第一部 第一章 1「ふるさとは灰となり」 上

「ウラル、繕い物を頼める? うちのバカ亭主がまたケンカやってシャツ破いて帰ってきたんだよ。あたしそういうの苦手だから。お願い」
「ウラルちゃん、ジャガイモに疫病が出た。抜くの手伝ってくれないか?」
「ウラルもそろそろ手に職つけてお手伝いさん卒業しないとね。あなたもう二十歳でしょ。大丈夫、あなた繕い物も上手いし羊や果樹園の世話もできる。薬草も扱えるし。どれかひとつに絞るだけ。できるでしょ? 近頃は若い男みんな兵士にとられちゃって旦那探すあてもなくなってるんだから」
「ウラル、またサウの面倒見てもらっていいかな? 夜泣きがひどくてちっとも眠れないの。昼寝する間だけ。お願い」
「ウラル、いる?」
「ウラル?」

     *

「この人はヤンじいちゃんです。私が隠れていた陶芸窯の持ち主です」
 しゃくりあげながら遺体の顔にかけられた布をどけ、確認し、かたわらに立つジンにその名を告げる。彼は木切れに木炭で名を書くとその枕元に置いた。そうして木片を置かれた遺体から掘られた穴におろされる。ひとり、またひとり。

 ウラルが隠れていた陶芸窯の裏手にある大きな丘だった。普段は家畜の放牧場、子供たちの遊び場だったこの丘にいま、村人たちの墓が作られようとしている。

「この人は」
 赤ん坊を抱いた若い女の遺体の前でウラルは足を止めた。二人とも顔に布がかけられている。この二人で名前を挙げるのは終わりだ。十九体目と二十体目の遺体。けれどウラルは布をめくるのが怖かった。
「ロロと、その赤ちゃんのサウ……」
 布をめくらずその名を告げた。
 ウラルの幼馴染のロロ。喉に傷があったのだろう、顔を覆う布は下半分が暗い紅に染まっている。その胸に抱かれたサウの顔。きっと傷だらけに違いない。ウラルが陶芸窯から無理やり出そうとしたから。ウラルはこの赤ん坊の首を絞めたのだろうか。口を塞いだのだろうか。あばらを折ったのだろうか。顔にかけられた布の下には、小さな服に包まれたそのからだの内側には。ウラルがつけた致命傷がくっきり残っているのだろうか……。

 ウラルは口元を押さえた。胃からせりあがってきたものをこらえきれずに吐きもどす。消化しかけのシチューとサラダと黒パン。これを食べていたときは何もかも普段通りだったのに。みんな当たり前に笑っていて、そのまま当たり前に晩御飯を食べて眠りにつくと思っていたのに。明日はオルガさんのところで病気のでたジャガイモを抜くはずだった。合間の時間を見つけてクリスの旦那さんのシャツを縫うはずだった。ロロが昼寝している間サウの面倒をみるのもお決まりの仕事だった。なのにあろうことかロロが殺されるなんて。サウをウラル自身が殺してしまうなんて。
 背をさすってくれる手に大丈夫ですと言う余裕もなくて。何かを呼びかけてくれる声も聞き取れなくて。

 ふと、ウラルの目の前に花が差し出された。
「花をたむけないか」
 ナタ草だ。時間に応じて赤、橙、黄、黄緑、緑、青、藍、紫の八色に花の色を変える不思議な花。今は夕暮れの青に染まったその花をウラルは受け取り、胸に抱いた。雑草のようにどこにでもはえる花。どんなに貧しい家でも時計代わりに窓際に飾られる花。死を司る風神の花であり墓所にたむけるにふさわしい花。胸に抱いたその花を、そっと埋められた遺体の上に置いた。
 背を丸め胸の奥の痛みをこらえるウラルに次の花束が渡される。それを次の墓に置けば、また新しい花束が渡される。この丘にはナタ草がたくさんはえていた。競うように長く首を伸ばしたその花を、ジンは刈り取りウラルにそっと差し出している。
「ありがとう」
 ジンは黙ってうなずいた。

 彼の後ろでは遺体が丁寧に埋められている。ジンが木炭で書いた文字をナイフで削っている者もいる。ウラルが誰をどこに埋めたか忘れてしまっても帰ってきた村人に分かるように。
「ジンさん、でしたよね。あの、あなたたちは何者なんですか?」
「俺たちは義勇軍〈スヴェル〉、国や軍のこんな横暴を止めるために動いている組織だ。本当はこの村の襲撃も止めたかったんだが……。連絡が遅れたんだ。すまない」
 頭を下げられるのに、ウラルはどうしていいかわからず立ちすくんだ。

