二章「狐の試験・上」

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 しゃり、しゃりん。闇の中から、鈴の音がする。
 小夜をはじめとした数え年で十二歳から十八歳までの晴れ着姿の少女たちは、じっと、そちらをながめていた。全員が晴れ着、立派な絹の衣を身にまとっている。
 しゃりん。鈴の音が近づいてくる。
 騎馬の列が姿を現す。今回はやんごとなきお方の行列ではない。牛車も、きらびやかな装飾もない。ただ、くろぐろと騎馬の一団が向かってくる。村をずいと横切り、村の一番奥、小夜たちのいる長老の家の前へ。
 その一団の中、最前列のもっとも目立つ位置に、見覚えのある騎手がいた。鹿毛の奔翔にまたがった若武者。一昨日この村に来られた「コックリさま」の一団の中でも、同じ奔翔にまたがっていた若武者だ。娘たちはその場にかしずき、頭をさげる。
 騎馬武者たちはまっすぐにこちらへやってきて、ひれ伏す娘たちの前でぴたりと止まった。鈴の音が止まる。どうやら、クマよけの鈴を、全員が鞍につけているらしかった。
「皆の者、おもてをあげよ」
 言われて顔をあげ、全員が立ちあがる。奔翔にまたがった若武者がほかの者より一歩前に出て立ち、やさしげにほほえみながら娘たちの視線を受けていた。ととのった眉目と、切れ長の目が印象的な美男子だ。
「わたしは山の神のつかいであるコックリの一人、狐と申す。これより、そなたらをひきいて相馬大名の屋敷へ向かう役目をおおせつかった」
 「山の神」と「コックリ」いう言葉を、小夜は頭にしっかりと刻みこんだ。
 大名様のお屋敷の北側には高い山がある。軍馬と神馬の違いを聞いたとき、武丸が「神馬は聖なる山に登るための馬だ」と教えてくれた。その、聖なる山だ。近隣の村人みんなからおそれられている山で、猟の時期でもその山にだけは誰も近づかない。その山と「山の神」はきっと何か深い関係があるのだと、小夜は直感でさとった。きっと、神馬とも関係があるのだ。
 コックリというのは、狐のことなのだろう。そのうちの一人ということは、狐一人きりではなくほかに何人かいるのだ。小夜は一昨日、狐と一緒に騰霧にまたがっていた太鼓腹の男を思い出した。きっとあの人もそうなのだ。
「騎馬団。ここはわたしに任せ先の村へ行け」
 は、と若武者の後ろから野太い了解の声があがった。号令がかかり、騎馬の一団は馬を返し、村の外、隣村へ続く道へとあっという間に消えてゆく。あとには狐とおつきの数人だけが残った。
「娘たち、わたしに続くがよい」
 狐と、狐を取り囲む数人が、大名さまのお屋敷に向かって馬を返した。きっと、次の村でもこうやって、数人ずつが村に残って、娘を大名さまのお屋敷までみちびくのだ。残ったものは馬を飛ばして、次の村へ行く。
 この村に残ったのが狐でよかった、と小夜はなんとなく思った。野太い声のいかにも武人という人物に率いられるよりは、美男の若武者に率いられるほうがいいに決まっている。
 鞍につけられた鈴の音とともに、夜明けとともに、娘たちは進みはじめた。

     *

 大名さまのお屋敷の中に入ったことは数知れない。垣根の抜け穴も、木々の位置も、厩への近道も小夜は知りつくしていたが、厩以外の建物に入ったことは、指を折って数えられるほどしかなかった。ましてや、今回は普段と違いすぎる。小夜は厩者の小娘ではなく、大名の客として迎えられていた。さらさらと美しい絹の衣に汗のしみがつくことを心配しながら、心細げにあたりを見回すほかの村娘と違うところはひとつもない。
