第一部 第一章 2「義勇軍〈スヴェル〉」 下

「マライ、ここまでの話を踏まえて聞く。なぜこの話をこの子に聞かせた?」

 たしかにウラルが聞いてはいけない話だった。口止めされるまでもなく誰かに話す気はまったくないけれど、一介の村娘が聞いていい話ではなかったはずだ。
「この子がお父さんから大体のこと聞いていたから。半端にしておくのが一番悪い。それから」
 ぽん、とマライの大きく硬い手のひらがウラルの肩を叩く。
「まだウラルに確認はとってないし、選択権はあくまでウラルに握ってもらいたいんだけどね。……近々、戦争が始まる。それも国の滅亡をかけた前代未聞の大戦になるだろう。とてもじゃないけど私ひとりじゃ女手が足りない。この子のお父さんの遺言を間近で聞いておいて、この子を近くの適当な村に放っていくのも気が引ける」
 ウラルの村はヴァーノン山脈の麓、東海岸の国境線までは徒歩で二日の距離。もし戦が始まれば父の予言通り真っ先に呑み込まれる。
 ぐい、と女戦士の硬い胸に引き寄せられた。

「さっきの情報はこの子がいたからこそ聞きだせた。これも何かの縁だ。この子を、ウラルを私たちの仲間として迎えられないかい?」

 ウラルとマライを除く七人の目がウラルに集まった。ぎょっとした様子の参謀イズンの目、喜びを隠せない斥候フギンの目、好奇心に満ちた伝令リゼの目、値踏みするような軍医ネザの目、戸惑いを含んだ部隊長サイフォスの目、感情の読めないアラーハの目。ふ、とジンが苦笑を漏らした。
「マライ、珍しく用意周到だな。こんな話を聞かせた後では断れない」
「この子を死なせたくないからね。ウラル、あんたこの村でどんな仕事をしていたんだい?」
「お手伝いさんです。普段は家事手伝いで、あと畑や果樹園の繁忙期にお手伝いを」
 へぇ、とマライは少し意外そうに目をみはった。
「じゃあ村で必要なことは人並み以上にできるってわけだね。薬草には詳しかったりする?」
「少し教わった程度ですが」
 ウラルは当然武術の心得などない。まさか義勇軍の兵士としてマライと一緒に戦うようなことはできない。マライはウラルを野戦病院の看護師にでもする気なのだろうか。

 ドアの横に立っている猫背の軍医がじろっとウラルを見た。
「昼間、お前に眠り薬を嗅がせたな。あれに何が入っていたかわかるか」
「わからないです。あのときは動転していて……。ラアベーダの花ですか?」
 眠り薬になる材料といったらそれしか思いつかない。軍医は気に入らなさそうに鼻を鳴らした。
「無知よりはまし程度か、フォリウム茸も知らんとは。傷の手当は」
「普通に暮らしている人で起こり得るくらいのケガなら。骨折とか、ちょっと縫うくらいなら処置したことがありますが」
 さすがに兵士の手当はできない。屈強な兵士を無理に押さえつけ麻酔なしで傷を縫うようなことは。
「これも無知よりまし程度。看護士としては使い物にならん」
「ちょっとネザ、あんたには教えるって気がないのかい? 私は結構すごいと思うけど」
「野戦病院でそんな悠長なことができるとお思いかね、部隊長殿?」
「ウラル、こんな奴の下にあんたをつけようと思った私がばかだった。謝るよ」
 マライはわざとらしくため息をついてみせた。
「身近な薬草を一通り知っていて、傷の縫い方や骨折の手当もわかってるなら御の字だ。大人数の料理を作るのは得意?」
「祭りのたびにみんなで作っていたので」
「炊き出しも任せられるね。じゃあ、」
 続けようとしたマライをジンがさえぎった。

「マライ、お前はその子に避難民の世話をさせたいんだな?」
「……ああ。この国軍の無能ぶりじゃ、いくらも経たず必要になる」

 小屋の男たちが納得の顔をする。薬草の知識、怪我の治療、それに炊き出し。ウラルは戦うこともその直接的な補佐もできなさそうだけれど、村を焼け出された人の援助ならできるかもしれない。
「今でさえ国軍が盗賊兵士と化して村を襲う状態だ、本格的に戦が始まったらどうなることか。最悪の事態を迎える前に上手く避難させなきゃならないが、そんな状況で〈スヴェル〉の兵士が避難を呼びかけても村人は警戒して動かない。この子が証人だよ。頭目たちに怯えて恐怖のあまり赤ん坊を絞め殺してしまったこの子が」
 急に低くなった声にウラルはびくりと肩を震わせた。赤ん坊の重みが腕の中に蘇る。赤ん坊の泣き声が、その母親の死に顔が。
「女の私が陶芸窯の中のウラルを見つけていたとして、赤ん坊を救えたかはわからない。でもそこにウラルみたいな子がひとりいれば結果は違ったかもしれない。ウラルみたいなごく普通の女の子がいれば」
 もしあのとき女の声がしていたら。もしあのとき陶芸窯から見えたのが武装した兵士ではなくごくごく普通の村娘だったら。過去に義勇軍に救われた娘だったら。
「それにさっきのこの子の目、大将も見たろう? 昼間はフギンにもっとすごい形相で掴みかかったそうだよ。この子はかなり芯が強い。人の痛みもわかってる」
 さっきのって、マライがこの話をする前のウラルの目だろうか。予想外の言葉に顔をまじまじ見てみれば、強い怒気をはらんだ口調と裏腹にマライは口元に悲しい笑みを刷いていた。

