第四部 エピローグ「風が往く」

 どこまでも澄んだ秋晴れの下、風神祭が盛大に執り行なわれた。
 今回の主役は隻腕の新郎と臨月の花嫁だ。先日やっと戦争が本当に終結したところ、畑は打ち捨てられ秋の実りは乏しいけれど人の心は和んでいて、新郎は養父や血の繋がっていない兄弟姉妹によってたかって大酒を呑まされているところ。新婦はすっかり呆れ顔で、新婚早々おおきなおなかをゆすりゆすり実家へ帰ってしまいそうな雰囲気だ。でも仲人を務めた黒衣の聖女は新婦が決してそんなことをしないのを知っているから、金髪の異国人に身を寄せて静かに祭りを楽しんでいた。
 幻覚は、見える。今でも。ただ以前とは違って……。
 フギンに満面の笑みで頭から酒をぶっかけるリゼが見える。それを見て笑い転げているサイフォスがいる。「媚薬」とわざとらしく書かれた瓶をメイルのかたわらで揺らしているネザがいる。いとおしげにメイルのお腹をなでるマライがいる。そしてウラルのかたわら、エヴァンスとは逆の側には礼装のジンが座っていて、幸せそうに黒ビールをあおっていた。
 そうだ、本当の彼らが生きていたらベンベルを恨みながらも結局は許して、ここでこうして大はしゃぎしているはずなのだ。恨みも憎しみも消えない、でもきっと。フギンやアラーハがそうだったように。
(ウラル)
 透明なジンがウラルの脳裏に呼びかけてくる。
(あの時、お前を助けてやれてよかった。俺も生きてここにいたかった)
 ころんと涙をこぼしたウラルを怪訝そうにアラーハが見つめた。誰がやったのかアラーハの立派な枝角はリンゴやらモールやらで派手に飾られていて、大きな体にも不格好な礼服が着せられている。うっかり動いて服を汚したり枝角で誰かを傷つけたりするわけにはいかないと思っているのか、アラーハは黒目がちな瞳をくるくる動かすだけで彫像のように動かない。
 エヴァンスは突然なんの脈絡もなく涙をこぼすウラルにも慣れたものだ。礼服の袖でウラルの涙をぬぐって微笑んでくれた。悲しい涙でないことは何も言わずとも伝わっている。

     *

 二国両断から一年。ダイオはリーグ国内の兵を結集し、コーリラ国内で新たな火神の器になった将軍ガルダと手を結んでベンベル軍の残党を急襲した。大混乱の只中に合ったベンベル軍は潰走、コーリラ王城を奪還したあたりで立て直して激しく反撃したもののリーグ・コーリラ両軍の勢いに押され、コーリラ国の西端にあるディスティア草原に逃げ込んだ。ディスティア草原はベンベル本国に近い乾燥気候、ゴーランや火器に有利な自然条件が揃い、さらにコーリラの大部分とは大山脈で隔てられている場所だ。それ以上攻めるのが難しくなり、ディスティア草原一帯を新ベンベル国として新たな国境線を引くことで停戦に持ちこんだ。
 王族は皆殺しにされ政治を担う者もなく、次世代を担う若者も激減した。まだまだ国は荒れるだろう。聖女と崇められ救済を求められるウラルにも、多くの敵を作ったエヴァンスにも、もうしばらく安寧の日は訪れない。
 それでも、いつかは。フギンがいつか口にした、隣同士に家を建てて穏やかに暮らす日々を夢に見ている。


 ――私もあなたもごく普通の選択しかしていない。けれどここまで来てしまった。前を行く人がひとり消えふたり消え、ついには誰もいなくなり前をゆく足跡も途絶え。
 それでもこの道を往こう。死をもってさえ降りることのできない道を。
 遥か彼方、この路の果てにあるであろう墓標まで。風に導かれるままに。

(「風神の墓標」 完)
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