 謁見ノ間か何かに連れていかれると思ったが、先を行く狐はまったく別の方向へと進く。
 狐の奔翔が突然、顔を思いきりあげていなないた。すぐ近くからいななきが帰ってくる。奔翔がもう一度いななき、仲間のもとへ行こうとするのを狐が手綱をしぼって止めた。
 また返ってきたいななきに小夜の胸はおどった。小夜には声でどの馬がいなないたのか、鼻を鳴らしたのかがわかる。いまのいななきは奔翔と仲のいい喩輝の声だ。
 木々が開け、馬場が見えた。絶影、翻羽、喩輝の三頭が顔をあげ、鼻の穴を思い切り広げて柵ぞいに立ち、一行を何事かという目で見つめている。騰霧はいない。きっと、奔翔と同じように、あの太鼓腹の男を背に乗せ、どこかを駆けているのだ。
 その馬たちの前に、武丸が立っていた。
 小夜はおびえて顔を伏せた。横目でちらりと武丸をうかがう。武丸は、ただこちらを見ているだけだ。そっと顔をあげ、武丸を見返す。武丸は怒っていない。むしろ後ろめたそうな、悲しげな目で小夜を、娘たちの群れでも狐でもなく、小夜ひとりを見つめていた。
 狐はむろん、止まってくれない。武丸と馬たちの姿は、あっという間に木立に隠れ、見えなくなってしまった。
 と、厩をすぎたすぐそこに、そびえたつ建物があった。狐が馬を降りる。目的地は、ここなのだ。
 小夜は建物、五重塔をあおぎみた。昔から小夜の遊び場であり、村からの目印になっていた塔。ただ、普段はいつも鍵がかかっており、中へ入ったことも、入っている人を見たこともなかった。
 五重塔の扉は開けはなたれている。
「ついてまいれ」
 奔翔の手綱を従者にあずけ、狐は五重塔の中へ入っていった。
 塔に入ってすぐ左にある、長くて狭い階段をあがってゆく狐。娘たちもその後に続く。続くはいいが、階段はおそろしく長かった。息をきらす娘らをときおり待ちながらも、狐はずんずん先へとのぼってゆく。
 そしてやっと、座敷についた。
 つくと同時に、ひとりの娘が歓声を、別の娘が悲鳴をあげた。階段をあがったところにある欄干の先が吹き抜けになっており、ずうっと下まで見えるのだ。座敷の畳や美しい梁が、見ていると吸いこまれそうな気がするほど、えんえんと遠くなりながら続いている。
「私はここにおるゆえ、しばらく休むがよい。障子をあけて景色をながめるのもよかろう。きつい階段をよくぞ音のひとつもあげずにのぼりきったな。私からのほうびだ」
 座敷まで全員をみちびいてきた狐が茶室のぶあつい座布団に腰かける。娘のひとりが、おそるおそる障子を開けはなった。
「うわぁ、高いわ!」
 どれどれ、とつぎつぎ障子が開けはなたれてゆく。
「あれ、もしかして私たちの村かしら?」
「本当だ! 物見やぐらがあるわ。桑園も見える」
「ね、村の人たちは見えない?」
 押しあいへしあい外を見ようとする少女たちを押しのけ、小夜も疲れを忘れて一番前へおどりでた。母が見えないかと目をこらす。
 結局、出発のときまで顔を見せてくなかった母。夜明け前、小夜がこっそりと障子をあけると、つかれきって、機織の前で布団もかけずに眠ってしまっていた。ひとまず布団だけはかけて出てきたが、「いってきます」の一言もかけられずに出てきたのが、後ろめたかったのだ。残念ながら五重塔は高すぎて、人の姿までは見わけられない。
「小夜ちゃん!」
 声をかけられて振り向くと、笑みを浮かべた小梅が立っていた。なるほど、小梅も十八歳の娘で、大名様の治める土地に、というか大名様のお屋敷の中に住んでいるのだ。
 振り返ってみれば、桑の実村の娘の中に、見覚えのない少女たちがまざっている。お屋敷の下女や、小梅のような家臣の妹、娘たちなのだろう。貴族さまはいらっしゃるのかな、と彼女らを観察してみたが、みんな、小夜らとあまり姿は変わらない。どうやらみんな、下働きの娘たちらしかった。
