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魔眼の大蛇

 はるか昔のこと。このリーグ国の南にホロエアという島があった。ヒュガルト町が小麦畑もなにもかもひっくるめ、すっぽり入ってしまいそうな大きな島だ。だが、ホロエアに人は住んでいなかった。そこはおそろしい大蛇アプスの住む島だったから。
 アプスは牙に毒はないが、かわりに人だろうと獣だろうと目を合わせた者をことごとく眠らせる魔眼をもっている。そして蛇には珍しく、一生涯まるで鳥のように夫婦で過ごしていたそうだ。
 この島の守護者――ひとつの森、ひとつの山、ひとつの草原、そのそれぞれに聖域という場所があって、それを守る獣がいる――に封じられたのも、ひとつがいのアプスだった。
 アプスは他の守護者と同じく、独自の掟をつくり、それを守って生きていた。その掟の一つが、人の侵入をとことん拒むことだった。嵐で流れ着いた猟師、溺れて流れ着いた子ども、地図の空白を埋めるため旅立った冒険家、その全てをことごとく食い殺した。相手は魔眼の大蛇だ。どんな剣の達人だろうが、アプスと目を合わせた瞬間に眠り込んでしまうのだから勝ち目はない。
 だが、あるとき、一艘の難破船がきたときだけは勝手が違った。つがいのアプス守護者はいつものように船員を片っ端から眠らせ、食い殺していった。が、その船員のうちたった一人、嵐のさなか柱に強く顔をぶつけ、盲目になった男がいたんだ。
 大蛇といえど、油断はする。すっかり男が無防備になっているとばかり思っていた雄アプスが大口を開けた瞬間、男は手に握っていた銛を船員たちの仇とばかり、アプスの口に深々とつきこんだ。雄アプスは悲鳴をあげ、苦痛にのたうち回った。
 断末魔の声をあげる雄アプスを、つがいの雌アプスは必死に助けようとした。人に化けて雄アプスの口から銛を抜こうとするのだが、もう手遅れだ。雌アプスはうなりながら男をにらみつけた。男も真っ向からその視線を受け止めた。
 そう、男の目が、柱にぶつけて見えなくなったはずの目が、雄アプスを殺した瞬間にまた見えるようになっていたんだ。それどころか、雄アプスから魔眼の力を受け継ぎ、雌アプスの魔眼の力を受け付けない体になっていた。だが、そのせいで、鬼女と化した雌アプスの顔、怒りと憎しみに燃え立ち、船員たちの血で口から胸元までを真紅に染めた女の顔を真っ向から見つめることになってしまった。
 男は悲鳴をあげ、船に逃げ込んだ。雌アプスは怒りの声をあげてまた大蛇の本性をあらわし、マストを折り、舵を叩き壊しながら男を追う。男は命からがら救命ボートをひっぱりだし、潮の流れに乗って島を離れた。
 激怒した雌アプスは男を追いながら島のまわりに住む海獣を召集し、男を追い、引き立てるよう命じた。海鳥、サメ、オットセイ、あらゆる生き物が男を追ったが、男は雄アプスから受けついだ魔眼でそのことごとくを眠らせ、命からがら港へたどりついた。
 男は漁村の人々に助けてくれと懇願したが、人々は男の顔を見た瞬間に倒れ、つぎつぎとその場で眠りこんでしまう。男の目を見るまでもなく海からはいあがってきた大蛇に悲鳴をあげた人々も、悲鳴をあげた瞬間にその場に倒れて眠り込んでしまった。雌アプスの目を見てしまったんだな。
 男は大蛇の入ってこれない頑丈なレンガの家にたてこもった。が、雌アプスは守護者、人に化けることができる蛇だ。あっという間に板戸をぶち壊し、人に化けて難なく家の中へ入り込んでしまった。男は明り取りの窓を叩き割り、なんとか命からがら逃げ出した。
 男は、「逃げるための馬を準備してくれ」と叫びながら、ばたばた人々が道端に座って眠り込む通りを駆けずり回った。おそろしい大蛇の狙いが男だけだと悟った漁村の人々は、男を疫病神とののしりながら一頭の馬に鞍をつけ、村の出口につないだ。男は馬の目を見ないように真後ろから目を伏せて近づき、馬の背に飛び乗って全力で大蛇を引き離した。だが、馬に乗ろうがなんだろうが大蛇は決してあきらめない。男が南へ逃げれば南へ、西へ逃げれば西へ、執念深く男を追い回した。
 大蛇と男の追走劇は十数年にもわたった。雌アプスは大蛇と人間の女の姿を入れ替えながら、どこまでもどこまでも男を追った。男は蛇が苦手とするであろう寒い土地を目指し、どこまでもどこまでも逃げた。
 働けず金銭を得られないことから、そして誰とも目を合わせられず共にいられない孤独から、男は盗みを働き、人殺しをするようになった。アプスもアプスで食わなければ生きていけない。何十頭もの家畜を一度に眠らせ、たいらげた。しかも、大蛇の襲撃は男が来た直後に必ず訪れる。結果、いくつもの集落を根絶やしにし、あらゆる場所で恨みを買った。
 リーグ国の南の果てから始まった追走劇の決着は、コーリラ国の北の果てでつくことになる。大罪人のこの男をコーリラ国一の腕を持つ射手が射殺した。剣では何人束になろうが男が片っ端から相手を眠らせ、狡猾に立ち回るものだから歯が立たなかったんだが、目が合っているかすら定かでない遠距離からの矢には太刀打ちできなかったんだな。こうして大蛇に十数年も追われ続けた男の生涯は、人の手で終止符を打たれた。
 怒り狂ったのは長年追い続けた標的を見失った雌アプスだ。男を牙にかけること瞬間だけを思い浮かべて生きていた雌アプスは、男の墓を掘り返して死体をめちゃくちゃに噛み千切った後、男を手にかけた射手を見つけ出した。
 雌アプスは舌なめずりしながら美しい女の姿で近づき、射手の目を見つめようとした。だが、射手は雌アプスに背を向け、いつまでたっても目をあわせられない。自分の正体を知っているな、では一思いに噛み殺してやる、と雌アプスが本来の姿になろうとした瞬間、射手が振り向いた。一瞬、雌アプスがほくそえんだ瞬間、周りにいた老若男女――その正体は射手の警護を任された私服の軍人たちだった――がアプスの胴を、喉を、体中を串刺しにした。射手は目に厚く巻かれた目隠しの布を取り、持っていた首飾りを血みどろの大蛇にたむけた。
「あなたが追っていた男からの預かり物、たしかにお渡しいたす。できることならば自分の手であなたに渡したいとおっしゃっていたが、そうもゆかず。命を狙われながら、その相手、しかもこのような大蛇に惚れるとは、いやはやどのような心の内か。かくもあわれなことよ」
 こうして雌アプスの守護者は北の果てで死んだ。その瞬間、アプスの島――ホロエア島を前代未聞の大津波が襲った。ホロエアは跡形なく消え去り、その島だけに住んでいた大蛇アプスはあっけなく絶滅してしまった。
 以来、守護者が自分の領地を離れて死ねばその領地は滅びると、そう伝えられているそうだ。


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