「マライ、お前の気持ちはよくわかった。たしかにこの近くの村に置いていけば開戦から時を置かずしてその子は死ぬだろう。連れていくのには反対しないが、その子を戦争に巻き込むのには反対だ」
「直接的に巻き込む気はない。そこまでこの子にやらせる気はないよ」
「たしかにウラルのような娘がひとりいれば村人の信頼を得ることができるかもしれない。避難所に〈スヴェル〉の兵士ばかりでは気が回りきらない。理由にはうなずけるが、ウラルは身を守るすべを持たない。いざというとき真っ先に死なせてしまう。俺としてはヒュガルト町に避難させるにとどめたい」
 ぐっとマライが痛いものをこらえる顔をした。

「ヒュガルト町?」
「ここからだいぶ南、リーグ東海岸にある大きな町だ。俺たちの拠点のすぐ近くにある」
 ジンが答えてくれた。そのままじっと目の奥を覗き込まれる。
「ウラル、お前の気持ちを聞かせてくれ。この近くの適当な村に残るか、義勇軍の一員となり避難民救助にあたるか、関係のない町で暮らし始めるか。どこへ行くにしてもできる限り援助しよう。お前の考えを尊重したい」
 ウラルはジンを見、マライを見た。
 この国境近くに残るのが危ないのはよくわかった。父の遺言もある。ウラル自身も死にたくないし、戦争に巻き込まれるのは怖い。あんな思いはもう二度としたくないし見たくない。兄の安否もわからないし探したい。でもウラルが必要だとマライが言ってくれるのなら。でも。でも……。
 ウラルの迷いにジンはうなずいてくれた。
「すぐには決められないか。ひとまずここよりは安全な場所、俺たちの拠点までお前を連れていきたいんだが、それは構わないか?」
 村を離れる。生まれてこのかた両手で数えられるほどしか出たことのないこの村を。
「お願いします」
 ジンが肩の力をゆるめて微笑んだ。ずっと険しい顔をしていたからそこそこいい歳のおじさんかと思っていたけれど、笑った顔は案外若い。三十を少し過ぎたくらいだろうか。
「歓迎する。よく生きていてくれた」
 がっしりとした手が差し出される。その手におずおずと自分の手を重ねた瞬間、不意に自分がたったひとりの生き残りだということが胸に染みてウラルは肩を震わせた。誰も、この人に見つけてもらう寸前まで胸に抱いていた赤ん坊さえ、昨日までこの村にいた人はもういない。たったひとりウラルを除いては。
 ぎり、とウラルの手を握りこんだ武骨な手に力がこもった。痛いくらいに。顔をあげてみれば、ジンの強い眼光が目の前にあった。
 今までなんとも思わなかったのに、至近距離で見てみるとびっくりするほど印象に残る目だ。たくさんの言葉と祈りを乗せた力強い目。潰されるな、皆の後を追うな、お前の痛みは知っている、けれど生きろと――。ウラルは自分の手をがっしりと握るジンの右手にそっと自分の左手を添えて、うなずくように、うつむくように、目を伏せた。
 いつかこの選択を後悔するかもしれない。これから国は荒れる。また何度も何度も人の死を前にする。みんなと一緒に死んでいればよかったと思うような目に逢うかもしれない。きっと何度も赤ん坊を殺す夢を見るし、赤ん坊を殺してまで生き延びたことを何度も何度も心底悔やむことになる。
「連れていってください。お世話に、なります」
 それでもウラルはたったひとりの生き残り。みんなの分まで生きなければ。償わなければ。戦わなければ。きっともう生きることがウラルの責務だ。
 ジンは不意にとんと胸をつかれたような、さっきのマライと同じ顔になって、ずっと握りっぱなしだったウラルの手を離した。
「なるほど、マライの言葉の意味がわかった。お前は強いな」
「そんな。……強くなんて、ないです」
 ウラルの答えにジンは怪訝そうに片眉をあげ、それから笑みを、どことなく苦く悲しげなものをはらんだ笑みを浮かべた。
「出発は明朝、ナタ草の花が黄緑になる時間(午前九時ごろ)だ。それまでに準備を。必要なものがあればマライを頼れ」
 ジンはウラルがうなずくのを確認すると、また〈スヴェル〉の皆に指示を飛ばし、マライ、フギン、アラーハの三人を残して小屋を去っていった。