「小梅さん、ごめんね、昨日は」
 気にしているだろうと思って謝ったが、小梅はなぜか上機嫌で、「いいのいいの!」と頬を染めて笑った。
「どうしたの、何かいいことでもあったの?」
「ううん、なんでもない。でも、ひとつ聞いていい?」
「なあに?」
 小梅は頬を朱に染めてもじもじした。
「あのね、どうして翔次郎さまがここにいるのかしら?」
「翔次郎さま?」
 小梅がちらっと恥ずかしそうな視線で狐をさした。
「狐さま?」
「狐? あ、そうか。あの方、狐田翔次郎さまですものね。そう、狐さまよ」
「ね、どうしてお名前を知ってるの?」
「最近、よく厩に来られるの。といっても、相手方は私のことはご存じないでしょうけれど。お名前はお兄さまに教えてもらったわ。お兄さまの古くからのお知り合いですって」
「小梅さん、もしかして?」
「何言ってるのよ、小夜ちゃん。身分が違いすぎるわ」
 真っ赤な頬をふくらませる小梅。小夜はにやにやしながら、夜明け前に狐が村へ来たこと、村娘を五重塔までみちびいてきたことを話した。
「桑ノ実村のおなごは元気がよいな」
 笑い含みの声に、いままでわいわい騒いでいた少女たちは急に静かになってしまった。
「聞き分けもよい」
 狐の笑みが深くなる。
「そなたらをここへ呼んだのは、わけあってのことだ。今から、そなたらに試験をしたい。いくつか質問するだけだ。難しいことではないから、正直に答えよ。わたしのいる座敷の前に、一列になって並んでもらいたい」
 その呼ばれたわけとやらを小夜は知りたかったのだが、質問できる状況ではなさそうだったので、おとなしく小梅といっしょに列に並んだ。質問をするのが狐ひとり、しかも三つ四つの質問をしているようで、ひとりに少々時間がかかるといっても、桑ノ実村の少女は総勢二十人に満たないくらい。お屋敷の少女らをあわせても三十人と少しだった。小夜と小梅は中ほどより少し前に並んでいるので、それほど待たされずにすみそうだ。
 質問を終えた少女は茶室の両脇にある階段の左側を降りていった。ほとんどはそうだったが、たまに、右側へ降りていく者もいる。
 と、急に階段のほうが騒がしくなったかと思うと、別の村の女の子たちが例の回廊にあがってきた。
「これを、狐さまひとりで質問なされるのは大変そうね」
 小梅の心配が届いたのかどうかは定かではなかったが、座敷に隣村から少女たちをみちびいてきた男がもう二人ほどあがってきて、質問を始めた。一気に消化する早さがあがり、あっという間に小夜の番が回ってきてしまう。
「次の者、ここへ」
 お呼びの声がかかり、小夜は狐の前に座った。小夜の後ろで小梅が残念そうな顔をしている。場所をかわればよかった、と後悔したが、あとのまつりだ。
「そなた、名は?」
「小夜と申します」
「しっかりしておる。歳は?」
「数えで十四歳になりました」
「桑ノ実村の者だな。父と母の名は?」
「母は萩野です。父は、何年か前に病をえて、帰らぬ人になりました。名は孝太郎。生前は村の代表として、大名さまに絹をおさめる役についておりました」
 狐はもう少し家族の質問を続けた。先祖代々この地に住んでいるか。叔父や叔母、いとこはいるか。家族以外のことも少し。婚約者はいるか、恋人はいないか。
「では、最後の質問だ。この屋敷の裏に山がある。神聖な山だ。そこに、遊び半分だったとしても足を踏み入れたことがあるか? この屋敷の、北側の垣をこえたことがあるか?」
 小夜はぎくっとした。
