ウラル。別の出会いがあれば。
自分がジンを手にかけることなく、ウラルが祭壇で自分に刃を向けることもなく。ウラルがベンベル人で、あるいは自分がリーグ人で。ただひとりの男と女として出会い、共に食事をし、たまに町へ出かけ、愛を交わす。そんな出会いができていれば。
「スー・エヴァンス!」
エプロンをつけたウラルが鍋を持って振り返る。故郷の料理が鼻をくすぐる。
「(今日はミュシェさんに鶏のヨーグルト煮込みを習ったんです。あなたの好物なんですってね)」
流暢にベンベル語を話すウラルだが、味覚はどうやらリーグ人のままらしい。薄味を好み、辛いものが苦手で、香り付けの香辛料は必要以上にたっぷり使う。
「(味見していただけますか?)」
鍋ごとエヴァンスのもとへ持ってくるのは半ば習慣になっている。
「(美味い)」
いささかサフランを入れすぎた少し薄味のヨーグルト煮。シャルトルや門番たちもまじえて食前の祈りを唱える。隣同士の席に座り、ほのかにセージの香る匙を口へ運ぶ。いつか自分の舌もリーグ人寄りになるのだろうかと思いながら。
「踊られないのですか」
かけられた言葉に振り向けば、栗色の髪を結った女がはにかんだ。
「すまないがダンスの趣味はない。他を当たれ」
短い答えに彼女は花嫁のような純白のドレスを揺らし、困ったような顔をする。
「あちらの方にあなたをお誘いするよう言われたのです。黙って立っておられてはほかの方に迷惑がかかると」
見てみればシャルトルが片目をつぶってみせる。あなたもそろそろ妻を娶られたほうがよろしい。優しく気のいいシャルトルはしょっちゅうダンスに誘われている。
「部下の悪戯だ。迷惑をかけた」
そうですかと微笑んだ娘が会釈をして背を向けた。
印象的な目をした娘だった。この世の全ての不幸を背負ったような、それでいてその全てを大切に胸へ抱きながら凛と立っているような。別れた後もその瞳が胸に居座り離れない。聖女の瞳。そんな言葉が脳裏をよぎる。
他の娘と楽しげに踊るシャルトルを横目に、エヴァンスは白いドレスを探し始める。ウラルの顔をした栗色の髪の娘を求めて。逃げ出す口実ができた、帰るならばお前を送ろう。そう告げようと誓いながら。
「あなたが好きです」
「……フギンでなくていいのか」
あなたが。真っ赤に熟れた頬をして、淡くあたたかな色の唇を震わせる。細い肩も、切ない声も。おのれの全てを震わせて。
「わたしはベンベル人だ。ジンを殺した、男だ。それでも受け入れてくれるのか」
ウラルの目が揺れる。長い睫が伏せられる。けれどウラルは首を振り、もう一度同じ言葉を繰り返す。――あなたが、好きです。
胸の中へ抱き込み思うさま唇を吸う衝動を抑えて。エヴァンスはウラルの手を取り、腰をかがめてその手の甲へと口付ける。
「お前を守る」
それは誓いだ。ウラルは目を見開き、すがるようにエヴァンスを見つめる。
「お前がどんな道を選ぼうとも、わたしはお前のかたわらを歩もう」
大きな瞳から大粒の涙がこぼれだす。唇がほころび花開く。
ああ、この笑顔が見たい。
やはりあの女は魔女なのだろうか。この心を操りおのれの思うままに動かそうとしているのだろうか。
一抹の不安をいだきつつ、部下の穏やかな寝息を聞く。
ウラル。よく眠れているか。
いささか酔いのまわりすぎた頭でかなわぬ夢を打ち消して、隣の部屋で眠る女へ呼びかける。