第一部 第二章 3「父ふたり」 上

 王都からすこし北にいった場所にあるカクオス村で、サイフォス率いる〈ナヴァイオラ〉、マライ率いる〈ジュルコンラ〉と新たに合流してきたリゼの〈アスコウラ〉に合流した。
 国境の要塞〈ゴウランラ〉をめざす七百五十の人間と四百頭近い馬、十五羽のムールの大行進である。こんな軍隊をリーグ軍が見のがしておくはずはない。一度止められ、検問を受けた。ジンとイズンが「自分たちは義勇兵で、北方の国境へ加勢に行く」と説得し、イズンの文書を見せ、二日かけて振りきったところだ。この国では騎士階級か貴族階級以上の者でないと読み書きができないのが普通だから、責任者を相手が出してくるまで身動きがとれなかったのだ。
 それを改めて考えてみると、書記官の息子であるイズンはともかくとして、ジンが字を読めることが不思議な気がしてくる。イズンから習ったのだろうか。ジンは戦士階級あたりなのだろうとウラルは勝手に思っていたのだが、もしかすると、かなり上階級の人なのかもしれなかった。
 ヒュウィー、ヒュゥイー、とトンビに似た鳴き声が聞こえた。上を見あげると、十羽のムールのうち三羽がほかのムールより低い高度で旋回している。
「止まれ」
 ジンの指示が伝えられ、全体が止まった。
 高度をさげたムールの背で、リゼが手を大きく振って何かの形を示している。
「前方、丘の向こうにて交戦あり。リーグ軍とコーリラ軍の模様。リーグ優勢」
 ジンが呟く。どうやらリゼの動作は手旗信号のようだ。
「ウラル。道の端によけろ。つられてフォルフェスを走らせるなよ。ここにとどまって、サイフォスの指示に従うんだ」
 ジンは小声で指示し、後ろに続く全軍に叫んだ。
「この丘の向こうでリーグ軍とコーリラ軍の戦があったらしい。リーグ側に加勢する。騎兵二百五十、俺に続け。歩兵、戦車の指揮はサイフォスにゆだねる。行くぞ!」
 地面が鳴った。地響きがフォルフェスの足、体を伝って、ウラルの体を揺らす。
 ウラルはあわてて手綱をしぼった。それでも続こうとするフォルフェスの頭絡をアラーハが押さえる。道の端によけたウラルの右横を、地面を鳴らしながら茶色い風が吹きぬけた。砂ぼこりで咳がとまらなくなる。やっと土煙がおさまってウラルが顔をあげると、すでに騎兵隊は丘を半分ほど登っていた。
「続くぞ。歩兵隊、前へ」
 歩兵がマライの指揮で槍の穂先を前に並べ、行進していく。
「前は危ない。ここで待っていよう」
 アラーハの低い声に、ウラルはうなずいた。
 騎兵とは比べるまでもないが、かなり迅速に歩兵が移動する。ウラルとアラーハは荷物や兵糧を持つ役割の部隊とゆっくり丘をあがっていった。
 歩兵は丘の上で陣を組み、いつでも動くことができる構えを見せている。兵糧隊の指揮をつとめているサイフォスが、腕で「止まれ」と指示をした。どうん、と初めて聞く音が響く。何の音だろう、とウラルは眉をひそめた。もう一度、音がする。
「嫌なにおいだ」
 アラーハが呟いた。ウラルの鼻にも、心地いいとは言いがたいにおいが届いていた。
「ここで待機。様子を見てくる」
 サイフォスは短く告げ、丘の頂上近くまで馬を駆けさせていった。
 サイフォスが歩兵隊の陣に到着する前に、丘の向こう側から騎影が現れた。増えてゆく。サイフォスが兵糧隊に「来い」と指示をした。
 ジンら騎馬隊には一人の負傷者も出ず、武装もほとんど汚れていなかった。もともとリーグ軍がかなり押していて、〈スヴェル〉軍をリーグ軍の後続隊と思いこんだコーリラ軍は一挙に敗走に移ったらしい。
「気づいたか、マライ」
 マライは眉をひそめながら、けわしい目つきで敵の陣形を眺めている。
「コーリラ軍ではない」
「ああ。だが、正規のベンベル軍でもなさそうだ。どちらかといえば、コーリラの山賊に近い。妙だ」
 ウラルは丘の向こう側に広がる平野を見おろした。ウラルもリーグ国の国旗くらいはわかる。敵の二倍近い数のリーグ軍が敗走する敵を追っていた。
「なんなんだ、あの動物」
 兵士のひとりが、戦場から少し離れた岩場のほうを見つめながら呟いた。岩場のほうにひとかたまりのベンベル兵と追撃のリーグ兵が、豆粒のような大きさではあるが見えている。
 ベンベルの一隊が岩場に追いつめられた、と思われたが、なんとその一隊はほとんど垂直に近い岩を馬の速さをたもったまま、ひょいひょいと這いのぼっていくのだ。見まちがいかとウラルは目をこすったが、どうやら本当に人間がすさまじい速さで岩をのぼっているらしい。兵士のひとりごとからして、どうやら得体のしれない動物が兵士を乗せて岩をよじのぼっているのだろう。リーグの騎兵は追撃を断念せざるをえない。