 どうして。どうして自分たちを守ってくれるはずの国軍が襲いかかってきたのだろう。なぜ懲役年齢真っ只中の年頃に見える彼らが義勇軍を名乗り助けに来たのだろう。兵糧不足? 積もり積もった空腹と鬱憤? それだけで軍人があんな風になってしまうのだろうか。けだものよりももっと酷い生き物に。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったな?」
「ウラルです。ウラル・レーラズ」
 ウラルな、とジンは口の中で確認して元気づけるように笑ってくれた。
「明日には隣村へ送っていく。それまでに俺たちにできることがあったら遠慮なく言ってくれ」
 ありがとうと頭を下げるとジンももう一度唇の両端を持ち上げて、ウラルの背後を見つめた。

「頭目、報告を」
 背後からの聞き慣れない声に振り返ってみれば、すらりと背の高い男が立っていた。その後ろにはウラルを救ってくれたフギンとアラーハを含めた六人ばかりの姿がある。ウラルと変わらないくらいの背丈がふたり、あとはジンも含めかなりの高長身だ。しかも身に着けた武装や体格に差はあれど揃って武骨な戦士の雰囲気をまとっていて、囲まれる形になったウラルは思わず肩をこわばらせた。
「彼女にも聞かせて大丈夫ですか」
「お前の判断に任せる。この村の情報ならできる限り伝えてやってほしい」
 では、と参謀らしき男はウラルを見つめてうなずいた。

「あらためて捜索しましたが、この村で生き残っていたのは彼女ひとりです。村人の死者は二十名。盗賊兵士の死傷者は五名、捕虜三名、ほかは逃げられました。捕虜によると村を襲った盗賊兵士はみなシャスウェル砦から来たようです」
 ときんと胸が鳴った。シャスウェル砦は徴兵されたウラルの兄と父が詰めている砦だ。
「軍側から相応の処罰と後始末があることを祈ろう」
「あると思いますか」
「盗賊兵士の存在を軍側は知らない、疑わしい部分はあるが証拠がない。今はそういう建前だ。隊長が指揮をとる形で俺たちと交戦した今はさすがに言い訳できない。軍規がまがりなりにも生きていれば処分が下る。……はずだが」
 ジンは一度口を閉ざし、シャスウェル砦があるはずの北西を見つめた。
「今までは盗賊の襲来を村人からの通報で知り、矢も楯もままならぬ上層部の指示もあおがずに飛び出した、ということにされていた。処罰は軍規無視に対するものだけだ」
「俺たちを盗賊に仕立て上げるとはいい度胸だよ、やってることは真逆のくせしてさ」
 口を挟んだ男にジンは怒りの滲んだ苦笑を向けた。
「今回は大暴れして正規軍の斥候が来るまで奴らを釘付けにした。奴らは略奪物を抱えながら俺たちを攻撃していた。俺たちは村を守り、村人を隣村まで誘導していた。十分な証拠を突きつけたはずだ。ここまでやってなお認めようとしないなら、あの砦はもはや国軍の組織などではない。近隣住民に百害あって一利なしの野盗集団、総力をもって叩き潰す」
 しん、と沈黙がおりた。男たちの眼が冷え冷えと光っている。

「他に分かったことは」
「今のところこれだけです」
「わかった。今日のところは様子を見る。明日はこの子を隣村まで送って、念のためそのまま村の警護体制を取る。フギン、アラーハ、マライの三人はそれまでこの子についていてやってくれ」
 了解、と男たちのうち三人だけが返事をする。返事をした三人をウラルはじっと見つめた。
 フギンとアラーハはジンと一緒に陶芸窯のウラルを見つけてくれた二人だった。フギンは若くて小柄で短気そうな男、ウラルと目が合うとこんな状況でどうしてと思うほど陽気に笑い返してきた。一方でアラーハは信じられないほどの大男だ。揃って大柄な彼らの中でも飛びぬけていて、女としては平均的な身長のウラルより頭ふたつは大きかった。肩幅も広く胸も厚くて、そのうえこの暑い時分に獣臭い毛皮まで着ていて、正直なところ近づくのがものすごく怖い。
 残るマライもアラーハには及ばないものの、かなり長身だった。ウラルより頭ひとつ大きいし、服の袖から覗く腕もたくましくて……。
「ウラルだったかい? 行こうか」
 マライの声を聞いてウラルは驚いた。
「え、女の人?」
「そうだよ、こんななりだけど。よろしく」
 ぶしつけなウラルの一言にマライはからりと笑ってうなずいてくれた。髪も短く刈り込まれていて、失礼ながら胸もぺたんこで。てっきり男の人だと思っていたのに。
 マライにうながされ、ジンに一礼してから歩きはじめた。


