第四部 第一章 4「〈ジュルコンラ〉の灯火」 中

     *

「この要塞はかなり特殊なつくりになっています。迷われた場合はためらわず、近くの者にお尋ねください。もうお聞きしたかもしれませんが、ここは坑道を改装したものです。誤って深部に入りこめば出てこられる保障はありませんので」
 フギンらと別れ、ウラルはメイルに要塞を案内してもらっていた。とりあえずはウラルがよく使うであろう場所、ウラルの部屋としてあてがわれた客室やトイレ、メイルの部屋や医務室を紹介してもらう。
「ここから先が非常時の脱出路です。迷いやすいので非常時以外は立ち入らないでください。万が一ここを使う場合は私や他の者も一緒ですので。上へ上へ登っていくと、いずれ町を囲む崖の上に出られます」
 メイルが小さな扉を開ける。と、真っ暗な通路があらわれた。ほかの場所はかなり整えられているが、ここはツルハシで岩盤を削ったそのままという感じだ。追っ手対策なのか通路に入ってすぐのところが狭くなっている。女のウラルやメイルなら難なく通り抜けられるが、大の男では肩がつっかえるだろう。まして武器を帯びた状態では抜けるだけで時間がかかる。
「準備万端といった感じですね。坑道を改装って〈ジュルコンラ〉がしたんですか? この短期間で?」
「まさか。百年前のこの町の領主です。このあたりは古くから領地争いの絶えぬ土地でしたので」
 メイルは岩壁のところどころにある細長い窓のひとつから外を見つめた。
 腕しか通せない程度の細い穴、その脇にはひとつひとつ箱のようなものが置かれている。何かの道具なのかもしれない。窓からはフランメ町の家並みがすぐそばに見えている。この要塞は馬蹄形の崖の内側をぐるりと取り巻く形で展開しているらしい。
「ウラル様、おかしいとは思われませんか? この要塞は町の内部を攻撃する形で作られているのです。この窓は弓兵用のもの、この箱は矢筒です」
 ウラルは首をかしげた。町の中を攻撃する形で作られた要塞?
「この要塞のみならず、この町自体が特殊なつくりをしています。不思議には思われませんでしたか? このいつ戦が始まってもおかしくない時に、この町の住民が普通に暮らしていることに」
 たしかに服屋も帽子屋も肉屋も普通に営業していた。昼間は服選びに夢中でまったく気づかなかったけれど。
「ここでならリーグ人らしい暮らしができると、フギン様を頼って近隣住民が集まってきているのです。フギン様は北へ逃げるよう何度も触れを出しているのですが、無理に追い出したりしないのはこの町の地下にも脱出路が無数に設けられているからです。金物屋が多いのには気づかれましたか? この町の金物屋には必ず隠し扉があり、崖の上への通路につながっているのです」
 まったく気づかなかった。なるほど、そんなしかけが隅々まで行き渡っているこの町だから、フギンはウラルをここに残しておいても大丈夫と判断したわけか。
「脱出路を使って住民を逃がした後、ここに敵兵を誘いこむ。そして文字通りの袋のネズミにするのです。過去にこのしかけを動かしたのは二回だけですが、その二回で十分でした。このフランメ町は決して市街戦に持ち込めない城砦町として恐れられ、領主同士の争いの只中にありながら平和を守ってきたのです。フランメ町には手を出すな、これは戦に関わりのあるリーグ人なら誰もが知っていることですが、ベンベル人はどうでしょう。上手く引っかかってくれるといいのですが」
 ちらりとメイルの唇に笑みが浮かんだ。さすがはマライの妹、たおやかな見かけからは想像がつかないほど好戦的らしい。
「そんなことを私に話していいんですか? 私がベンベル人に告げ口するかも」
「フギン様に一目置かれるあなた様だからこそお話したのです。不安要素があるならば、私があなた様を見張りましょう」
 ウラルはただただ苦笑した。
「わかりました、この要塞から出る気はないです。それから『様』づけはやめてもらえると。私は高貴な身分でもなんでもないので」
 いくらなんでも「ウラル様」と呼ばれながら教授されて脅されては。もう苦笑するほかがない。
「けれど、あなた様は〈セテーダンの聖女〉。そうでしょう?」
「人には慣れぬイッペルスを従え、奇跡を起こすとでも言われていますか?」
「そう聞いております」
 ウラルはため息をついた。風神の声を聞き、〈戦場の悪魔〉を正気に戻したのだからウラルは聖女と呼ばれるべき人種なのだろう。そう思って孤児院のおばあさんの問いかけにも〈セテーダンの聖女〉として答えたのだが……。やっぱり抵抗がある。
「イッペルスはただの友人だし、彼には人語が通じるからその気になれば誰の指示でも聞いてくれるはず。私はただの人間、あなたのお姉さんの友人です」