「あれが『火薬』ってやつか。煙ばっかりじゃないか」
 別の兵士が、隣に立っている戦友と話している。彼らが見ているほうをウラルも見てみると、戦場の数箇所から煙があがっているのが見えた。
「火の薬っていうんだから、もっと派手なもんだとばかり思ってたぞ」
 たしかに、煙があがるばかりで炎は見えない。兵たちのおしゃべりをマライが目で黙らせた。
 リーグ国の国旗をかかげた三騎が丘を登ってくる。
「責任者はどなたか!」
 三騎のうち最も高位であるらしい騎士が声をはりあげた。野牛のような角のついた兜をかぶり、甲冑には全身に豪華なエナメル加工の模様がほどこされている。そればかりか太陽の光の反射を防ぐために甲冑の上に着こんでいる袖なしのサーコートにまで自分の家の紋章であろう、けばけばしい刺繍がほどこされていた。どうやら、かなりの派手好きのようだ。
「義勇軍〈スヴェル〉、総大将ジン・ヒュグルだ!」
 様子を見ていたジンが騎士に答えた。騎士はまっすぐジンに向かっていく。
「リーグ国軍事大総督たるフェイス・ソウェイル様の揮下、左将軍に奉じられているダイオ・エタオクと申す」
 ダイオと名乗った騎士はジンの前で馬を止め、兜をぬいだ。頬ひげをたくわえた口の大きな男。ジンより少し年上、おそらく三十台の後半から四十代前半だろう。いかにも現役といった感じの将軍だ。
 ジンの顔が青ざめたように、ウラルには見えた。
「何の御用か」
「うむ。先ほどの動き、まことにあっぱれ。フェイス将軍がぜひお会いしたいと申している。勝利の宴にお招きするゆえ、来られたし」
 なぜこの男はこんな話し方をするのだろう、とウラルは内心でため息をついた。意味はわからないでもないが、聞いているこちらの肩がこる。
「お招き、感謝する。行かせていただこう。我らはリーグ国全土から集まった義勇軍〈スヴェル〉。北方で戦があったと聞きおよび、加勢に来させていただいた。これは王都の役所書記官からの紹介状です」
 一拍おいて、ジンが返答した。イズンの文書をダイオに渡す。ダイオはその場で広げ、一読した。大きくうなずく。
「この二名を案内として置いていく。兵は何人か」
「兵糧持ちも含め、人が七百五十、馬が四百」
「全員分の肉と酒を用意して、待っていますぞ」
 二人の騎士を残し、ダイオは自軍に戻っていった。
 ダイオの姿がほかの騎士にまぎれてから、ジンは深くため息をついていた。

     *

 「リーグ国軍事大総督フェイス将軍」の天幕で〈スヴェル〉軍の全員は勝利を祝い、肉をむさぼっていた。ほとんどが農民出だ。家畜が死んだときくらいしか食べられない肉を腹いっぱい食べて、幸せそうだった。
 ジン、サイフォス、マライ、リゼ、アラーハ、そしてウラルの六人はほかの兵たちとは布でしきられた一間で兵たちとは一ランク上の食事をあてがわれていた。ウラルがここにいていいのか気になったが、「顔も知らん野郎どもと一緒にされるのは嫌だろ?」というわけで、同席することになった。
 ウラルは久々に女物の服を着て、顔をぬぐい、髪も整えて、唇には紅を塗っていた。男ばかりの戦場の中で機動性を重視するため、ウラルも今までずっと男物の服ばかり着ていたのだ。リゼなどウラルを見て口笛を吹き、手を叩いてほめてくれた。右将軍マライも女性だが、こちらはまったく女気なしだ。普段と変わらない武装を身につけている。
 ジンとアラーハ以外はみんなが浮かれていた。アラーハはいつもと変わらないのだが、ジンはダイオと出会ってからずっと考え事をしているようで表情も硬い。顔色が悪く見えるのもウラルの気のせいではないだろう。
「ジン、具合でも悪いの?」
「いや。そういうわけじゃないんだ。気にしないでくれ」
「それなら、いいんだけど」
 ジンはやはり、なにか深刻な考えごとをしているらしい。
 ウラルの隣で勢いよくリンゴをかじる音がした。ジンやウラルの前でも食事するのを避けていたアラーハだが、さすがにここまで来ては食べざるをえないようだ。
「俺、アラーハが何か食ってるとこ、初めて見た」
「俺もだ」
 リゼとサイフォスが好奇心をむき出しにしてアラーハをながめている。
「アラーハ、肉は食わないのか?」
 アラーハがため息をつく。唇の端だけでわずかに苦笑いを浮かべていた。
「菜食主義者だ」
 アラーハ自身が獣なのだから肉など食べられるはずがない。 ウラルの前に置かれたシカの骨つき肉をアラーハが横目で見る。イッペルスにとってシカは親戚だ。アラーハを隣にしてシカ肉を食べるのも気が引けて、ウラルは手をつけないでいた。
「俺に気をつかうな」
 ウラルの思いを読んだようにアラーハがささやく。
「人間は、そんな生き物だ。わかっている」