「ウラル、歳はいくつ?」
 いきなりぐいぐい近づいてきたフギンをマライが「あんたは黙ってな」と押しのける。ウラルはありがたくマライの陰にすっぽり隠れさせてもらった。
「怪我はしてなさそうだね? 一応診てもらったほうがいいとは思うけど、軍医は手が離せないらしくて」
「怪我した人、多いんですか?」
「そりゃそうだよ、戦ったんだから」
 なんでもないことのようにさっぱり告げられ、ウラルは小さくなった。
「本当にこの村を襲ったのはシャスウェル砦の人たちなんですか?」
「伝令が確認してきたから間違いない。知り合いでもいる?」
「父と兄が」
 マライが一瞬足を止め、そっか、とうなずいた。
「さすがに自分の娘や妹がいる村の略奪には加わらないさ。村を襲ったのはごく一部の人間、たぶんあんたのお父さんもお兄さんも何も知らない」
「砦を、襲うの?」
「あっちの出方によってはね。申し訳ないけど手加減はできないよ。下手打ったら潰されるのはこっちだから」
「マライ」
 今まで黙っていた大男が急に口を開いたものだからウラルは飛び上がった。
「言い過ぎだ」
 アラーハはフギンと違って寡黙なようだ。それだけ言って口を閉ざしてしまったけれど、ウラルはまたびくびくとマライの陰に身を隠した。
「そんな怯えなくていいよ、アラーハは見た目ほど怖い奴じゃないから。森のくまさんか何かと思っといて。気を付けるのはこっちの男だけでいい」
 ぐいっと指さされて、そりゃないぜとフギンはむくれて下唇を突きだした。マライがようやくナンパをやめたみたいだねと呆れ笑いしている。
「今まで私みたいなオトコオンナしかいなかったからね。女の子と話せて舞い上がっちまってるんだよ。勘弁してやって」
「そうだよなんでこんなマッチョな奴しかいないんだよ、俺ウラルみたいなかわいい子がいい……あてっ!」
 電光石火の鉄拳を脳天に食らってフギンが崩れ落ちた。アラーハも「学習しろ」とばっさり切り捨て、さっさと横を通り過ぎていく。どうやら毎度の事らしい。
 どうやら悪い人たちではなさそうだ。ウラルはやっとほっとして、目をぱちくりさせているマライとアラーハをよそにフギンに「立てる?」と手を差し伸べた。
 フギンがウラルの手と顔を交互に見やる。その顔が耳までぽわぽわ赤くなるのにウラルは目をぱちくりさせた。
「あ、ありがと」
 ためらいがちにウラルの手を握って立ち上がって、でも立ち上がっても手を離してくれない。きょとんと首をかしげたウラルの手を両手でがっしり握って、フギンは真面目な顔でウラルの顔をのぞきこんだ。
「そ、その、ウラル。よかったら俺のお嫁さんになって、くれない?」
「え?」
「だからお嫁さんに……へぶしっ!」
 フギンが言い終えるのを待たずしてマライとアラーハ、ふたりぶんの拳骨が見事にフギンを吹っ飛ばした。
「放っておけ」
「まだ助けたいって言うんなら止めないよ」
 肩をすくめて笑っている二人にウラルも苦笑いを返して、「置いてかないでくれぇ」と情けなく呻いているフギンをちらりと振り返ってから歩きはじめた。マライが足を向けている先は闇の中で朱く燃えている村だった。

「ウラル、あんたの家は無事かな?」
「燃えてる、みたいです」
 ウラルの家は村の中心からやや離れたところにあった。家が密集していた中心部はもうあらかた燃え尽きているけれど、風向きの関係だろうか、かなり遅れて火がついたらしいウラルの家は今まさに激しく燃えている。
「じゃあ頭目があんたを見つけた小屋を拝借したいんだけど、大丈夫だと思う? もちろん故人に失礼のない範囲で」
「怒るような人じゃないです。きっと自由に使えって言ってくれます」
 陶芸じいさんことヤンじいさんの家は村から畑と果樹園を挟んだ木立の中だ。普段から火を使う職だから、もしもの時に備えて離れたところに建てたと聞いていたけれど、こんな形で無事で残るとは。
「おじいさん一人暮らしだったからベッドひとつしかないと思いますけど……」
「あんたが使えばいい。他の連中はテントだし、家らしい家で眠れるだけ幸せさ」
 え、と口ごもったウラルにマライはからりと笑った。
「私たちはどっちみち背丈が規格外で足がはみだしちゃうから」
「マライは足首から先、俺は膝から下がはみでる」
 アラーハがぼそっと付け足したのにウラルはきょとんとして、それから泣き笑いを返した。「俺は大丈夫だけど紳士だからな!」といつの間にか追いついていたフギンが胸を張っているのは聞こえなかったことにしつつ、胸の中でひっそりと感謝を返した。
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