向へ駆ける。腕に覚えのないものはまっしぐらに逃げ、多少腕の立つ者は相手を返り討ちにしてから再び駆け出す。エヴァンスとの正面衝突を避けながら西へ西へと。
「ウラル、きたぞ!」
 フギンの声に振り向けば、木々の間に金の髪。まだ遠いが、相手は確実にウラルとフギンを目指している。
 不意にウラルらとエヴァンスの間に一騎が割って入った。弓を構えたイズンだ。これにはさすがのエヴァンスもひるんだらしい。
「女を手にかけるつもりはない、どけ!」
 よく言うよ、とフギンが苦笑した。ウラルをつけ狙ってるのはどこのどいつだ。
「はぐれるなよ、ウラル!」
「わかってる!」
 ウラルとフギンは疾駆する。
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