「ですが」
「それ以上は言いっこなし。ウラルと呼び捨てにしてください。じゃなきゃ、せめて『さん』づけで。いい?」
 メイルは露骨に顔をしかめた。主導権をとられるのが嫌いなタイプらしい。
「わかりました、ウラル」
 せっかくの美人が台無しだ。眉間に深いシワを刻んでいるメイルにウラルはただ笑ってみせた。
「あとはどこを案内していただけますか?」
「今日のところはこれで全てです。フギン様からナタ草が赤くなる時間に部屋へお連れするよう申しつかっておりますが、まだ時間がありますので、どうぞ私の部屋へお越しください。さっきも申しましたが、姉の最後をお聞かせ願えますか」
 ウラルはうなずき、先を行くメイルに従った。気分が重く沈む。戦のさなかに命を落としたジンやサイフォスのことはまだ話しやすかった。けれど戦で捕虜になったとはいえ生き残ったマライが、一年後に処刑されるさまを語るのは……。
「お父様はお呼びしなくていいですか?」
「ああ、そうですね。では先に父の部屋へ参りましょう」
 二人で部屋へ向かったはいいものの、どうやらイーライは忙しい人らしかった。部屋でお茶をいただきながら待たせてもらって、けれど雑談のひとつもない事務的で重苦しい雰囲気にウラルが疲れ果てたころ、やっとイーライが奥さんを伴って部屋に入ってきた。
 イーライもウラルに対して恐縮しきりだった。とりあえずメイルと同じように「様」づけはやめてもらったが、おおむね敬語で話しかけられた。
 三人に応え、ウラルは一通りのことをできるだけ淡々と語った。一応フギンやダイオが何か話していないか尋ねてみたが、二人とも何一つ話していないようだ。フギンがそこにいたと話せばイーライはともかく他の二人は混乱するだろうから、「仲間」がもう一人いたことにして話させてもらった。
 百人を超える看守に守られた監獄。拷問を受け続けたマライの惨状。深夜の絞首台で揺れていた体。あとほんの少し、ほんの少し早く助けに来ていれば。マライ。あの戦場で生き残ったのに。マライ……。
「場所はヒュガルト町北部の監獄ですね?」
「ええ」
「お父さん、南が落ち着いたら皆殺しにしましょう」
 この美女の口から皆殺しなどという言葉が出るとは。それはさすがに、とイーライと共に言いかけたところでメイルの目がうるんでいるのに気づき、二人して黙りこむ。
「火薬庫に火種を投げ込んで暴発させてやればいい。パニックになって逃げ回る者を捕らえて、マライ姉さんの受けたものの倍の拷問をして、城壁の外に吊るしてやる。一人ずつ鈴なりに吊るして見せしめにしてやればいい……」
 ぼろりとメイルの頬を涙が伝った。母親は真っ赤な目をしてメイルの背をなでている。
 がたん、とメイルの椅子が横倒しになった。目元を押さえながら部屋を飛び出していく娘を母親が追った。
 イーライも腰を浮かせかけたが、ウラルと二人きりで残されていると気づくと再び座りなおした。
「追っても構わないですよ、フギンの部屋はわかるので。そろそろ時間になると思いますし」
「いや、お送りしましょう。娘が失礼いたしました」
 こちらへ、とイーライがドアを開けてみせる。ウラルも立ち上がって外へ出た。
「メイルさん、お姉さんを慕っていたんですね」
「そうですね。歳も離れて性格もまったく違っていましたから、憧れていたのでしょう。あんなじゃじゃ馬になったのもマライがここを出ていってからです。それまではいたって大人しい、本ばかり読んでいるような子だったんですが」
 そうだ、今までの人の反応の方がむしろ異質だったのだ。黙って静かにサイフォスの死を受け入れたムニン、聞きたくないのと笑ったマーム。取り乱し、怒り、泣きじゃくる。そうなって当然だ、肉親が死んだのだから。
「あの、マライを救えなくて申し訳ありませんでした。監獄から脱獄して私に伝えてくれた仲間というのは、その、フギンなんです。〈火神の墓守〉になる前の。私たちがあと一日でも早く助けに向かっていればマライを助け出せたのに……」
「どうかお気に病まれないでください。もしを口に出したところで仕方ありますまい」
 感情を殺した声。それ以上かける言葉をなくしてウラルは口をつぐんだ。
「ウラルさん」
 ふとイーライが振り返り、あらたまってウラルに向き直った。
「ひとつだけ教えていただきたい。娘は最期のとき、どんな顔をしていたろうか」
 ウラルは目を閉じた。首をつられる寸前のメイル。遠目で、しかも目をえぐられ腫れ上がった顔だったが、これだけははっきりと言える。
「とても、悲しげな顔をしていました」
「……それだけが心残りです」
 イーライが再びきびすを返し、ウラルに背を向ける。ウラルは黙ってその背に頭を下げた。
inserted by FC2 system