第三部 第三章 2「見つけた」 中

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 日没の読経が終わるのを見計らい、ウラルはティアルースの部屋へ向かった。ティアルースの夕食、凶器にならない木製の椀に入ったシチューとパンを見張りについていたシガルとマルクに渡す。
「部屋の奥の壁に背中が当たるようにして座れ。変な動きしたら後ろのこいつがブスリとやっちまうからな」
 マルクが指示し、その背後でシガルが槍を構える。ドアの鍵を開ける窓に板を打ち付けたせいで真っ暗な部屋の中、一番奥で、ティアルースが眩しげに目を細めた。
 夕食の盆を置いてすぐにドアの鍵をかけなおす。シガルが槍の穂先を鞘にしまったところで、ウラルはつめていた息を吐き出した。普段から荒っぽいマルクはともかく、普段は穏やかで気のいいシガルの殺気には思わずドキリとしてしまう。彼も伝令とはいえ、フェイス大将軍に仕え第一線で活躍してきた騎士。しかも数年にわたって歳の離れた弟のように育ててきたナウトを攫われ、殺気立っているのだ。
「明かりは無しな。火ぃつけられたら困る」
 閉ざされたドアの向こうで足音が聞こえた。
「シチュー」
 扉の奥からの低い声、食器が触れ合い立てる音。
「作った、ウラル?」
 下手なリーグ語にウラルは目をしばたいた。
「おいしい。これ。リーグの味」
「ティアルース」
「元気? ウラル」
 子供のような片言、異国の男の低い声。ウラルは頭の側面、傷の上を手でさすった。痛みはなく、もう包帯もとっているし、一度刈った髪もだいぶ伸びてきた。
「うん、元気よ」
「うれしい、かなしい、よくわからない。話、すこし、いい?」
 席ははずさねぇぞ、と言いたげにマルクがにやにやウラルを見る。シガルは話したければどうぞとウラルに微笑を向け、また険しい顔に戻ってドアをにらみつけた。
「ウラル、いい女。でも、スー・エヴァンス、ケガした。一年すこし前」
「ベンベル語で言ってください。聞き取るだけは大体できるから。でもこちらもベンベル後はあまり話せないから、リーグ語で言っていい?」
 しばらく間があった。ウラルの言葉を頭の中で翻訳しているのだろう。
「(ありがたい。ウラル、あなたに会ったらずっと聞こうと思っていたんだ。主人をなぜ襲った? あなたのような、異教徒とはいえ優しい女性が、なぜ?)」
 ウラルも翻訳のためにしばらく間を置く。ベンベル語をまともに聞こうとするのは久しぶりだ。エヴァンスも最近はずっとリーグ語を使っている。
「大切な人がエヴァンスに殺されたの。戦いの中で」
「(主人と、断言できるのか?)」
「目の前で見ていた人がいるの。それがフギンなんだけど」
「(あの片腕の男か。そういえばダイオも主君をスー・エヴァンスに殺されたと言っていた)」
「ここにいる人はみんな、私の言った大切な人の仲間か、ダイオのご主人の部下なの」
「(なるほど。主人は本当に敵が多い)」
 ドアの向こうからかすかに苦笑の気配が伝わってくる。
「(あの襲撃の時、『門番を殺すな』と言ってくれたのは、あなただね?)」
「どうしてそれを?」
「(リーグ人はベンベル人を憎んでいる。殺すチャンスがあれば逃すはずがない。なのに自分は当て身を食らわされただけだ。誰かが殺すなと言ったんだろう……そう言ってくれる人は、あなたを除いてほかにいない)」
 頬がすこし火照るのを感じた。ベンベル語のわからないマルクが何を話してるんだと言いたげにニヤニヤしながらウラルを見ている。
「(ダイオもスー・エヴァンスに引けを取らないほど強く立派な男だ。異教徒なのが本当に惜しい。ひとりひとりと付き合えば何もかも上手くいくような気がするのに、なぜこんなことになるんだろうな)」
 かすかなため息。ウラルは黙っているほかがない。
「(それとウラル、もうひとつ聞いてもいいか。この森に入ったベンベル人、自分の知り合いが何人も、獣のような大男に襲われて大怪我をしているんだが、これはあなたの仲間、アラーハという男のしわざか? この隠れ家にはいないようだが)」
 ウラルは首をひねった。
「(あなたが監獄で捕まった時、西門で暴れていた男だったと言っている者が何人かいるんだ。あなたを主人の屋敷から連れ出したのもそうだろう? ミュシェさんが庭でそんな男を見かけている)」
「ええ、私を屋敷から連れ出したのはアラーハ。でも森で? どれくらい前のこと?」
「(半年前から時々だな)」
「じゃあ別人だと思う。アラーハは私と一緒にこの森を離れていたから」
 アラーハと同じ背格好なら新しい森の守護者ノアーハだろうか。おそらく彼も人間に変身したら毛皮姿の大男になるはずだ。ウラルらにはまだ友好的、警告だけで去っていったが、森の木を切りに許しもなく入ってきたベンベル人を追い出そうとして戦っても不思議はない。
「帰ったらもう一度聞いてみて。たぶんその人はアラーハより若かったはずだから」