「正直に答えよ。入ったといっても、わたしは怒らぬ」
 狐が淡々と続けた。小夜は困って、狐から目をそむける。
 実は、あるのだ。何年前の冬だったろうか。たくわえているワラがなくなってしまい、馬に食べさせるものがなくなったことがある。困りに困った厩者たちは、血眼になってワラをわけてくれる家を探した。
 探している間、馬たちがわびしそうに蹄で地面をかく音にたえられず、とにかく何か食べさせてやろうと、小梅と小夜とで山へ入った。小夜の身の丈がすっぽりはまるほど雪の積もる季節だったのに、北側の垣根の向こうだけは、茶色い地面がのぞいていたのだ。
 ふたりは山へ入り、下草を刈って馬にやった。そのときは、深くしげった木々にさえぎられて、ここだけ雪が積もっていないのだと、そう思ったのだが……。あとから、この山の神聖さによるものだと厩者たちに聞かされ、ふたりで仰天したものだ。
「入ったことが、あるのだな?」
 小夜は後ろめたい気持ちでいっぱいになりながら、うなずいた。
「質問はこれで終わりだ。そなたは、右側の階段を降りるがよい」
 小夜は深く頭を下げ、右の階段をくだった。
 右側の階段の先は、上と変わらないつくりの座敷だ。そこへずらりと食事の載ったお膳がならべてある。小夜がのぞきこんでみると、天ぷらのナスやカボチャに味噌漬けのキュウリ、揚げ出し豆腐に何種類かの豆の煮つけ。肉や魚は一切ないが色とりどりで、見ているだけで楽しい。が、そのお膳の前に座っている少女は少なかった。小夜のほかに、たった二人だ。小夜の前に狐の試験を受けたのは十人ほどいたはずだけれど。
 と、小夜がくだってきたばかりの階段を小梅がおりてきた。
「よかったわ、小夜ちゃんと一緒で!」
「本当に!」
 小梅のいつもの笑顔が見れて、小夜は心からほっとした。
「お山へ入ったことがあるかって聞かれて、びっくりしちゃった。誰にもばれないって思ってたのに、こんなところで」
「本当にね。どうして、あんなことを聞かれたんでしょう」
 小夜は欄干から身を乗り出し、吹き抜けから上を見た。また別の村からちょうど来たばかりらしい少女のひとりと目があってしまい、あわてて頭をさげて首をひっこめる。
「左の階段を降りた人はどうなったんでしょうね」
 小梅の疑問はすぐに晴れた。小夜が障子をあけたら、五重塔の裏側から桑ノ実村の少女たちが列になって出て行くのが見えたのだ。まだ五重塔の中にいるということは、小夜と小梅は狐の試験に受かったらしい。彼女たちは落ちてしまったから、帰らされたのだ。
「お山へ入ることがこの試験の条件だったなんて」
 小梅がこころなしか嬉しそうに呟いた。たしかにほかの条件、先祖代々この地に住んでいるか、婚約者がいないかくらいなら、もっと受かる娘がいていいはずだ。受かったのだと思うと、小夜もうれしかった。
「ね、コックリさまって狐さまのほかにもいるんでしょう? 小梅さん、何か知らない?」
「知らないわ。でも、みんな動物なんでしょうね」
「じゃあ、犬にぃは?」
 小梅がおかしそうに笑った。
「一介の厩ノ長、苗字はたまわったけれど身分は低いから、きっと大それた職にはつけないと思うわ。私もお兄さまから何も聞いていないし。でもね、大名さまの家臣には、動物の苗字の人がすっごく多いの。狐田さまもそうだし、狸原さま、熊谷さまに、小鷹さま。大名さまご自身だって相馬さまだもの」
「全員がコックリだったら、どうする?」
「ありえない話ではないわよね」
 ふたりでくすくす笑いあった。



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