 ウラルはうなずいて、心の中で謝りながらシカ肉にナイフを入れた。
 布でしきられた天幕の一部、出入り口になっている布が持ちあがった。話し声が消え、全員がナイフを置く。昼間会ったダイオが入ってきた。その後から老将軍、そしてその後ろからもう一人が続く。どうやら、最後に入ってきた人物が「リーグ国軍事大総督フェイス将軍」のようだ。
 ダイオは長い袖のあるローブの上に、昼間の戦場で甲冑の上から着ていたけばけばしいサーコートを着ている。雄牛の柄が描かれた金の飾りボタンがついた剣帯をつけ、さすがにこれは控えめだが、エナメルの装飾がついたロング・ソードをはいている。フェイスと老将軍もダイオとほとんど服装はかわらないのだが、さすがに歳のせいなのか、ふたりとも品よく落ちついた色調だ。
 立ちあがろうとする一同をフェイスは手で制した。
「この国を守るため、リーグ各地からはるばる来てくださったとはありがたい。わが軍の窮地を救っていただき、感謝している。私はリーグ国大将軍、悍馬(暴れ馬)将軍とあだ名する者もいるが、本名はフェイス・ソウェイルと申す。あなた方の名をお聞かせ願いたい」
 ジンが伏せていた顔をあげる。フェイスの顔がこわばったように見えた。
「スカール地区から、はるばる兵を率いてやってきました。ジン・ヒュグルと申します。兵たちにまで酒と料理をいただき、ありがとうございます」
「いかがなされました? フェイス将軍。カフス将軍も、顔色がお悪いですよ」
 フェイスの顔色が変わったのを見て、ダイオが声をかけた。カフスと呼ばれた老将軍もたしかに顔色が悪い。
 カフスは顔を伏せた。すっかり頭が白い。
「いえ、ジン殿のお顔が二十年前のフェイス様にあまりに似ていましたので、驚いただけです。ご案じなさいますな」
 老人特有の穏やかな声だ。カフスが顔をあげる。柔和な表情に戻っていた。
「それなら、構わないのですが」
 ダイオが安心したような声を出した。
 ウラルは隣のアラーハを見た。座りなおしたアラーハの膝が細かく揺れている。
「ご自愛ください。フェイス将軍が病に倒れられては、軍全体の士気が落ちましょう」
 フェイス、カフス、ダイオの三将軍はそれぞれ同じ「笑い」という表情なのかと思うほど、まったく違う笑い方をした。フェイスは品のよい自嘲に近く、カフスは頬の筋肉をゆるめるだけの微笑、ダイオは熊のような野太い声をあげて、それぞれ笑う。好意的にとられたのか皮肉としてとられたのか、判断が難しかった。
「ジン殿、よろしければ、客将としてこの陣営にとどまっていただけないだろうか? 陣形も何も、わが軍に勝るとも劣らない動きの良さ。共に戦っていただければありがたい」
 どうやらフェイスには好意的にとられたようだ。
「ありがたいお言葉ですが、国境にまだ仲間がいます。彼らを迎えなければなりません。彼らを迎えた上で、フェイス将軍に加勢いたしましょう」
「なんの。場所さえ教えていただければ、わが軍よりムールを飛ばして出迎えさせよう」
 ジンは迷っているようだった。カフスが駄目押しのようにうなずいてみせる。それで、ジンは肝を据えたようだ。
「では、ご好意に甘えさせていただきます」
 フェイスが大きくうなずいた。
 アラーハはフェイスから目を離さない。細かく膝が揺れている。ジンも貧乏ゆすりが癖だったが、どうやらアラーハもそうらしい。
「彼女がジン殿の妻ですか?」
 自分のことを言われているのだと気づいて、ウラルは体を固くした。
「いえ、妻はいません。彼女は友人です」
「ウラルと申します」
「美しい方だ」
 フェイスは懐かしむような声で言った。
 今のウラルはおせじにも美しいとは言いがたい。戦場にまともな服を持ってきていなかったせいでもあるが、顔は日に焼けて黒いし、疲れもぬぐうことはできなかった。リゼはほめてくれたが、半分はものめずらしさ、もう半分はおせじだろう。女らしくないのは承知していた。ウラルは黙って頭をさげる。
「死んだ妻を思い出す」
 ウラルはびくりと顔をあげた。
「奥様は亡くなられているのですか」
 確認するように問いかけたジンに、フェイスは淡々とした声で答える。
「五年前に、病でこの世を去った。一人息子も十の歳を迎えたころに行方知れずになってしまってな。跡継ぎもいない」
 そうですか、とジンが静かすぎる声で追悼の意を示した。
 アラーハの膝の揺れがとまった。
「アラーハ?」
 ウラルはささやいたが、反応はない。アラーハはこぶしを爪が食いこむほど強くにぎりしめて、じっとフェイスをにらんでいる。
 ジンの実の父親が、こんなところで現れたのだ。
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