「(わかった。シチュー、うまかった。食器を持っていくだろう? 自分はさっきみたいに後ろに下がっている。そうお仲間に伝えてくれないか)」
 ウラルはうなずき、シガルとマルクに伝えた。ティアルースが後ろに下がる足音。再び槍を構えるシガル。
 マルクが鍵を開け、ノブを回す。
 瞬間、ドアが外側に吹き飛んだ。
「うぉわっ!」
 ドア越しながらもティアルースのタックルをもろに受け、マルクが吹き飛ぶ。こぶしを固めドアの外へ躍り出たティアルースとウラルの目が合った。すまない、と言いたげに灰色の瞳が揺れる。
 次の瞬間、ティアルースのほうがドアの奥へ吹き飛んだ。シガルが鞘つきの槍で鳩尾を突いたのだ。さほど力を入れたようにも見えないのに、大柄なティアルースの体がものの見事に吹き飛んだ。
「鞘を抜いておくんでしたね、油断しました。大丈夫ですか、マルク」
「あんやろ、なめた真似しやがって」
「鍵をかけて。早く」
 物騒なことを言いながらドアを全身で押さえるシガル、マルクがあわてて鍵をかける。
「(……いい腕だ)」
 ドアの向こうから苦笑交じりの声が聞こえた。
「明日の祈りは無しですね。ダイオ将軍に報告しなくては」
 冷え冷えとしたシガルの声。ティアルースは無言だが、おそらく痛いものをこらえるような顔をしている。ベンベル人にとっての毎日の祈りがどれだけのものか。どんな状況であっても必ず一日五回祈り、祭壇を血で穢したというだけで身分を奪われ――想像がつくというものだ。
「食器は僕らが後で持っていきます。ウラルさんは戻っていてください」
 シガルの声にうなずき、そろりときびすを返したとたん。
 かぁんかああんああん。
 響き渡った警鐘の音に外を覗いてみれば、闇の中に金の髪が見えた。
 ゴーランにまたがった男は逃げも隠れもせず、まっすぐに隠れ家へ向かってくる。その後ろには馬が一頭、その鞍上にシャルトルと手足を縛られているらしいナウトがいた。どうやら逃げ出した後、また捕まってしまったようだ。さらに後ろには徒歩の二人の門番。
「また都合よく現れましたね」
 シガルが猛禽さながらの鋭い笑みを浮かべる。シガルってこんな人だっけ? とウラルは思わず目をこすりたくなった。
「女の子に対しては紳士で、捕虜に対してはサド……こいつ、やっぱり二重人格だ」
 〈エルディタラ〉団長と同じだと言いたいらしい。そういえばシガルと団長が初めて会ったとき、フギン、マルクと三人でこの話をして大笑いした気がする。シガルも思い出したらしく、鋭かった目元がいきなり情けなくなった。
「この程度でサドですか?」
「責め足りないとか言い出さねぇだろうな?」
「責めたうちにも入らないと思うんですがねぇ」
「うわ、こいつ怖ぇよ! すっげぇ怖ぇ!」
「冗談ですよ」
「絶対違う。今の恐怖はホンモノだ」
 そうこうするうち隠れ家から武器を手に男らが飛び出してきた。ナウトを呼ぶ声、ののしり声。フギンの姿は見えない。「ここに帰ってきていない」と一時的にでも思わせるためどこかに隠れているのだろう。ウラルもうかつに出ていかないほうがよさそうだ。
 人垣が割れ、ダイオが現れると、さすがにエヴァンスの顔が険しくなった。
「こんなところに隠れていたか」
 朗々と響く声。さすがというべきか、ティアルースと同じ一言目だ。
「よくぞ三人だけで乗り込んできたな。袋叩きにされるとは思わなかったのか」
「わたしが剣をとったときの犠牲を考えれば、お前にそんなことはできまいよ」
 たしかに分はこちらにあるとはいえ、エヴァンスが抵抗すれば死人が出るのは確実だ。
 二人のもと高位騎士は肉食獣のように互いを見つめ合う。にらみ合うというほど激しくなく、仰々しく構えを取るわけでもなく。自然に、けれど嵐の前の静けさのような不穏さをたたえて。
「こちらは部下さえ無事に返してもらえれば、この場を退こう。子どもと引き換えだ」
 ダイオは「なにが『さえ』だ」と言いたげに苦笑した。
「帰りの道案内は必要か?」
 ダイオの皮肉にエヴァンスが唇の端を持ちあげ応じる。
「シガル! マルク! ティアルースを連れてきてくれ。ザンク、トラン、援護に回れ」
 ダイオに呼ばれた屈強な二人がウラルらの方へ向かってくる。エヴァンスに見られてはいけないとウラルはドアから死角になるところに隠れた。
 ティアルースが縄で縛られ、四人がかりで連れ出されていく。部屋から出るとき、ティアルースはウラルの姿を求めてかあたりを見回したが、ウラルと目が合う前に四人に小突かれ外へ連れていかれた。
 ナウトが馬からおろされ、足のロープを切ってもらっている。
 二人の人質が向かい合う形で立たされた。三、二、一、の掛け声で互いの人質の背を押し、仲間を受け取って後方へ下がる。
「また会おう、ダイオ」
 エヴァンスは薄く笑ってきびすを返した。
 ダイオはナウトに駆け寄って手首に巻かれたロープを切り、その頭をくしゃりとなでた。
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