「ウラル、嫌じゃなかったらなにかあったかいもの作ってくれないかい? 私らも手伝うから。腹が減ってしょうがないんだ」
 マライがウラルの肩をぽんと叩き、「ここの食材使い切らないとまずいよな」と弁解のようにぶつぶついいながらキッチンの物色を始めた。
「さっきはすまなかったね。いきなり驚いたろう?」
「リーグ軍の秘密、のことですか?」
「なんなんだよマライさっきの話は! 本当なのか?」
 ものすごい勢いで口を挟んだフギンを「さっきも言ったろ本当かどうかはこれから確かめるんだ」とあしらって、マライは苦笑した。
「その後の流れもね。私だってあんたを危ない目にあわせたいわけじゃない。ただあんたに利用価値があると頭目に思ってもらえなきゃ連れていけないと思ったから。村で拾った子を遠くの町まへ避難させるなんて異例なんだよ」
 たしかにウラルのような村の生き残りを片っ端から拾って歩くわけにもいかないだろう。マライはくしゃりとウラルの髪をなで、頬に傷のある男勝りな顔で微笑んだ。
「私としてはあんたに生きていてほしかった、それだけさ。ヒュガルト町で普通に暮らしていけるならそれが一番いい。他の選択肢があるのに無理に戦争に鼻先突っ込むことはない」
 そうは聞こえなかった――さっきのマライの声は血を吐くような激しい願いに聞こえた。
 さっきの男勝りな姿はなんだったのかと思うほど今のマライは穏やかで、女性の顔をしていて。だからウラルはなにも言えなくなって、ただマライが差し出したジャガイモ袋を受け取った。

「さ、ご飯のしたくをしよう。フギン、なに似合わない顔して突っ立ってんだい?」
 見てみればフギンはジンたちがいたころから立っていた場所から一歩も動かず棒立ちになって、青い顔で自分の足元を見つめていた。
「さすがにあんな話聞かされてへらへらしてらんねぇよ。隣の国が滅びかけてるだとか、国軍が恐慌起こすようなとんでもない連中が相手だとか、俺らも近いうちそいつらと一戦交えることになるだとか」
「そんな顔で兵に会うんじゃないよ。でもって兵が今のあんたみたいな顔になる時には落ち着き払って説明できるよう気持ち立て直しておきな。私らにできることは多くない」
 マライやジンは何を思ってウラルのことを「強い」と言ったのだろう。こんなものすごい強さを秘めた人が。あんななにもかもを見透かしてしまいそうな目をした人が――。

 ドアが開く気配に玄関を見てみれば、いつ外へ出ていたのかアラーハがたくましい両腕に大量の薪を抱えて入ってくるところだ。がこん、がこんと騒々しい音をたててコンロの脇に薪をおろすと、もう一度外へ出ていって、またすぐに戻ってきた。
「明日からかなりの長距離移動になる。たくさん食って、よく眠れ」
 ぐいと突き出されたこぶしからはみでているのはラアベーダの小さな花束だ。わざわざ採ってきてくれたのだろうか。ウラルはお礼を言っていい香りの花束に鼻先をうずめた。
「おやおや、アラーハが珍しく紳士なことしてる。フギンも見習ったらどうだい? さ、動いた動いた!」
 パンパン、と両手を打ち合わせるマライにウラルも笑って、薪コンロの灰をかきおこしそこにジャガイモを人数分うずめた。よくお手伝いさんとして来ていた勝手知ったるキッチンだ。また目頭が熱くなるのをこらえつつ裏の畑からいくつか食べごろの野菜をとってきてサラダを作り、バターでいためた野菜に小麦粉をまぶし牛乳でのばしてシチューを作る。ちょうどいい具合に火が通ったジャガイモの灰をはたいて溶かしたチーズを乗せれば、手伝ってくれていたフギンの喉がごくりと鳴った。
「すげぇ……女の子の手料理だ……」
「こんなものしかできないんですけど」
「すごいよ! 早く食おうぜガマンできねぇ!」
 フギンが子どものように目をきらきらさせてスプーンをにぎりしめ食卓に座っているものだから、ウラルは思わず笑ってしまった。
「あれ、アラーハさんは?」
 いつの間にかまたいなくなっている大男を探して窓から外を見てみれば、マライの苦笑が返ってきた。
「アラーハは半分野生の獣だからね、食事時になるとなんか姿をくらますんだよ。偏食激しい上に食事してるとこ人に見られたくないらしい。毎度のことだから気にしないでやって」
「もったいないよなぁ。何考えてんだあいつ」
 それでよくあの巨体を維持できるものだ。外で一体何を食べているのだろう。
「作りすぎちゃったわ。四人分と思ってたのに」
「食える食える! 絶対残さない!」
 もう我慢の限界、とジャガイモにむしゃぶりつき溶けたチーズで派手に火傷しているフギンに笑いつつウラルとマライも匙をとった。

 ウラルにできることも多くない。今は生き延びて、できることをしていこう。
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